なあむ

やどかり和尚の考えたこと

シャンティな世界

2014年03月11日 20時40分22秒 | ふと、考えた

やられたらやり返す。やられる前にやる。やられないように強く見せる。

どれも平和だとは思えません。

真の平和は、力の均衡ではなく、戦う意志がないということでしょう。

こちらに戦う意志がなければ、むやみに攻めてくることはない、と私は思ってます。

古代や近代まではあったでしょう。しかし、現代、未来において攻めるというのは鍔迫り合い(つばぜりあい)ではなく、遠隔兵器です。言わば飛び道具。

徐々に攻めるのではなく一気に殲滅させるでしょう。

しかし、現代の国際社会で無防備な国を攻撃すれば、他の国から自国が攻められることになるのは明白ですから、自国以外の全ての国を攻撃するようなつもりでなければ成功しないでしょう。

ましてや核兵器などを使用すれば、相手国のみならず自国を含めて全世界が取り返しがつかないことになることも分かっていますから、あれは全く無意味な兵器だといわざるを得ません。

それでも核兵器を持ちたくなるのは、攻められないように強いところを見せておきたいという虚勢なのだと思います。あるいは怖がらせて何か奪いたいのか。チンピラか。

この国も、いつでも核兵器を作れるように原発を動かして技術者を確保しておく、というのが原発問題の根底にあるようですね。

危険な国だと認識されれば、他の国に攻撃をする口実を与えてしまうことになるかもしれません。

繰り返し、平和は力の均衡によって保たれる状態をいうのではなく、お互いに戦わない意志を信じ合うことだと思います。

理想?そうです理想です。

理想に向かって生きていくのが生きる価値というものでしょう。

相手がある。そうですね。懐に匕首(あいくち)を飲んで笑顔を見せても見透かされるでしょう。

徹底した非暴力、非戦の意志をまず自らが持つことから始めるべきだと考えます。

甘いですか?でも、

戦争をしたいと思う人だけが戦争を語るのです。

ああ、いつからこの国は戦争を語る人が増えたのか。

「シャンティ」、サンスクリット語で、「平和」を意味しますが、それは他との関係においての平和というよりも、自らの心の中の平和、静けさを意味します。

自らの心の静けさをもってこの世界を平和な世界にしていく、というのが仏教的なアプローチと言えます。

シャンティな人が増えることを望みます。

そんな世界がきっと来ると信じる人が増えることを望みます。

全ての世界、全ての人々が平和で穏やかに生きられる日が来ると信じて生きます。