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やどかり和尚の考えたこと

サンデーサンライズ411 悩みから生まれた仏教

2023年04月09日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ
三ちゃんのサンデーサンライズ。第411回。令和5年4月9日、日曜日。

8日はお釈迦様のお誕生日、降誕会でした。
松林寺では、参拝者が花を1本ずつ持ってきてお参りすることにしているので、まだ花のない4月ではなく、月遅れの5月8日に花まつりを勤めています。
今年は全国的に開花が早く、桜の名所では慌てて出店の準備を始めているようです。
雪国の当地も早や梅やこぶしが咲き、枝垂れ桜の蕾も赤くなってきたので間もなく開花するものと思われます。

お釈迦様はおよそ2500年前、今はネパールの国になるルンビニーというところで生まれました。
2016年のネパール地震の後、シャンティの調査で現地を訪れた時にルンビニーにも足を延ばし、「生まれたのはここです」と、その場所を案内されたことがありました。
母親の名前が冠されたマヤ・デヴィという寺院の施設で、四角い建物の中の順路を行くと「ここだ」という印があり、下を眺めるとレンガのような石畳が見えました。
出産時期を迎えたマヤ婦人は、里帰りの途中で産気づき、沐浴した後、優曇華の木の枝につかまったまま男児を出産されたとされています。それがこの場所だという訳です。
その傍に大きな菩提樹があり、それを囲むように地元の仏教僧の姿をした人々が座っていました。
我々が近づくと急に読経のようなものが始まり、それに促されるように菩提樹の根元にひざまずき、線香を供え合掌しました。
寄進するのをせかされるような雰囲気に嫌気がさし、立ち去りました。
その周囲には、各国の仏教寺院が建ち、まるで万国仏教博覧会のパビリオンのようでした。
世界の仏教徒や観光の人々がやって来る、仏教の聖地の一つなのです。

そこから西へ車で1時間ほど走った所に、カピラバストゥーという場所があり、そこの遺跡がお釈迦様が住んでいたカピラ城跡だとされていました。
お釈迦様はこの城の王子として生まれ、青年期に悩み、城を出て修行の生活に入ります。

若き王子シッダールタは、ある日東の門から出て初めて老人を見ます。髪の毛が白く、腰が曲がり、シミと皴だらけの姿を見て従者に尋ねます「この人は何だ」。従者は答えます「この人々は老人です。人は歳を重ねるとみんなこのような姿になるのです」。
南の門を出て初めて病人を見ます。やせ細り、体を曲げて呻き苦しんでいます。「この人は何だ」。従者は答えます「この人々は病人です。人は誰しも体調を崩しこのような姿になるのです」。
西の門を出て初めて死人を見ます。皮膚は黒くなり、目を見開き、口を開けたままピクリとも動きません。「これは人なのか」。従者は言います「人はやがて必ず死んで、このような姿になるのです」と。
そして、北の門から出た時に、初めて沙門(修行僧)を見ます。その清々しい姿にうたれ、あの者のようになりたいと出家することを望むようになります。
「四門出遊」という有名な物語です。


少年の頃から悩み多いシッダールタは、王様が与えてくれる快楽によっても悩みを解消することができず、妃を迎え、我が子の懐妊を知っていよいよ出家することになります。
「我が子が誕生してしまったら出家できなくなる」との思いから、懐妊が出家の背中を押したという説があります。
なので、その子の名前を「ラーフラ(障碍)」と名付けたとも言われます。

カピラ城の遺跡に立ち、東のゲートからジャングルの方に目をやりました。
「ここで悩み、ここから城を出たのか」。
シッダールタが悩んだ同じ場所に立つことができたことは、私にとって、生まれた場所を見るよりも感激でした。
生まれによってお釈迦様が誕生したのではありません。
仏教が生まれたのはお釈迦様の悩みからだと思うところです。
悩んだことのない人には他人の悩みを慮ることなどできないでしょう。
なので、悩み苦しむ人にとっての救いが仏の教えにはあります。
痛い思いをしたとき、その痛みを解消する方法を考えます。
その方法を教えてくれるのがお医者さん、ですから、お釈迦様を「大医王」の異名で呼んだりします。
だからこそ2500年この教えが伝えられてきたのです。
お寺は、開業医という意味合いをもっていたでしょう。
和尚さんは、患者の症状をよく診て薬を処方するお医者さんでもあったはずです。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

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