住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

住まいの安全性、食物の安全性、政治の危険性、感動の共有
心と体のリラクゼーション、誰かに秘密を話すストレス解消

悪行は、天が知る・・・

2012年03月20日 | 日記
 この村に住んでいて、何が嫌かと言えば同じ農業に携わる、同じ貧乏人が 《欲》 に囚われる事である。  その《我欲》の為、義理も人情も人の信頼さえも何のそのの、小汚い心情が渦巻き席捲する。 
所謂、人類の歴史など見えず、ただただ『お山の大将』という現実しか見えない情け無い人間が居る事である。  個人的には、その様にして正直な同じ村人達を貶めた人は、決して、赦されるべきでは無いと思っている。

 同じ水田を長い事、命の源としてきた、言わば同じ貧乏人同志、それが土地改良事業という一世一代の『ドサクサ』をいい事に、役員は我先に良田を奪い合って、我が物とした。 彼らの言い草はこうだ、『3代も過ぎれば、誰も言わなくなる・・! 』。  愚かな事だ。 

 その欲望の『DNA』は、後代の目や顔に、その心に深く刻まれると言う事を、彼らは気付かなかった。  彼らの子孫は、代々赦されることの無い罪を背負わされることになったのだ。  前から言い続けているが、この地は 『天知る、地知る、子知る、我知る』 の諺そのものの実験場となったのである。


 油ダヤ民族は、陰謀に満ちた世界を牛耳るような『金満家』は居るが、同じ様な商人の名を欲しい侭にしている『華僑』には、そのような人物が見当たらない事は、久しく言われ続けてきた。  なぜ、金に拘る人が貶められるのか・・・・。  それは人間としての尊厳と引き換えに、彼らは《カネ》 に拘りを持つのだろう・・から。
そういう意味において、農家衆の『お山の大将』と『ホリエモン』 心情においては、何等変わるところが無い。


  ***  以下引用  下記URL より  ***
       http://find.accessup.org/find/ac.asp?q=&key=%82h%82s%81@%83X%83y%83V%83%83%83%8A%83X%83g%81@%8C%7C%8Fp&defaults=Baidu&engine=

 西洋の昔話で、偶然神様に貸しを作った人が、神様に次々に願いを叶えてもらうが、何を得ても満足せず、挙句、「神様にしてくれ」と言ったところ、さすがに神様を怒らせて、せっかく得たものを全て失ったという話があったと思う。

 芥川龍之介の『杜子春』(とししゅん)では、ある若者(杜子春)が仙人に、何度もお金持ちにしてもらうが、最後にやはり、自分も仙人にしてくれと言い、叶えてもたえそうになるが、結局、そんな望みが愚かであることを若者は知る。

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 世俗の欲望を捨てるとはどういうことだろう?

 おしんを知っているだろうか?
家が貧しいため、7歳で奉公に出された明治時代の女性のお話で、日本はもちろん、そういった境遇の女性は世界中に多かっただろうし、世界の中には今でも少なくはないだろう。

 経済が発達すれば、そのようなことはなくなり、人々は幸福になったかに見えるのだが、それもつかの間で、人々はより醜い欲望を持つようになり、一層の不幸を呼ぶ。

 真に幸福な世界は、経済によってもたらされはしない。

 たとえ貧しくても、持っている者が、足りないところに回せば、娘を売るような家などないはずだ。 しかし、持っている者は、自分さえ良ければと、富を独占する。 欲張りということもあるのだが、仏心を出すと、今度は自分が足りなくなるという不安や恐怖もあるのだ。

 しかし、慈悲の心で人に施して不幸になることはない。

 そして、たとえ、そうであっても良いではないか?

 男であれば、自分が辛いことには耐えられても、家族を巻き込むのは嫌だと思うこともあるだろう。 しかし、妻子の方が、はじめから、それでいいという覚悟があれば問題はない。

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  ***  以上引用  終  ***


 《ウソ》 を発信してる震源地が、日本のトップリーダーであれば、日本の僻地とでも言うべきところで、人心が惑うのは已むを得ないことであろうか・・・ 。

 それにしても、先人達が原発の交付金に目が眩んで、山形にそれを持ってこなかった事に改めて感謝したい。
理想を言えば、《金》 に心が縛られる事のないような、この地が『アルカディア』を目指す、県民に溢れて欲しいものです。

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まだまだ続くのか、就職活動

2012年03月20日 | 日記
  やはり、履歴書に 《JIA》 と書かないわけには行かないと、息子は言う。
外見が、健常者と変わりが無いので、身障者で就職と言うわけにも行かない。
疲れ易く、重いものを持つとき気を付ける事と、高いところから降りる時に、骨に衝撃を与えないようにと、子供には言い続けてきたが、その前段の書類選考で落ちるようである。
使用者側にしたら、やはり問題のある子は雇わないで、と云う気持ちはよく分かるが、このような子供でも世の中の一角に挟まって、生きていかなければならないのだ。
《JIA》 の病気の『あすなろ会』の会費も滞りがちになり、もう直ぐ親の脛も無くなりつつある。
どこまで、がんばることが出来るのか時間には限りがある。


  ***  以上 引用  SankeiJp 3/18 より ***

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 平成20(2008)年8月2日朝、村井義郎(65)=仮名=は兵庫県尼崎市の自宅で長男、智志=当時(27)、仮名=の変わり果てた姿を見つけた。 スーツのズボンに白い肌着という出勤時に着る服装のまま、首をつっていたという。

 智志は、死のわずか4カ月前に「正社員」になったばかりだった。 それまでの5年間を、アルバイトなどの非正規労働者として働きながら就職活動に費やしていたのだ。

 智志が大学を卒業したのは、就職氷河期まっただ中の15年3月。前年10月時点での就職内定率は、64・1%だった。 いまや24年3月の卒業予定者で59・9%というさらに厳しい時代を迎えているが、当時でも智志は3年生から応募を始め、書類選考だけで落とされ続けたという。

 ようやく面接にこぎつけた会社からは、容姿をけなされる“圧迫面接”を受け、自信を失ったこともあったが、希望は捨てなかった。 義郎を安心させたいという思いが強かったのだろう。 回り道の末に採用が決まったとき、智志は「やっと正社員になれたよ」と笑顔で報告している。


 就職先は大手飲料メーカーの孫請けで、自動販売機に清涼飲料水を補充する会社。 コンピューター関係の仕事に就きたいという夢を持ち、資格取得に向け勉強もしていた智志にとって、求人広告にあった午前7時15分~午後4時15分という勤務時間は魅力だった。

 だが、実態は違った。 朝は6時台に出社し、清涼飲料水を運ぶトラックの洗車を済ませておかねばならない。 トラックで自販機を回り、商品補充を終えて夕方帰社しても、翌日分の積み込み作業とルート確認、在庫管理などに追われ、帰宅は深夜になった。

 補充自体も過酷な肉体労働だ。 1日のノルマに加え、自販機の故障や客からの苦情があれば、急行しなければならない。 「倒れそうです」。 自殺1週間前の7月26日の日報にはこう記したが、智志だけでなくほかの従業員も「まじで無理!!」とつづっていた。

 「耐えられないなら、辞めてもいいよ」。 姉の寛子(34)=仮名=は何度もいたわったが、智志の答えはいつも同じだった。

 「せっかく正社員になれたんやから、もう少し頑張ってみるよ」


  智志の死後、義郎と寛子は会社を訪ねて遺品を受け取った。そのとき、机の引き出しから見つかったある書類に、2人は目を疑った。 智志が正社員ではなく、元請けの契約社員であると明記してあったのだ。

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  ***  以上引用  終  ***

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