住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

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紅葉川渓谷の妖精に会った

2012年11月08日 | 日記
  久しぶりに、紅葉川渓谷を訪れた。


 前に、弊ブログの何処かに書いたような気もするが、《花笠音頭》のワンフレーズに、《モミジのテエンンドオーウゥウ》とあるのだが、表向き天童市にモミジの紅葉の乱舞など記憶が無い(筆者の母は天童の山の中)。
 所が、あるとき山寺からスキー場のコスモスの斜面(面白山スキー場)へ向かった帰り道、天童高原に向かう山岳道を通った時であった。 歩けば、大変な距離であるかもしれないが、車では30分かかるか、かからないかのわずかな時間、其処は8分どおりモミジに覆われているようであった。 心が癒されることは間違いないが、なにしろそんなに広い道路ではないので何処にでも止まる訳にも行かない。

 その山道を登りきったところに、天童高原の放牧場が有ったり、なにかダチョウのような鳥が居たりしたものだが、農業の衰退と供にかつての活気も、今は昔、何処かに隠されてしまったようである。 そこにある、キャンプ場でさえも過去の遺跡のような感じがするのは、ひとり筆者だけではないのではなかろうか・・・。 筆者は、どうしてもその天童高原を訪れると、千葉に有った《マザー牧場》と重なった印象になってしまう。 勿論、田舎にはその様なリーダーシップを持ち合わせている人も居ないし、資金を持っている人も居ない。

 話にに聞けば、昔は山寺も天童市の行政管轄だったと言う事を聞いたりするが、いまは山形市の範囲に入っているのは間違いない。 山寺も天童と連なった観光業に対する認識であれば、今現在とは違ってもっと山岳観光の開発も違ったものとなっていたのであろう。 
山形は、蔵王と上山をくっつけた観光開発に、力を尽くすべきと言うのは今でも、間違っては居ないと思うのだが・・ 。



 さて、何処の観光地に行っても《じじばば》が溢れていて、筆者にとっても何等面白いことも無いのだが、時間を見つけては山間地を駆け巡れば《ダイエット》すなわち健康維持が保たれるのでは無いかと期待を抱き続けての事なので、そんな事には構っても居られない。
ところがである、平日の昼に観光地を大きな声で闊歩するのは、関西でも、秋葉原でも主に中国人が溢れていて、いい心持も無いのだが・・。  居た! 中国人であろう、女の人の3人連れとメガネを掛けた陰気臭い、いやいやらしい男の付添い人と・・ 。

 男の人はどうでもよいのだが、年のころは28~40歳くらい、一人は7分丈のお尻にピッタリとしたジーンズ、もう一人は、上着のすそからレースのカーディガンの裾が15センチくらい出ていた。 もう一人は全く記憶が無い。  3人とも、決して派手ではないが、それなりの観光地を訪れるくらいの着こなしをしてきたものと、筆者には窺えた。 大きな岩から、ひょっこりと一番最初に現われたのはレースを上着から出している女の人であった。
いきなり、岩陰から出てきたので、筆者はびっくりしてその人を見た。  その人も、こちらの眼をじっと見ていた。  何か、吸い込まれそうな感じがしたので、筆者は道を急ごうとして川原の石を渡った。 あまりに、どぎまぎしたせいか、向かった先は行き止まりで困った様子で振り返った。
其処には、まだレースの彼女が柔らかに微笑んでいた。  照れ隠しに筆者は『あれっ、こっち道じゃないんだ・・ 』 、『道はこっち・・!』とその女は、今来た自分の後ろの方を指差した。  後に続く3人は、彼女とセットだとは判らなかったが、筆者には年相応の自尊心が有りすぎるくらい有ったので、不謹慎な考えは毛頭無かった。

 帰りは、《コスモスの岡》から山寺に『父母の歯骨』にお参りするつもりで、山寺方面に細い道を急いだ。
レースの彼女とすれ違ってから 小一時間経っただろうか・・ 。  彼女のその笑顔が頭から離れずに、モンモンと運転している時であった。  細いアスファルト道路の先に幾人かの歩行者が見えた。 『アッ・・と思った』。  レースの彼女が、そのうちの一人であった。 筆者は仕事用の『軽のオンボロワゴン車』ガラス窓の曇り止めの為に開けた、窓ガラスのすぐ外にまるで心の中まで見透かすような目で、筆者を見つめていた・・・・ヨウナ気がした。  再び、こころが動転したのが、自分でも良くわかった。  恐らく、レースの彼女にも心の内を全て読まれた・・!

 途中、雨がポツリポツリと落ちてきた。  車の中には2本の傘が有った。  何回引き返そうと思ったか・・ 。  引き返さないで良かったのか、引き返せば良かったのか、この年になってもこういう事は、未だ迷う。  老い先が、無限に有る訳でもないので、こういう事が有ったら悔いの無いようにしようと心に決めても、なかなかそうはいかない。

 父母の奥の院へのお参りは、すっかり忘れてしまっていた。
莫迦騒ぎをするでもない、大きな声を出すでもない、彼女達の名誉の為に言っておけば、恐らく残留孤児2世の娘さん達だったのだろう、と言うことにしておきたい。