日本異心の怪 ⇔ 太陽の党
ハシシタ代表 ⇔ イシワラ代表
《小異を捨てて大同に付く》 と言う言葉とは正反対に、彼らの思惑によるそれらの言い回しは、言葉遊びに等しいほど意味を持たない事となっている。 誰が考えても、現実は『大同を捨てて、小異に付く』 と形となっている。
石原氏の、行く手にはご自分の息子の姿(長男?次男?三男?)が、浮かんでいるのであろうし、 ハシシタ氏の頭の中には、当面の当て馬としては『ネームバリュー』が高いほど、自分が国政に出た場合のインパクトが、強くなると踏んでいるのだろう。
イシワラ氏は、死んでも小沢元代表と一緒に遣るのはいやだと言うし、ハシシタ氏は名古屋弁の『おっちゃん』とはどうしても一緒にやりたくない模様である。 こんな、自分の思惑の先行だけを重要視する姿勢で、第三極になれるとでも思っているのだろうか・・ 。 今日は、改めてイシワラ氏が言いなおしていた、「第三極ではダメなんだ! 第2極でなければ・・・」。
国民の心眼は、そんな二人の目論見を既にお見通しの事ではないのか・・ 。 本当に国民の捨石になる覚悟ならば、3の、4の、ごのとかは言っていられないだろう。 今の状態なら、決して台風の目になることも有り得ないし、政治に新しい風を吹き込む事など100年早い。
イシワラ氏の下に集まるのは、商売女のようにシッカリした自分の固い信念を持ったものが、打算の為に集まる事を好しとする『確信犯』だけで、決して政治的に行動を供にして、思いを遂げようと言う人たちは、一人も居ない事に落ち着くのではないか・・。 どんな政党が寄り集まっても、『扇』と言う形にはなり得ない様な人脈である。 あえて言うなら『イシワラ代表』のもとに集まる人々は、『タマすだれ集団』とでも命名すれば良いのだろうか・・。 どういう風が起きるのか、見てみたいものだ・・。
No~だ総理 ⇔ 発する言葉の一言一言が自分に降りかかっている
現実を、理解できないオバカ代表
アべ総裁 ⇔ 発する言葉の、社会に与える影響、例えば『風が
吹けば、桶屋が儲かる』という、深い因果関係と
言う物を考えられるだろうか・・。
なにより、ご先祖様が『アイツは政治家にしては
ダメだ』と言う風な言葉を発したらしい、と言う
何処かの記事が、頭にこびり付いている。