Sightsong

自縄自縛日記

カスパー・コリン『私が殺したリー・モーガン』

2018-01-02 20:18:20 | アヴァンギャルド・ジャズ

渋谷のアップリンクに足を運び、カスパー・コリン『私が殺したリー・モーガン』(2016年)を観る。

それほど熱心なリー・モーガンの聴き手でなかったこともあり、かれの最期はライヴハウスで「愛人に射殺された」としか認識していなかった。実際には、その印象とは逆だった。NYロウアーイーストのSlugg'sで拳銃を撃ったのは内縁の妻ヘレンであり、彼女こそがドラッグで一度はダメになっていたモーガンをサポートし、更生させ、マネジャーとしてライヴ出演などを切り盛りしていた人なのだった。事件の前から、モーガンは別の若い女性と仲良くなっていた(しかし、かれはドラッグのせいでほとんど性的に不能だった)。単純な痴情のもつれではなかったようである。

映画にはベニー・モウピンが出てきて、憧れの存在であったモーガンと共演するようになったこと、そして、事件の後ヘレンがどうなったのかまったく知らないのだと語る。実は、ヘレンは刑期を終え、保護観察の処遇でシャバに出てきていた。そして、大人向けの学校のようなところで偶然接点のあった人が、1996年に亡くなる前月にヘレンにインタビューをして、そのテープが残されていた。

ヘレンの肉声による証言は生々しい。彼女は13歳で息子を産み、もう田舎には戻らないつもりで大都市に出てきた人だった。後日、モーガンと同い年の息子にも会ったりしている。事実をもとにして再構成する物語には、哀しさも暖かさもあって、ちょっとどきどきさせられる。

それにしても、リー・モーガンという人は早熟のトランぺッターだったのだなと改めて思わされる。ディジー・ガレスピーのバンドでは、御大のソロの直後に挑戦するように鮮やかなトランペットを吹く。アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズでも実力をいかんなく発揮していた。そのときの写真や映像からそれがよくわかるし、また、表情もファッションもとても魅力的で尖っていた。ウェイン・ショーターの証言もそれを裏付けている。まさに、自らの実力をよく認識していたのであった。しかし、その後、いちどはドラッグでダメになった。そのかれを救ったのが、ヘレンだったわけである。

最後のモーガンのバンド仲間には、ベニー・モウピン、ハロルド・メイバーン、ジミー・メリット、そしてわれらがビリー・ハーパーもいた。映画にはハーパーも登場し、事件の日のことなんかを哀しそうに語る。また、モーガンと一緒にテレビ出演したときの映像も挿入されている。ハーパー・ファンも必見の映画である。


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