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まだまだ続くのか、就職活動

2012年03月20日 | 日記
  やはり、履歴書に 《JIA》 と書かないわけには行かないと、息子は言う。
外見が、健常者と変わりが無いので、身障者で就職と言うわけにも行かない。
疲れ易く、重いものを持つとき気を付ける事と、高いところから降りる時に、骨に衝撃を与えないようにと、子供には言い続けてきたが、その前段の書類選考で落ちるようである。
使用者側にしたら、やはり問題のある子は雇わないで、と云う気持ちはよく分かるが、このような子供でも世の中の一角に挟まって、生きていかなければならないのだ。
《JIA》 の病気の『あすなろ会』の会費も滞りがちになり、もう直ぐ親の脛も無くなりつつある。
どこまで、がんばることが出来るのか時間には限りがある。


  ***  以上 引用  SankeiJp 3/18 より ***

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 平成20(2008)年8月2日朝、村井義郎(65)=仮名=は兵庫県尼崎市の自宅で長男、智志=当時(27)、仮名=の変わり果てた姿を見つけた。 スーツのズボンに白い肌着という出勤時に着る服装のまま、首をつっていたという。

 智志は、死のわずか4カ月前に「正社員」になったばかりだった。 それまでの5年間を、アルバイトなどの非正規労働者として働きながら就職活動に費やしていたのだ。

 智志が大学を卒業したのは、就職氷河期まっただ中の15年3月。前年10月時点での就職内定率は、64・1%だった。 いまや24年3月の卒業予定者で59・9%というさらに厳しい時代を迎えているが、当時でも智志は3年生から応募を始め、書類選考だけで落とされ続けたという。

 ようやく面接にこぎつけた会社からは、容姿をけなされる“圧迫面接”を受け、自信を失ったこともあったが、希望は捨てなかった。 義郎を安心させたいという思いが強かったのだろう。 回り道の末に採用が決まったとき、智志は「やっと正社員になれたよ」と笑顔で報告している。


 就職先は大手飲料メーカーの孫請けで、自動販売機に清涼飲料水を補充する会社。 コンピューター関係の仕事に就きたいという夢を持ち、資格取得に向け勉強もしていた智志にとって、求人広告にあった午前7時15分~午後4時15分という勤務時間は魅力だった。

 だが、実態は違った。 朝は6時台に出社し、清涼飲料水を運ぶトラックの洗車を済ませておかねばならない。 トラックで自販機を回り、商品補充を終えて夕方帰社しても、翌日分の積み込み作業とルート確認、在庫管理などに追われ、帰宅は深夜になった。

 補充自体も過酷な肉体労働だ。 1日のノルマに加え、自販機の故障や客からの苦情があれば、急行しなければならない。 「倒れそうです」。 自殺1週間前の7月26日の日報にはこう記したが、智志だけでなくほかの従業員も「まじで無理!!」とつづっていた。

 「耐えられないなら、辞めてもいいよ」。 姉の寛子(34)=仮名=は何度もいたわったが、智志の答えはいつも同じだった。

 「せっかく正社員になれたんやから、もう少し頑張ってみるよ」


  智志の死後、義郎と寛子は会社を訪ねて遺品を受け取った。そのとき、机の引き出しから見つかったある書類に、2人は目を疑った。 智志が正社員ではなく、元請けの契約社員であると明記してあったのだ。

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  ***  以上引用  終  ***


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