わにの日々-中西部編

在米30年大阪産の普通のおばさんが、アメリカ中西部の街に暮らす日記

忘れられた巨人 カズオ・イシグロ

2018-03-11 | 映画・ドラマ・本
 今週末は、この周辺で唯一の日系スーパーである、テンスケのセールでした。和風ドレッシングやらカップラーメン(←今回の目玉)を買い込み、帰りに外国語書籍のコレクションが豊富なワーシントンの図書館へ。ここには、書棚2棹分の日本語の本があるのです。

 うち一つはノンフィクションと子供向けの絵本。フィクションの選択肢は本棚一個分と限られているので、自分では絶対に買わない本を読む機会にもなります。でも、意外にも読みたかった本に出会って「おおっ」なることも。昨日、正に、その瞬間がありました。文庫を日本のアマゾンから取り寄せようと思っていた、「忘れられた巨人」があったのです。昨年、ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの新作で、とても話題になった一冊です。まさか、翻訳物が図書館にあるとは期待していなかったので、これは嬉しい。

 アーサー王の死後から、ちょっと後。円卓の騎士の中でも若い騎士だったガウェイン卿は老人になり、アーサー王のお陰で国が統一され、ブリテン人とサクソン人が平和に暮らしている時代のブリトンが舞台です。辺境に住むブリトン人の老夫婦、アクセルとベアトリスが、息子に会いに行くため旅に出ます。この老夫婦は村人から阻害されていますが、本人たちも村人も、その理由は覚えていない。雌竜クエリグが吐く「忘却の霧」が、人々の記憶を奪ってしまうから。

 ロンドンは霧の街と言われますし、私の大好きなファンタジー小説で、アーサー王の異父姉モーガナを主人公にした「アヴァロンの霧」のせいで、私のブリトンのイメージは霧。だから、薄ぼんやりとした世界に入り込むのは容易く、薄い霧の立ち込める中、老夫婦の旅路を追っていましたが、最終章で「忘れられた巨人(原題では埋められた巨大なもの)」の正体が明らかになって、「ひょえ~!!」なった。

 思い返せば、特にサクソンの戦士、ウェスタンの言葉を中心に、布石は何度も多く与えられていたのですが、私の頭も薄ぼんやりなので、ここに至るまで気が付かなかったのです。老夫婦のラブ・ストーリーであり、ファンタジーでもある、この作品は、実は人間にとって永遠の、そして現代、正に私たちが直面している民族間の対立や宗教に対して、冷静な論議を突きつけてきたのでした。

 読み終わってからザワザワして、この作品について検索したら見つけたのが、イシグロ自身の、「『忘れられた巨人』においてわたしが書きたかったテーマは、ある共同体、もしくは国家は、いかにして『何を忘れ、何を記憶するのか』を決定するのか、というものでした。わたしは、これまで個人の記憶というテーマを扱ってきましたが、本作では『共同体の記憶』を扱おうと思ったのです。」という言葉でした。納得…

「わたしを忘れないで」で個人の記憶を扱ってからから10年、「忘れられた巨人」で語られるのは、共同体の記憶であり、忘却によって平和が保たれていた世界での、平和を守るために忘却を守護する人々、信仰、宗教への不信、愛と記憶の輪舞です。竜や妖精、鬼が住み、伝説のアーサー王時代を舞台としつつも、そのテーマは普遍的な問いでした。忘れられた(埋められた)物を思い出す(掘り返す)のって、本当に良いことなの?って。だんだん記憶力の堕ちてきたオバサン的には、個人的にも思うこと多し、です。

 イシグロ氏は、「I like the coexistence of gods and the supernatural alongside the banal and the everyday.(神々や超自然が、フツーに日常に共生してるのが好き」とも言っています。これって、とっても日本的じゃないかなって思う。5歳で日本を離れた、英国の作家であるイシグロ氏ですが、これは、無意識のうちに八百万の神の存在を身近に感じ、自然に精霊を見出す日本人的感性を思わせる言葉ではないでしょうか。

 先に、自分では買って読まない本を読んでると書きましたが、内容も作者も知らない本も手当たり次第に読んで解ったのは、どうやら、私は基本的に、関西出身の小説家はすんなり読めるけど、関東出身の作者さんには、引っかかり勝ち(勿論、例外もありますが)ってこと。お聖さんや織田作之助ほどベタでなくとも、東野圭吾を「んなアホな!」と思いつつも楽しめるのは、そのいかにも大阪人的なユーモアが底流にあるせいじゃないかと。司馬遼太郎、筒井康隆、大好きです。あ、でも同郷なのに村上春樹は短編だけ好き…(また脱線)

 ともあれ!今まで読んだイシグロ氏の作品は皆、好きなのですが、この日本人的感性に共鳴するからかも、って、思いました。

 この作品の中で繰り返されるモチーフは、霧と島。この作品の最後、二人は別々に「島」に渡ることになります。時代的に、「島」といえば、アヴァロンです。他の人に合うことはない、その「島」で、二人は再会できるのでしょうか?船頭の言うとおり、二人は類稀なカップルなので、島でも共に過ごすことが出来るのでしょうか?答えは読むものの解釈に委ねられています。私の場合、読み終わった時に私が感じたのは、何とも言えぬ寂寥感でした。

 私がアーサー王伝説にハマったきっかけは、昔むか~しの「燃えろ!アーサー」というアニメですが、今時の若い人も「Fate」シリーズ等でも結構お馴染みだし、何よりファンタジーを読み慣れているので、この作品の世界に、すんなり入っていけるのでしょうか?世の中を達観しちゃった主人公やガウェイン卿世代を含む大人ではなく、希望(厨二病的でもいい)ある世代に、特に最終章への感想を聞いてみたい。

以下、別にどうでもいいこと

 アクセルは、永年連れ添った愛妻を「お姫様」と呼びます。これは、原文を丁寧に訳した結果に違いないのですが、彼の台詞に必ず、お姫様、お姫様が連発されるのは正直、鬱陶しかった。彼がいかに妻を愛し、慈しんでいるかを表すためなのでしょうが、視覚的に文章を「読む」というより「見る」私には、同じ文字が頻繁に繰り返されるのが目障りでした。

 実は私は、かなりの速読。若い頃に比べれば遅くなったとはいえ、それでも相変わらず「勿体無い」読み方をしてしまいます。どうしても、早く先を知りたくて急いでしまう。短気な性格が、こんな所にも現れているのかもしれません

 この特技(?)は、大量の書面情報を短期に吸収することを要求される場合には役に立ちますが、逆に、じっくりと理解・解釈しながら読むのは苦手。「作者の言いたいことは何でしょう」を考えさせる、日本の国語教育は、本を読みながら考える癖をつけるのに役に立つと思うのですが、生憎、私には身に付かなかった。

 この本も、早速、昨夜、読み始めたら、面白くて一気読みしてしまったのですが、ぜーったい!色々と見落としてる。イシグロの前作「わたしを離さないで」は、気に入りすぎて、私には珍しく原語でも読み直したのですが、本作も英語版を読まねばならぬようです。イシグロ氏の落ち着いた文章が好きだし、マンガ以外の同じ本を短期に続けて2回読むのは苦手なので。で、読み終わったら息子らに送りつけて強制的に読ませ、感想を言わせるのさw