Sightsong

自縄自縛日記

平岡正明『ジャズ・フィーリング』に触発されてレスター・ヤングを聴く

2010-08-15 22:49:35 | アヴァンギャルド・ジャズ

平岡正明『ジャズ・フィーリング』(アディン書房、1974年)を読む。札幌の古本屋アダノンキで見つけて入手したものだ。アディン書房とは聞いたことがない出版社だが、調べてみると、平岡正明の他に森口豁や寺山修司などを出している。もう活動していないのかな?

私は中学生のころより大の筒井康隆ファンであったので(残念ながら、今は違う)、『筒井康隆はこう読め!』などを出していた平岡正明については、太鼓持ち的な筒井ファンかと思い込んでいた。そのアナーキーな放言は、共感も理解もできるものではなかった。何しろ書く量が半端でなく多いためどうしても平岡の文章に触れることもしばしばだ。やがて、竹中労に連なる革命志向的、情緒的な無頼の徒であることに気付かされるのだった。何となくイメージが重なる三上寛についても高く評価しているのは、もっともだ。

本書はジャズ評論であり、かつそうではない。チャーリー・パーカーやソニー・ロリンズやマイルス・デイヴィスを論じてはいるものの、30年以上前の横からの放談、さほど読むべきものはない。ところが、韓国の仁川で、沖縄のコザで、汗と情念でぐちょぐちょになった状態で想うブルース、この感覚が読むものの心を捉える。窮民革命論者ならでは、だ。昔も今も日本のジャズ評論の中心を占める下らぬ解説などに比べれば、ジャズもブルースも、明らかに30年以上前に書かれた平岡の文章に吸い寄せられている。(昨晩、復活した大西順子と一緒にテレビ出演していた林家こぶ平、いや正蔵、などに脱力したこともあり・・・。)

コザの闘牛場でジェームス・ブラウンのコンサートを観てホモセクシャルを感じ、翌日キャンプ・ハンセンでMPに感想を聴き、竹中労と一緒に嘉手苅林昌を聴き、林昌は香港に向かう竹中のために八重山民謡「鷲ン鳥」を唄う。あるいは、台北で雑踏のなかにジャズやブルースの香りを見つけることができず、「ひげを切られた猫」と化しつつも、日本の歌謡曲の変貌をそこに見出す。あるいは、仁川で猥歌(谷川雁が取り上げ、大島渚が『日本春歌考』で使った)の「真実」を理解しながら、ミルト・ジャクソンを聴きたいと希う。

平岡正明は、ジャズを聴き始めて十数年目にしてはじめて、レスター・ヤングを「知った」という。おそらく、この魔の音楽家をモダン・ジャズやフリー・ジャズや現代のジャズと同様に生活の中で聴く人は、今でも少ないのではないか。アタックや目が覚めるようなインパクトがあるわけでもない。見かけも音もしょぼくれたヤサ男である。私もあまり普段聴かないどころか、棚のどこにCDがあるか忘れている始末だ。

そんなわけで、久しぶりに聴いた『Blue Lester』(Savoy、1944・49年)。やっぱり凄い。小節のどこから始めるのか。テーマとインプロヴィゼーションの垣根が曖昧で、しかし飄々とした枯淡の境地というわけでもない。たまに思い出したように速く吹いてみせる。ジュニア・マンスやロイ・ヘインズも共演しているが、何しろここではカウント・ベイシーのピアノが素晴らしく(これもわかりきったことか)、時間感覚さえ溶けてしまう。

ところで、平岡正明がはじめてアルバート・アイラーを聴いたとき、相倉久人に向かって「レスター・ヤングみたいだ」と答え、相倉久人はしばらく平岡の顔を見て「きみはいい耳をしているな」と言ったという。わけがわからないが、ひどい話だ。


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2 コメント

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Unknown (横井)
2010-08-16 20:33:04
Savoyのレスター・ヤング、愛聴盤でした。どうしてプリ・モダンのミュージシャンは軽んじられるのでしょう。レスター・ヤングしかり、テディ・ウィルソンしかり。モダンジャズに汚染された耳にはとても新鮮なのですが…。レスター・ヤングはビリー・ホリディが惚れたわけがわかるわ~。決してしょぼくれたヤサ男ではありませんよ。
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Unknown (Sightsong)
2010-08-16 21:34:17
横井さん
レスター・ヤングを見ると、木村伊兵衛が重なって仕方がないのですが。いつ本気を出すかわからないが(「粋なもんですよ」)、実はやたらと凄い。それはともかく。
>モダンジャズに汚染された耳にはとても新鮮
そうですね。コールマン・ホーキンスは半分モダンかもしれませんが、やはりたまに聴くと良いのですね。
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