安世鴻の写真展『重重 中国に残された朝鮮人元日本軍「慰安婦」の女性たち』を、ニコンサロンでの開催に続き、江古田のギャラリー古藤に観に行った。
ニコンは、ニコンサロンにおいて開催が決まっていた写真展の中止を安氏に一方的に通告し、地裁と高裁の命令に従って、不承不承開いた。中止を決めた理由はいまだ何一つ説明していない。これが異常事態だと捉えないならば、よほどその人の社会感覚は麻痺している。
今回、そのときと同じ、韓紙に焼き付けられた素晴らしい作品群に加え、見覚えのない作品も展示されている。また、それぞれの女性の出身地、慰安所の場所、徴用されたときの年齢(13歳だった人もいる!)の説明書も横に貼りつけられ、より良い展示になっている。ニコンサロンの展示では、会場のボランティアに、事実をちゃんと伝えないと何のことだかわからないじゃないか、と、クレーム気味の指摘をしている人を見たのだった。
夕方の6時からは、写真家本人と、ハンギョレ新聞東京特派員の鄭南求氏、そしてスマホを通じて、韓国KBSプロデューサーの李康澤氏の3人によるトークがあった。会場は満員だった。
各氏の発言は以下のようなもの。(敬称略)
●安
○1996年から「ナヌムの家」(慰安婦であった女性が共同生活を営む場所)に通い、写真を撮り始めた。2001年より、朝鮮から中国に徴用されて慰安婦として働かされた女性たちに会いに出かけるようになった。
○メディアはこの問題を政治的にアプローチするが、自分のそれは異なる。これは男から女への性犯罪にとどまらず、人間として到底耐えられない犯罪である。問題に向き合わないことは、弱者を被害者とする戦争を今も続けていることになる。自分のアプローチは、戦時下の人権蹂躙を世に示すことだ。
○ニコンは写真展を政治的活動だとした。ここには問題の本質を隠そうとする意図があり、日本政府の意向が影響しているように思われる。表現の自由、メディアの統制という問題もある。
●鄭
○ハンギョレ新聞は1988年に創刊した。80年代までの韓国の軍事政権下では、当局の意に沿わぬ発言をして新聞社から追い出される者が多かった。そして民主活動家たちが権力から独立したメディアを希求し、市民の力によって誕生した。部数は国で4番目だが、影響力は2-3番目である。
○ニコンサロン問題は、ハンギョレ新聞が最初に報道した(2012/5/24)。その後すぐに、保守紙の朝鮮日報でも、東亜日報でも、またテレビのニュース番組でも、この件を取り上げた。
○明確な理由なくキャンセルすることは表現の自由の侵犯である。
○韓国メディアでは、日本社会において慰安婦問題への反対の声が高くなっているのではないかと懸念した。
○ニコンサロン前の新宿の路上では、ソウルに設置された少女像の写真に、「私は朝鮮人によって慰安婦にされました/私は朝鮮人による歴史捏造の被害者です」と書きこまれた看板が誇示された。このような人間への冒涜には耐えられない。写真展がなかった方がマシだったとさえ思った。
○報道した日本のメディアは、毎日新聞、東京新聞、朝日新聞のみ。それも裁判の結果や写真展を開くことなど事実関係についてのみ報道しており、「何故」が報道されていない。
●李
○韓国テレビのKBSもMBCも、慰安婦問題や竹島/独島問題について、情緒に流れ、愛国心に訴えかける報道を行う傾向がある。
○そうではなく、このような問題こそ冷徹に報道しなければならない。また、政府と一般人とを区別しなければならない。
○そうしないと、日本に対する漠然とした反感だけを産んでしまう。
●安
○韓国では、いまではこのようなことは無いが、70-80年代にはそうではなかった。北朝鮮や労働問題についての出版を過敏に制限し、発禁された本を持っているだけで拘束・起訴された。
○いまでは、表現の自由を政府が逆利用している(意に沿う発言を政治的に利用)。これは、表現の自由を変質させるという、笑えない状況だ。
●鄭
○竹島/独島問題は正直言ってややこしい問題になっている。
○日本は領土問題として、韓国は歴史問題として捉える違いがある。
○韓国では、1905年に日本政府が島根県への編入を宣言したことを、対ロシアの軍事戦略利用、韓国侵略の第一歩だった、と捉えている。そしてこのような問題になると、日本が植民地支配の歴史を反省していないのではないかと考える。
○韓国のメディアは、誰の声かということを区別せず、すべて「日本が」というように報道したが、これは良いやり方ではなかった。
○日本のメディアは、概ね客観的な報道を行うが、本質には近づかない。韓国の人がどう思っているのかを伝えてほしかった。
●李
○慰安婦問題は反人道的な人権侵害だという視点、誰による犯罪なのかという視点を、日本のメディアは持っていないように思われる。
○これを見過ごしたら、日本国内の別の弱者にも同じようなことが行われることだろう。
○竹島/独島問題は、「何が客観的な事実か」「領土は市民にとってどんな意味を持つのか」といった視点によって取り扱わなければならない。メディアが徒に誇張している。
●鄭
○李大統領による天皇批判の方法について、韓国では大統領の誤りだという雰囲気がある。
○日本では怒る人が多いが、なぜ韓国側からそのような発言が出るのかを考える人はいなかった。
●安
○竹島/独島問題が世論化されないまま、話題がサッカー日韓戦のほうにシフトし、うずもれてしまった。
○李大統領の竹島/独島上陸や慰安婦問題に関する発言は、彼が普段からずっと考えてきた上で行ったものではなかった(ただの政治利用)。そうであれば、これらが世論化されていただろう。
○むしろ国際問題になるきっかけを与えるものだった。騒がれただけで、議論がなされていない。
●安
○「ナヌムの家」には、雑誌の取材ではじめて訪れた。当初、怒りの対象である男性として、ハルモニたちにカメラを向けることは恥かしかった。3年通ううち、ハルモニたちの痛みを頭でなく心で理解するようになった。そして、自分がなしうることを考えた。
○2001年から中国に通うようになり、ハルモニたちが誰にも自分の過去を話すことができないでいたことを知った。
○もはや取材ではなくなった。ハルモニたちの痛みを写真で示そうと思った。それにより、ハルモニたち、写真家、写真を観る人が連帯して問題解決に向かうことができると思った。
○中国のハルモニたちは、日本政府がいかなる対処をしているかまったく知らない。日本の軍人に対する恨みは深い。
○彼女らの希望は、家族を探したいこと、故郷に帰りたいこと。しかし情報も乏しく、難しい。そして訪ねていくたびに一人また一人と亡くなっていく。遺体の灰はそこらの野原に撒かれているが、彼女らは「死んでからでも故郷に帰りたい」と言う。
●鄭
○韓国にいるハルモニについて、ハンギョレ新聞が1990年に連載を開始した。日本政府も調査を開始し、訊きとり調査により、日本軍の介入・強制を認め、河野談話や村山談話につながっていった。しかし、政府からあえて距離を置いたアジア女性基金は、日本政府の責任を回避するものだとして、オカネの受け取りを拒否するハルモニたちが多かった。
○安部首相(当時)の慰安婦問題に対する後ろ向きの姿勢が、国連人権委員会や米国での非難決議につながった。
○1965年の日韓基本条約では、慰安婦問題、韓国人の原爆被害者問題、反人権的犯罪問題は解決されていない。
○2011年8月30日、韓国憲法裁判所は、「元慰安婦らの個人請求権放置は違憲」という判決を下した。これに韓国政府は驚き、動くようになった。
○ハルモニたちの望みは、日本政府が罪を認めて謝罪することに尽きる(賠償の問題ではない)。そうすれば、楽に死ぬことができる、と発言するハルモニもいる。
●李
○李大統領の一連の政治行動は、問題を却って複雑化し、ねじれさせた。
○本来は両国市民共通の議論を冷静に行うべき問題であるが、大統領は政治戦略でのみこれを利用した。
○両国のメディアも、問題の検証なく、情緒にのみ訴えかけている。これはやってはならないことだ。
○両国の良心的な知識人とメディアが、問題を整理しなければならないだろう。
最後に、安氏が、9月に予定される大阪ニコンサロンでの展示が危機的な状況にあり、抗議に対してもニコンからは何ら回答がないことを訴えた。
日韓メディアや問題の政治利用に関する各氏の指摘は、とても示唆的なものに思えた。
●参照
○安世鴻『重重 中国に残された朝鮮人元日本軍「慰安婦」の女性たち』
○『科学の眼 ニコン』
○陸川『南京!南京!』
○金元栄『或る韓国人の沖縄生存手記』
○朴寿南『アリランのうた』『ぬちがふう』
○沖縄戦に関するドキュメンタリー3本 『兵士たちの戦争』、『未決・沖縄戦』、『証言 集団自決』
○オキナワ戦の女たち 朝鮮人従軍慰安婦
○『けーし風』2008.9 歴史を語る磁場
○新崎盛暉氏の講演
○新崎盛暉『沖縄からの問い』
安さん、鄭さん、李さんそれぞれの発言を聴くことができて、足を運んだ甲斐がありました。ありがとうございました。
このような報道はなく、大メディアはナショナリズムを煽るばかりですね。