なあむ

やどかり和尚の考えたこと

義道 その1

2021年01月13日 05時00分00秒 | 義道
誕生

昭和31(1956)年5月22日に松林寺で生まれた。
同じ日同じ時刻に、松林寺から東に300mほど離れた大場家にも女の子が生まれた。「こっちが生まれる」「いやこっちが先だ」と産婆さんを取り合ったらしい。
不思議なことに、南隣の金田家では兄弟と甥の3人が同じ誕生日で、それが5月22日だ。年数にして15年ほどの間に距離にして500m以内に5人も同じ誕生日の人間が生まれる確率はどれほどだろう。
それがどんな奇遇なのかは別にして、その日松林寺に生まれた男子、それが私である。
お寺の長男であるということで、いずれは僧侶になることを期待してというか準備して、その際にも使える名前として「義道」と名付けられた。ただし、呼び名は「よしみち」であった。得度した際に「ぎどう」と改める算段だったはずだ。
それが、得度とは関係ないタイミングで呼び名が変わることになる。それは、母親の話によると、保育所から小学校に上がる際に、母親の先輩の保母の先生が、「後から呼び名を替えるのなら、学校に入るときに替えてしまった方がいいのではないか」というアドバイスだったらしい。
制度上、得度の年齢は10歳からと定められているので、小学校の途中で得度をした際、昨日まで「よしみち」と呼んでいたのを次の日から「ぎどう」と呼ぶのは周囲も戸惑うだろうし、本人も嫌な思いをするのではないかという配慮からだったと思う。
実際、寺院関係者からは音読みの僧名で呼ばれる人が、親戚や幼馴染からは訓読みの幼名のまま呼ばれる例は多い。そういう意味では、今私を幼名で呼ぶ人がいないというのは、僧侶としての自覚が違うように思うし、使い分けするような煩わしさを感じることはない。それはありがたいことなので、当時の樋渡先生、またそのアドバイスを受け入れてきっぱり切り替えてくれた両親に感謝をしなければならないと思う。
ただ、子どもの頃は「ぎどう」と呼ばれるのが嫌だった。変わっているし、普通ではない。大人になってから、電話で名前を名乗る時、「かんべさんですか?」「さんべです」「下のお名前は?」「ぎどうです」「それ名前ですか?」と言われたことがある。失礼な話だが、苗字も名前も変わっていると名乗るのが嫌になることがある。
実際に得度式を挙げたのは昭和39年8歳の時、本堂改築の落慶式に併せてイベントとして執り行われた。何も分からず、抵抗できる年頃でもなかった。本庁への申請は2年待って10歳の時に出された。
いずれにせよ、寺の長男として生まれたということで、宿命のごとく誰の目にも寺の跡取りであるという見られ方を押し付けられることになる。そのことが悩み多き少年時代を過ごす土台となってしまう。

この続きは、来週水曜日朝5時にUPします。

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