最終日だと気付き、慌てて、中野のギャラリー冬青に足を運び、比嘉良治写真展『海と岩の語りを読む・琉球列島』を観た。
沖縄の海における琉球石灰岩やサンゴの写真群であり、すべてスクエアフォーマット。比嘉さんが在廊されていたが、どこの海なのかについては訊くことができなかった。
長い時間をかけて浸食され、実に奇妙でおかしい形をしたオブジェのようだ。それらが海の上に佇んでいる。作品によっては、波濤の激しい飛沫がこちらに飛んできており、カメラは大丈夫だっただろうかと心配になってしまう。
同行した環境の研究者Tさんと、大きいサイズの写真はデジタル出力に見えるが他は銀塩プリントだろう、といった話をしていた。ところが、ギャラリーの方に訊くと、すべて35mmで撮って、トリミングした上でデジタル出力したものだという。もう吃驚である。こうなってくると、銀塩カメラを敢えて使う意味はほとんどなくなってくる。(自分は使いますが。)
やはり琉球石灰岩の皮膚感をとらえた写真群にオサム・ジェームス・中川『BANTA -沁みついた記憶-』(>> リンク)があったが、そのトリッキーで網膜を無理やり拡張させられるような感覚とは、ずいぶん異なっていた。
その足で、Tさんに教えていただき、竹芝のGellery 916に移動し、森山大道写真展『1965~』を観た。
ギャラリーは海岸近くの倉庫の中にある。これでは横を歩いていても気が付かない。そして、展示スペースはさすがに天井が高く贅沢な使い方である。
はじめて目にする作品が多い。しかし、それぞれの写真にはキャプションが皆無で、いつ、どこで、どのように撮られたのかまったくわからない。中にはカラー作品もある(リバーサルはかなり退色している)。
おそらくは、沖縄、三沢、新宿、四谷、横浜、北海道などで撮られたものが含まれている。時代のドキュメントというより、個人の眼の歴史である。
やはり、森山大道という写真家が、プリントに異常なまでの執念を燃やしていたことが、よくわかる作品群である。それと同時に、覗き見の切り取りである。冗談ではなく、そうでなければ生きて写真を残せないとはいえ、基本的に憶病なる撮影スタイルだろうとも思った。
忘れ難い写真があった。北海道の炭鉱町だろうか、線路の向こうには建物がへばりついた山があり、その線路で子どもが駆けている。
歩き疲れて、大門の九州料理の店「侍」で、いかやアジや薩摩揚、冷汁。「づけ」を飯の上にのせた「大分名物・琉球丼」というものがあったが、なぜ琉球?
●参照
○森山大道『NAGISA』
○森山大道『Light & Shadow 光と影』
○森山大道『レトロスペクティヴ1965-2005』、『ハワイ』
○森山大道『SOLITUDE DE L'OEIL 眼の孤独』
○オサム・ジェームス・中川『BANTA』
こちらこそありがとうございました。話しながら観ると、色々と発見があるものですね。
なるほど、比嘉良治さんの作品は撮影もプリントもデジタルだということですね。確かに、もはや銀塩との差は何なのかわからないほどです。海原修平さんの、逆にデジタルを銀塩に近付けていくという方向性も、ひとつの解なのでしょうか。
ところで、今日、ご教示いただいた、石内都『Tokyo Bay Blues』が届きました。じっくりと凝視するのが楽しみです。
比嘉良治展は、DMに使われている作品の大きなプリントはデジタルとすぐにわかりましたが、他のプリントは銀塩と言われても信じたと思います。ギャラリーの方が「35mm」とおっしゃったのは「35mm版のデジタル一眼レフ」という意味ですね。それを正方形にトリミングしてプリンターで出力したのでしょう。
『日本カメラ』2013年6月号の「口絵」に比嘉良治氏の同名の写真が載っていて、以下のようにデータが示されていました。「ニコンD700・ニッコール18~200ミリF3.5~5.6/シグマSD15・シグマ105ミリマクロF2.8、18~200ミリF3.5~6.3/エプソンStylusPro7880・MUSEO Silver Rag/プリント協力:Hitomi Kina」。
森山大道「1965~」は展示に合わせてGallery 916から出版された写真集にもデータがありません。Sightsongさんが書かれている、線路で子供が駆けている写真は、どこかで見たことがあると思って調べてみたら2010年の『NORTHERN 2 北方写真師たちへの追想』の扉のページに載っていました。ということは、想像どおり1970年代後半に北海道で撮影された作品になります。
是非またご一緒させてください。