テッカ(湯田伸一)の中学受験伴走記

私立・国立中学受験生を応援し続けて37年。
中学受験『エデュコ』を主宰するテッカ(湯田伸一)の応援メッセージ。

6年生 「合格基準点」を意識して「過去問」に取り組みましょう 

2016-08-30 15:07:04 | 中学受験


 去る8月21日にエデュコ24期生(6年生)対象の「過去問演習説明会」を開催いたしました(参加率98.4%)。ご夫婦で参加いただいたご家庭も多く、確かな共通理解のもと、三位一体で中学受験を成功させたいという意欲が伝わってまいりました。本稿では、説明会の確認事項を前提に、「過去問演習作業」の意義等について再確認してみましょう。


 まず、「過去問演習」をこの時期から始める理由です。原理的にはこの夏期講習の終了段階をもって、子どもたちは受験学習カリキュラムを終了しており、いよいよ、各校固有の出題領域・出題形式・解答形式(解答ロジック)などへの対応力を高める学習へと、内容を変える必要があるからです。

 さらに、9月~1月期といえども通塾は続くわけで、エデュコ生に限らず、自宅でじっくり受験校過去問と向き合える日は、週に2~3日に限られることになります。過去問演習の意義は、とりあえず解けばよいというようなものではなく、課題を見つけ出し改善を図ることにあるわけで、すべてではないにせよ、直近の問題については「過去問研究」を2回くらいは繰り返す必要もあります。だとすれば、この時期から取り組まなければ、納得のいく(後悔しない)受験活動にはなりえないでしょう。

 また、現実には過去問と対峙して初めて、その学校の入試問題との相性、合格の可能性を思い知らされることも少なくありません。仮に、中学受験問題が統一問題なのであれば、ただただ、偏差値をあげることに心血を注ぎ、入試も間近になったころ過去問と向き合えばよいことになるのですが、そうではないことに注意が必要です。
 実際、過去問と取り組んでみて初めて、合格の可能性を予感し受験校変更を余儀なくされ、次善の学校の過去問と慌てて取り組み、準備不足のまま受験を迎える方は少なくないことでしょう。

 ちなみに、私たち講師の立場からは、一人ひとりの子どもの強み・弱み(各学校の入試問題への相性)に関してはかなりの部分を把握しているという自負があります。ただ、学校選びはご家庭(保護者=親権者)の専権事項ですから、自己判断基準に基づき、思い切り受験学習にチャレンジしてください。そのうえで、意義ある共通理解のもと、次善の策もしっかり協議して練り上げていきましょう。


 次に、「過去問演習」の意義について再確認しておきましょう。まず、一般的な「公開テスト」の評価の受け止めかたと、「過去問演習」による得点率の受け止めかたを区別しておきます。前者はいうまでもなく、受験集団における相対評価であり、相手が他の受験生ということになります。これに対して、後者は入試の「合格基準点」と現時点における自身の解答力の距離を把握し、直線的なイメージでどんどんその距離を縮める目的で行うもので、相手は「合格基準点」ということになります。極端な言い方をすると、他人に勝てても、合格点を採れないのでは意味はなく、「合格基準点」を超える力を蓄えられるか否かだけが個々の課題と言えます。

 無論、入試問題では過去問と同じ問題が出るはずもありません。とはいえ、受験校の「出題領域・出題形式・解答形式(解答ロジック)」は、十分に予定調和的といえます。「似て非なるもの」ではなく、受験校の過去問に慣れることこそ、「合格へのショートカット」に違いありません。

 では、「過去問演習」の狙いともいえる「改善可能点(のびしろの可能性)」の算出について確認しておきましょう。
 入試問題作成時の一番の留意点は、入学者選抜という目的に照らして「適正な分布を示す問題を作成すること」です。ですから平均得点率が50%になり、合格基準点の得点率を60%にできるような問題が多くなるのが自然です。実際、エデュコ近隣校の合格基準点の平均得点率は、例年60%前後を示しています。念のために言えば、難関校であっても「適正分布」を目的に平均得点率が50%で、合格基準点の得点率が60%前後である場合が多いことは間違いありません。ですから、「本番で60%を超える力量を蓄えること」が重要です。

 ちなみに、過年度における多くのエデュコ生の場合、過去問に取り組み始めた、この時期の得点率はせいぜい40%前後だったと言えます。ここから、残りの5か月間で20~40%を積み増して合格していったわけです。漠然と取り組むのでなく、強く「合格基準点への到達」を意識して学習していきましょう。

 さて、その具体的な手がけ方と処理の仕方(「改善可能点の算出」)について確認しましょう。
 まず、与えられた解答時間通りに解答してください。そのうえで、正答にできなかった問題に対してじっくり時間をかけて向き合いましょう。「過去問題集」の解説やこれまで手がけたテキスト、授業ノートなどを参照資料として考え直します。例えば算数の場合、解答に50分、考え直しに1時間30分位要すると考えられます。国語・理科・社会についても、保護者会資料を参考にしてください。

 考え直しの後、「出来るに変えられる問題」をしっかりカウントします。この「できるに変えられる問題」を加えた得点率を80%くらいに高められたらしめたものです。エデュコでは、この「できるに変えられる問題を含めた得点率」を「改善可能得点」としています。
 いうまでもなく、それ以上の得点率に達するようであればそれに越したことはないのですが、受験生の平均得点率を50%として作成される入試問題では、簡単に高得点を与えてはくれません。オリンピックでは、金・銀・銅メダルがありますが、入試に金・銀・銅の区別はありません。入試では、銅メダルを逃さない戦術(きっちりと合格基準点を超える力を蓄えること)が求められます。
 大胆に言い換えると、「過去問演習」においては、本番で「出来るとは思えない」1~2割に相当する問題は切り捨ててかまわないと言っていいでしょう。

 「出来るに変えなければならない問題か」「切り捨ててかまわない問題か」の判別が難しい時、「過去問質問票」を提出してください。担当講師は、問題解説に加えて、「しっかり正解したい問題」「出来るだけ正解したい問題」「切り捨てていい問題」の判断を添えてお返しします。


 このように、9月以降の個々の学習は、受験予定校の「過去問演習」が主となるのですが、その対象校には限りが出てきます。例年、エデュコ生に限らず、平均的な受験校数は5~6校に及び、受験生たちは、すべての受験予定校の入試問題を研究し尽くしているわけではありません。
 特定の2~3校以外の受験校への対応力の養成(幅広く応用される基礎力の完成)は、塾の授業が担っているといえるでしょう。受験生は個別の課題克服に専念し、その一方で、塾は学習分野に落とし穴を生じさせないよう、バランスをとり続ける役目を果たす、という活動が続いていくことになります。

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中学受験生のマルつけは本人にやらせましょう 

2016-08-05 00:25:52 | 中学受験


 夏期講習で志木・ときわ台間を電車で移動中、「子どもの自宅学習のマルつけは、親がやるべきか否か」というような議論が、隣の席から聞こえてきました。この時の論点は、「学校の宿題のマルつけを親がやるべきか」というようなものに感じられましたが、この問いは、中学受験学習に引き付けて考えてみても、論争的かもしれません。

 この「マルつけ」に関する私の意見を一言で述べれば、「子どもの学習段階によってその対応は異なってくる」と考えるものです。

 例えば、いわゆる「読み・書き・計算」学習の始まりといえる低学年の場合、子どもたちから見て、マルをつけてくれる母親は「やさしい母親であり、自分のことを見守ってくれる母親、ほめてくれる母親」であることが多いでしょう。ですから、子どもたちから見ても、母親によるマルつけは「やる気にさせてくれる・楽しくさせてくれる対応」といえるでしょう。

 その後、学年が上がってくると、学習の内容を見せたがらなくなってくる子は、少なくありません。それは、思うように答えられなくなったり、間違いが多くなったりすることを保護者に見せたくないという心情が大きいと思われます。
 一方で保護者も、そのような状況に苛立ちを感じ、目が吊り上ってくることになります。子どもたちは、それまで、保護者の干渉を「やさしさ」と受け止めていたものが、「厳しさ」と感じるようになります。ですから、そのような目に睨まれる子どもたちは、だんだん、保護者の干渉を嫌がるようになってきても仕方ありません。

 さらに、中学受験学習を始め、その内容が本格化する5年生くらいになると、ほとんどの子どもたちが、「思うように解けない自分」と向き合わなければなりません。この「思うように解けない自分」を保護者がどう受け止め、どのような対応をするかがとても重要なことと言えるでしょう。

 中学受験学習の内容は、手がける問題全部をマルにできる内容ではありません。入試問題そのものが、平均点を50%くらいに設定し、合否判定にふさわしい得点分布になるように設定される(合格基準点が約60%)わけですから、受験学習の過程においても、ほとんどの子どもたちにとって、手がける問題の半分近くが簡単には解けない問題ということになります。
 この真実を保護者がよく理解し、「出来ない、間違い」があることを肯定し、見守らなければなりません。さらに言えば、子どもの手掛ける問題の6割くらいが正解、4割くらいが不正解となるようなレベルの学習が適切と判断してもいいことになります。

 仮に、保護者がマルつけをし、間違い直しだけを子どもに迫るだけなら、それは子どもたちから見て、出来ないことを子どもに要求しているだけの、無理解な保護者と言われても仕方ありません。「自分は解けないくせに、ちゃんとやりなさいというんだよね。やってられないよね…」という子どもの声は、よく聞かれます。

 また、「保護者がマルつけをする」理由の一つに「子どもがごまかすから」ということが挙げられます。大変きつい言い方をさせていただけば、子どもがごまかすのは「ごまかさなければならない立場に追い込んでいる保護者がいるから」と言うこともできるでしょう。
 「中学受験の学習は、難解な問題が多いよね。できない部分としっかり向き合って、自分のペースで、力のつく自分を楽しみながら、学習しよう」などと「共通理解」を持っていることと、「出来るようになったんだね」という「承認」を常に示しながら、根気よく支援していくことが求められるでしょう。

 他者(保護者)にマルつけをしてもらいたい気持ちが湧くのは、どちらかと言えば、マルの数が圧倒的に多い状況の場合でしょう。この点、中学受験学習の場合、多くの間違いと向き合い続けなければなりません。保護者のマルつけは、たとえ鷹揚な心持で子どもを支援しているとしても、「ダメ出し」や「無理な要求」を口にすることが多くなることでしょう。
 マルつけ、つまり、解答手順の確認は、「出来ないを出来るに変える」という行為であり、子ども自身がそれを果たさなければ、実力の養成にはなりえません。保護者が、マルの数で評価するのでなく、子どもの奮闘ぶりを評価してこそ、子どもはやる気になるに違いありません。
 「ごまかしのない学習を支えるために、マルつけは、子ども自身にやらせること(保護者が関わらないということではありません。出来ない問題と向き合う子どもを励ますということです)」を強く提案いたします。
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