先ごろ亡くなったウィレム・ブロイカーの、割と最近のCDを聴く。両方BVHAAST、ブロイカー自らが立ちあげたレーベルであり、多分かなり多くのブロイカーの盤を出しているのだろう。これは細長い本の形と、金属の缶がジャケットに使われているが、他にもチーズの丸い箱のようなジャケットのCDもあったと記憶している。
『Misery』(2002年)は3連作の最終作と位置づけられている(他の『Hunger』も『Thirst』も聴いていない)。最初から最後まで祝祭と狂宴、絶好調である。ブロイカーのサックス・ソロはあちこちに登場するが、聴きどころは彼のサックスの腕ではなく、コレクティーフという集団がかぶきまくる姿だ。ホーギー・カーマイケル「My Resistance Is Low」では、ブロイカー自らが甘いヴォーカルを聴かせて、これが楽屋落ちに容易に堕すことがない可笑しさ。ただし、最後で耐えられなくなったのか、ちょっとふざけてジェンガを壊す。
その後の「I'll Remember April」。ジャズ・インプロヴィゼーションの枠内で力づくで原曲を叩き壊したリー・コニッツ『Motion』、それに比べると何と表現すべきか。勿論、両方ともジャズであり、両方とも私は大好きである。
『Previously unreleased recordings 1969 - 1994』は、その名の通り拾遺集であるから、結果的によりバラエティに富んでいる。そのことがブロイカーの音楽のベクトルに沿っているようで、長い時間飽きずに楽しむことができる。楽園的な音楽に突如動物たちの声が闖入する曲がある。ミシャ・メンゲルベルグやハン・ベニンクとの共演もある。大勢の男が「ロボットのように」動くバレエのための曲もある(デュシャンのようだ)。もう最高なのだ。
来日時、この缶ジャケットの裏側にサインを頂いた。ブロイカーは即興で楽譜を書いた。こんなことをしたのは、ブロイカーとルディ・マハールのふたりしかいない。
ブロイカーが書いた楽譜
ルディ・マハールが『失望』に書いた奇妙な楽譜
丸谷才一が、フェデリコ・フェリーニ『そして船は行く』を論じたエッセイがある(『犬だって散歩する』所収)。ここで丸谷は、フェリーニが世界文学におけるカーニヴァル文学の伝統を探り当てたに違いないのだと推測している(憶測か)。
「この映画では、深刻と冗談、大まじめと馬鹿つ話は、いつも二重になります。実写の方法による、リアリズムからの脱出といふ妙なことが、平然とおこなはれているんです。つまりこれは、映画の機能の両極を重ね合わせた方法ですね。」
ウィレム・ブロイカーの音楽がまさにカーニヴァル的であることは言うまでもない。ジャズのなかで系譜を辿るなら、ウィレム・ブロイカー、ヘンリー・スレッギル、エルメート・パスコアール、ハル・ウィルナー、イースタシア・オーケストラ、セルゲイ・クリョーヒン、アート・アンサンブル・オブ・シカゴ、渋さ知らズ、ICPオーケストラ、・・・・・・さてどのように並べよう。
●参照
○ウィレム・ブロイカーが亡くなったので、デレク・ベイリー『Playing for Friends on 5th Street』を観る
○ウィレム・ブロイカーとレオ・キュイパースとのデュオ『・・・スーパースターズ』
○ハン・ベニンク『Hazentijd』(ウィレム・ブロイカー登場)