Sightsong

自縄自縛日記

『終わりなき歌 石内矢巳 花詩集III』@阿佐ヶ谷ヴィオロン

2018-04-02 01:10:18 | アヴァンギャルド・ジャズ

阿佐ヶ谷のヴィオロン(2018/4/1)。

音花郁英 (詩朗読, p)
照内央晴 (p)
森下由貴 (vln)
加藤綾子 (vln)

石内矢巳さんという詩人がいた。2015年に亡くなり、その詩を読む会というものが開かれている。この日は4回目だという。

音花郁英さんが朗読し、彼女が教える洗足学園のつながりで卒業したばかりの森下由貴さん、加藤綾子さんというヴァイオリニストふたりが参加、そして即興ピアノの照内央晴さんも加わる。このような形での即興世界への浸食はとても面白い。

石内矢巳の詩はこの日はじめて聴いたのだけれど、感覚の一部が増幅され、外に放出され、いつの間にか宇宙的にさえなっているような新鮮なものだった。「いまここに呼吸の音がする」と読まれた直後に森下さんのヴァイオリンが入り、また、「かすかな希望の脈拍とともに」と読まれた直後に照内さんのピアノが入る。まさにその呼吸や脈拍をメンバーで共有しているのだろうか。照内さんのピアノには、音花さんの声とシンクロしてかけのぼるようなときもあった。

最初のセットでは、加藤さんはピチカートでこの音世界に加わった。そのはじく音はピアノの鍵盤の音と、また森下さんの弓弾きの音と共存し、茶色く薄暗いヴィオロンの中で、不穏な雰囲気や、妖しさや、狂気も創出した。そこに、「永遠などないのだ」といった言葉のひとつひとつが毎回驚きとともに撒かれ、消えてゆく。

ピアノの低音と加藤さんのヴァイオリンとが主導して音楽を駆動する時間も、ふたりのヴァイオリンがピチカートではじきあい星のきらめきを見せる時間もあった。「はじき」はときにピアノとともに相互の重力で運動する三体問題となった。

セカンドセットでは、演奏者たちを上に見上げる中の席から観た。以前に、トランペットのクレイグ・ペデルセンさんが小さい欧州の劇場のようだと説明してくれたことがあったが、確かにヴィオロン独特のものであり、音が周囲から同じ存在感をもって迫ってくる。最初は森下さんが短いピッチのフラグメンツを放ち、加藤さんが長いトーンで雰囲気を創った。ここに「晴れ、また、くもり くもり、また、晴れ」といった言葉が介入し、ひとつのドラマを体感するようだった。そしてまた、アンドロメダとの言葉もあり、意識の領域が宇宙へと拡がり飛んでゆく。

ふたりのヴァイオリンの軋みが交互にあらわれ、ピアノとともに交錯し、重なりあう。倍音も不協和音も実に豊かで、その場限りのものであり素晴らしい。このとき音楽を形成するなにものかの意識はどこにあるのだろうと思ってしまう。終盤に、また意識の妙なところを突かれる「実現しなかった世界の燐光」という言葉があった。

※詩の言葉は聴きとりによるものでオリジナルとは異なります。

※次回は2018/9/27(木)とのこと。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4

●照内央晴
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