住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

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国産品と輸入品の品質格差

2012年03月11日 | 日記
 韓国から、ブラウン管式のカラーテレビを日本に輸入した頃から、外国製品はずいぶんと雑に作られていると、思って修理した事がある。 基盤の半田付けの状態など、今にもはがれそうなところが何箇所もあった。 そして、回路図が無いのでなぜそうなるのか解らないが、ボリュームを上げれば割れるテレビの音声。 形は日本製品と似ているが実態はまるで違う物が多かった家電製品。

 現在に至っては、殆どの生活雑貨用品が外国製品となってしまったことで、それは益々思いを強くする事になりそうな状況にある。

 果たして、車は大丈夫なのだろうか、薄型テレビは・・・・ ?  テレビに関しては、ソニーと東芝の国内の技術者が大分韓国にスカウトされたと聞くが、トータル的な技術のバランスは、どうなのだろうか・・ 。
かつて、国内の製造業は、カイゼン、QCあるいは”ブレスト”とかの手法で、製造ラインの能率の向上が競ってなされた。 今の製造ラインの従業員がどのくらい、期間従業員で、どの程度が派遣社員か知らないが、派遣社員にとっては会社の製造コストがどう有ろうと、部品の品質も工程削減も《知っちゃーない、》と言う態度なのだろう。 所謂、人間の体に喩えで言えば、会社とは頭だけで、手足はロボットに頼っているようなものではないだろうか・・・ 。
ロボットは、頭と一体感を持つはずも無く、まして頭と同じような目線に立つこともなく、あくまでも単純作業をこなすに過ぎない。 頭が考えている事の、考え落ちなど考えようとする筈も無い。 

 国として、頭は頭、手足は消耗品という、上記と同じような見方をしたら、どういうことになるのだろうか・・ 。
国を、一つの親戚の共同体と考えたら解りやすいのではないだろうか・・ 。  本家の跡取りが未熟な場合、自然発生的に次の順位の人が成り代わり、何事も無かったように共同体の生活は続くのではないだろうか・・・。
思想信条が、余りにも異なるリーダー(例えば攻撃的な外国人)が、其の親戚の頭になったら、ストレスと不満でその親戚一同は、空中分解・・ 、 そして、秩序崩壊から他人(他国)の介入となっていくのだろう。


 話を大きくしすぎたきらいはあるが、言いたい事を解って頂けたのだろうか。 
私は、建築現場での冬の履物は昔から、ゴム長を愛用しているが、最近のものは殆ど国産品は無い。
そして、去年の12月に買った、ゴム長が2月に、もう折り目の所が切れてしまった。
仕事が多いときは、半年に一足位『釘を踏んだり』、『金物に引っ掛けたり』して、消耗していたので気にならなかったが、年相応に仕事が少なくなると同時に、いらぬ事に気が付くようになった。 





 材料の成分とか不純物、製造工程の速度、養生とか、形状を作っただけではやはり,かつての日本製には遠く及ばないそんな気持ちを益々強くするこのごろです。