住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

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失いたくない武士道精神

2012年11月20日 | 日記

 《武士道とは死ぬ事と見つけたり》とは、ある意味、武士道の本質であろうか・・。

死ぬ事とは、腹を掻っ捌いて自らの臓物が、一切黒くない事を命に懸けて、公に知らしめる意味が含まれているという事なのだろう。

 その潔さと比較して、イギリスには《騎士道》と言うものが有ると、聞いた事がある。
騎士道を《フェアプレイ》と言い換えてはいるが、下に掲げるブログで言いたい事は、そういう潔さではないかと筆者は、思った。

  ***  以下引用  下記URLより ***
     http://blog.tatsuru.com/

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  テニスで、相手がすべって転んだときにスマッシュを控えるのは英国紳士的な「フェアプレイ」であり、これができるかどうかで人間の質が判断される。
 テニスの場合、強打するか、相手の立ち上がりを待つかの判断はコンマ何秒のうちに下される。政治的思量の暇はない。

 フェアプレイ精神が身体化されていない人間にはそういうプレイはしたくてもできない。
だから、英国人は「そこ」を見るのである。

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 ジョン・ル・カレの新作『われらが背きしもの』に興味深い場面があった。

 オックスフォード大学で文学を教えている青年ペリーはバカンスで訪れたリゾート地の海岸で、ふとしたきっかけからロシアの犯罪組織の大物であるディマとテニスの試合をすることになる。

 力量の差に気づいたペリーは少しのんびり試合を進めようとした。   
一方的な「虐殺」ではなく、家族たちが見守っている前で必死で走り回るディマのプライドを配慮して、ゲームらしいかたちに整えようとしたのである。

 「サイドを変えたとき、ディマに腕をつかまれて、怒声を浴びせられた。
『教授、あんたおれをバカにしたな』
『僕が何をしました?』
『さっきのボールはアウトだった。あんた、それがわかっていたのに、わざと手を出した。おれはデブの半年寄りで、半分死にかけているから、手加減してやろうとでも思っているのか?』
『さっきの球は、ラインを割ったか割らないか、ギリギリのところでしたよ』
『教授、おれは賭けでテニスをやるんだ。やる以上、何か賭けよう。おれが勝つ、誰もおれをバカにしない。どうだ、1000ドル賭けないか?試合を面白くしようぜ』
『お断りします』
『5000ドルでどうだ?』
ペリーは笑いながら、首を振った。
『あんた、臆病者だな?だから賭けに乗れないんだな』
『たぶんそういうことですよ』とペリーは認めた。」

 そして試合が終わる。ペリーが勝った。ディマはペリーを熱く抱きしめてこう言う。
「『教授、あんたはものすごいフェアプレイ精神のイギリス人だ。絵にかいたようなイギリス紳士だ。おれはあんたが好きだよ。』」
(ジョン・ル・カレ、『われらが背きしもの』、上岡伸雄他訳、岩波書店、2012年、43~44頁)

 この一言がきっかけでペリーとディマはありえないような不思議な絡み合いの中に引き込まれてゆくのであるが、それはともかく、テニスを通じてイギリスの紳士たちは「勝つこと」だけでなく、「どう勝つか」を学習する。
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   ***  以下引用  終  ***


 この《騎士道》に関しては、前にも何処かに書いたような気がするが、その行動に気高さえ感じさせる行いの、ロス五輪で山下泰裕選手と戦った、エジプトの『ラシュワン選手』を何時も思い出してしまう。  右足を負傷して引きずりながら戦う、山下選手の右足を決して攻める事をしないで、彼は銀メタルに終わった。

 昨今の、国際柔道大会に於いて、特に韓国や北朝鮮の選手においては、必ず怪我した所を攻め立てるのが常で、そして勝負に拘る。 その精神構造が、古来からの日本人のメンタリティとは、まったく異なる事を国民は知るべきである。
No~だソーリ、工ダノ、アズミ氏らのメンタリティーは、正に古来の武士道精神とは大きくかけ離れ、そのような輩に成り下がっているのではないかと、思えるようなことが多い。

 この様な姿勢は現在の選挙における戦いにしても同様、民主党員に多く見受けられる。
そう思いたくは無いが、旧来の万物信仰と儒教と仏教の中で幼少期を過ごした日本人、あるいは、父母、祖父母にその様に『躾』をされた日本人の心を受け継いで、この日本を心の休まる国にしようと言う、連綿とした大和民族の、DNAが何処かで断ち切られたからではないかと、ウソの政策を進めて平然としている、政府首脳を診て疑わざるを得ない。
本来の武士道とは、ユートピアを作ろうとして、努力し続ける事であろう。

コメント
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