エデュコ24期生も過去問演習の流儀に慣れてきました。ただ、中には真剣さの度合いに疑問がつくような作業も見受けられます。「真剣さの度合いに疑問」とは、講師の私たちから見て、あまりにも実力をはるかに超えると思える得点状況を示して見せたり、解き直し作業において、自分なりの解法手順を示していなかったり、ということを指しています。
例年、多くはないものの、エデュコ内で実施する「答案練習会」や「合不合判定テスト」などの公開テストとの出来栄えと、自宅で手掛ける「過去問演習」の出来栄えが異なり、「どちらを信用していいのか」という問い合わせをいただくことがあります。
率直に言えば、「答案練習会」と「合不合判定テスト」の関係では、大きな齟齬が生じることはなく、またその出来栄えは、授業における達成度と相関していると言えます。ですから、「過去問演習」の得点率が高すぎる場合、周りの期待に応えよう、あるいは、自分をよく見せようとするあまり、本意ではない作業に陥っている可能性があります。
そのような場合において見受けられる、解答の傾向とすれば、特に次のような点を挙げることができます。
1:算数の解答において、書かれた式に約分などの具体的なプロセスが見受けられない。条件を整理した書き出しが見られない。解法図・問題図に書き込みがない。
2:国語の文章読解において、本文中にマーキングがされていなかったり、抜出部分を正解していても本文にマークがされていない。選択問題で選択肢文に思考の跡が見られない。
3:理科・社会の解答において、語句記述の正解の度合いが高いのに対して、選択解答の正解の度合いが低い。
また、「改善」としての「やり直し」にみられる、気になる点を挙げると次のような点を挙げることができます。
1:算数の直しの解答式が、解答例とほとんど同じで簡潔すぎる。
2:国語の直しで、正答例だけを記入して、本文中の切り取り部分の再確認などのマークがない。
3:理科・社会の直しで、正答例だけを記入して、「~は、~。」という再確認・備忘録としての整理をしていない。
特に算数の場合、前回述べたとおり、自分の既有知識と結びつけ「要は、こういうことか!」と理解し、そのうえで「その解法を再現できるか」を問うことになるわけで、条件の整理や式の書き出し方は自分なりのものとなるはずです。当然、約分や筆算を伴うノートになるでしょう。
このように書けば、子どもが悪者になってしまうようですが、そうとは言えません。手ごたえを感じ、「いける」と思っていれば、一人でどんどん覚醒していきます。それにたいして、保護者との共通理解がなく、ただただ、不安に思っている子は、自分をさらけ出せないでいるということでしょう。
子どもが「真剣に過去問に取り組む」要件として、子どもに負荷を押し付けるのではなく、行き違いのない共通理解のもと、その「負荷は皆で共有して頑張ろう」という姿勢を、保護者や私たち塾講師こそが示す必要があるといえるでしょう。「真剣な過去問学習」は周りの共通理解が伴って成り立ちます。
修正すべき点があれば、直ちに修正しましょう。