住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

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傍若無人とは、ダレ・・・?

2012年11月22日 | 日記

  サルが農作物を荒らす、熊が人間を襲う、或いはイノシシが農作物を荒らし人間を攻撃する、そんな報道が頻繁に紙面を賑わす事が多い、僻地の中の僻地の山形。 
人の顔はしているが、まるで『キツネ』と『タヌキ』に囲まれている自覚症状・・。  いや、己自身が見えないだけかも知れないが・・ 。  一人で、奥山に入り『サルの群れ』と遭遇した時には、さすがに筆者でも肝を冷やす。

 かつて、スペイン人やフランス人、イギリス人が新大陸に移住する前は、モンゴロイドであるアメリカンインディアン達が、自由に大地を駆け回ることが出来たところである。
アメリカ大陸の新しい住民(白人)でも、自らの開拓者としての罪を認める人々も居る事は居る。 ビル・トッテン氏等は、その代表的な人の一人であろうと思う。  

 しかし実際は、ディベートが発達した多民族国家の欧米では、基本的に相手に対して、謝罪する事を潔しとする人は、一人も居ないという事はご存知の通りである。
全てにおいて、自分の行動が正しいと言う事が先にあり、その理由付けは後でも一向に差し支えないし、平気で事実を捏造する、そんな事は、幾つかの歴史上の出来事を見れば言葉で説明するより明らかであり、西部劇は何れもその範疇で有ったのだろう。


 コロンブスが、アメリカ大陸に到着した時の事を、日記にしたためていたそうであるが、それを、取り上げているブログが有る。

  ***  以下引用  下記URL より ***
   http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/17a1434cdda9c0046baf53515a62a6cf

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  コロンブスは日記をつけていた。 その日記には、バハマ諸島に上陸した時、先住民は数々の贈り物を手に、海の中にまで出向いて歓迎してくれたと記されている。

  コロンブスが「穏やかで優しい」と形容した先住民は、武器を持たないどころか、その存在さえ知らなかったという。 コロンブスは記す。 「私がサーベルを見せたら、刃のほうを持って手を切ったくらいだった」

 上陸してから数カ月の間、スペインの後援者に宛てた手紙には「彼らは極めて純真かつ正直で、決して物惜しみしない。 乞われれば、何であろうと与えてしまう」と書いている。

  しかし、日記の中に突然、次のような一節が現われる。

 「彼らは立派な召し使いになるだろう。 手勢50人もあれば、彼らを一人残らず服従させられるし、望むことを何でもやらせることができるだろう」。 これが、コロンブスが先住民に対して抱いていた見解である。 客を手厚くもてなす主人としてではなく、自分たちの思い通りのことをやらせるための召し使いとして見ていたのだ。 

  コロンブスの日記には、やたらと「黄金」の2文字が登場する。 最初の2週間の日記には、75回も出てくる。 黄金に目がくらみ、小躍りするコロンブスの姿が目に浮かぶようだ。

  ジン氏が記すように、コロンブスの話で強調されるのは彼の「厚い信仰心」だ。 コロンブスはそれゆえ、先住民に「改宗」を迫ったのだろう。 一行の主な滞在地であるエスパニューラ島には、至る所に十字架が立てられたそうだ。 しかし、それと並べて絞首台も立てられ、1500年には340台を数えているというから、コロンブスの信仰心とは一体何であったのか。

  コロンブスー行の所業には目を覆うばかりである。 先住民が持っているわずかばかりの黄金を見ただけで、大量にあるはずだと思い込み、期限を設けて、黄金を差し出すよう命じた。 そしてそのノルマを達成できなければ、ほかの先住民への見せしめのため、腕を叩き切ったという。

  山に逃げた者は猟犬に追われ、たとえ逃げ切れたとしても、その先に待っていたのは餓死か病死。 いずれにしても死だった。 絶望にうちひしがれた人々は、毒を飲み干した。

  コロンブスらが来たことによって、地上の楽園だったエスパ二ューラ島は急速に人口が減っていった。 もちろん、この「減る」という意味は、ほとんど「死ぬ」と同義である。 もっと正しい表現を使えば、「殺された」ということだ。

  ある学者の推定では、当初30万人いた先住民のうち約10万人が、1494年から96年までの2年間で死亡したという。 1508年にはさらに6万人に減り、1548年には生存者は500人いたかどうかも疑わしい。 これを「ジェノサイド(集団殺戮)」と呼ばずして、何と呼べばいいのだろうか。


  コロンブスらの悪行は、これにとどまらない。 挙げればきりがないし、書いている身としても気分が悪くなる。 しかし英雄の真の姿を知ってもらうためには、今少し、真実に触れておかなければならないとも思う。 

  スペインの国王や融資家たちを驚かせるほどの黄金は、ついに見つからなかった。 そこでコロンブスは何を考えたか。 彼はもう一つの略奪品として、奴隷をスペインヘと送り込み始めたのである。

  彼は500人ほどの先住民を船にぎっしりと詰め込み、大西洋を渡ったが、寒さと病気のために200人ほどが途中で死亡した。 1498年9月の日記に、コロンブスは「三位一体(トリニティ)の神の御名において、売れる奴隷という奴隷をどんどん送り続けよう」と記している。 まったく敬虔なキリスト教徒だ。 後の章で改めて記すが、キリスト教徒は、本当に主であるイエス・キリストの教えに背くことばかりやっている。


  バルトロメー・デ・ラス・カサスという人物がいる。 彼はスペイン出身のカトリック司祭で、コロンブスより30歳ほど年下だ。 いわばほぼ同時代の人物なのだが、ラス・カサスは当時、スペインが国を挙げて進めていた植民・征服事業における数々の不正と先住民に対する残虐行為を告発し、スペイン支配の不当性を訴え続けた。

  ラス・カサスは自身の著書で、インディアンについて次のように記している。
「無限の宇宙の中で、彼らは最も明朗で、邪悪さや不誠実なところがまったくない。 しかし、この羊の檻の中にスペイン人が突然侵入し、貪欲な獣として振る舞い始めた。 彼らは、キリスト教徒には黄金を手にするという絶対的な使命があるとして、殺戮や破壊行為を正当化した」

  そしてラス・カサスは、最も凄惨な現場を目の当たりにする。 それは、兵士がふざけてインディアンを刺し殺し、赤ん坊の頭を岩に投げつけるという信じがたい光景だった。


  「隣人を自分のように愛しなさい」「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたが人にしなさい」。 キリスト教の始祖であるイエスはそう説いたが、1500年の後、彼の信者たちは隣人を刺し殺し、隣人の赤ん坊を平気で岩に投げつけた。

  もともと「所有」という概念がなく、自分の物も他人の物も区別していなかった先住民が、スベイン人のものを手にした場合には、打ち首か火あぶりにされたという。 さらに強制労働に駆り出された先住民の大半は、病気か死に追いやられた。 過重労働と飢えで母親の乳が出ないために、大勢の子供が死んだ。 ラス・カサスは、3カ月で7000人の子供たちが死亡した、と推定している。

  加えて、先住民には免疫のなかった腸チフス、発疹チフス、ジフテリア、天然痘などの病気がヨーロッパから運ばれ、これらを理由に大勢の人が亡くなった。

  コロンブスが上陸した時にはおよそ800万人だった西インド諸島の人口は、約20年後の1514年には、約2万8000人しか残っていなかったという。 要するに、99パーセント以上の先住民が殺し尽くされた計算になる。
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  ***  以上引用  終  ***



 当然と言えば当然だが、新大陸(アメリカ)へのイギリス人とフランス人の移住も、カリブ海を渡ったスペイン人と、何等変わる事が無かったはずである。  福沢諭吉が学んだところのキリスト教の『神の下の平等』には、原住民やインディオは含まれて居なかったのである。

 もしかしたら、有色系のユダヤ人も成りきり白人達によって少数派に落とし込まれた(民族の乗っ取り)のかもしれないが、大量破壊兵器疑惑のイラク戦争も、同じような主旨の元に遂行され、有色人種は白人に逆らってはいけないと言う、暗黙の威圧ではなかったのか・・・?  そして、『TPP』と言う約束事さえも、その一つの道具として使わている・・・ 。

 我々は、この地球(日本に於いても)の先住民である『サル』や『クマ』や『イノシシ』に対して、謙虚である必要は無いのだろうか・・・・・・。  その行いは、白人達が新大陸でインディオ達に対して行なった事と、同様と言えるのではないか・・。  
それとも、ユダヤ教に改宗して、神から選ばれし者として、自らを世界にアピールしようとでも言うのか・・・。