転院先では普通食になり、好物のあんぱんも解禁になりましたが、
すぐに飽きてしまい、食べなくなりました。
内科の他、耳鼻科、泌尿器科での検査や治療、リハビリの毎日。
父は今後介護が必要になるのだと、母のケアマネージャーさんに連絡し、
父が利用できるところはありますかと聞くと、
「ありますよーー!」と明るい返事。
このひと言にどんなに救われたか。
後々、父の担当はこの人じゃなければだめだったなあと思いました。
母とも仲良しで、私は本当に頼りにしていました。
父についてくれた若い男性看護師さんも、
いつも迷惑かけてすみません、と言うと、
「うちのじいちゃんに比べたらかわいいもんですよーー!」と笑っていて、
安心できる存在でした。
病室での介護度認定調査では、質問や動作の確認に憤慨。
こんなに動ける!とアピールしようとしてベッドの上で転げていました。
私は在宅酸素の方法を教わったり、家への介護用品の搬入、各種手続き。
父に○○買って来て、と言われて買って来ると、
もう病院で借りた、とか、ひと目みて「いらない」と言われたり。
検査で移動する時、寒いかなと羽織るものを用意しても、しかめ面。
ある日見舞いに行くと、看護師さんから
「電話しようと思っていたんですよ。床屋に行きたいと言うので、出張床屋さんに
ご家族が電話して下さい」と言われました。
病院によく来ている出張床屋さんを教えてもらい、電話すると、
ちょうど今近くにいるのでこれから伺います、とのこと。
待つのが嫌いな父にはラッキーで、父もさっぱりしたのですが、
いつもこうだと勘違いしてしまい、
次の時には待ち時間があったため、ご立腹でした。
見舞いに行って5分もすると「帰れ」と言うので、
入院用品や着替えの確認をしたりして帰ると、
家に着いたとたん病院から、先生のお話があります、と電話が来て
また行ったり。
うちは、父が元気に入院している時が1番平和でした。
元気にと言うのは、がんの時のように、手術、治療して元気に退院するという
確定がある場合。
母も私ものびのび暮らしました。
しかしこれから介護が始まるという入院、退院に、
うちは緊張、不安しかありませんでした。
すぐに飽きてしまい、食べなくなりました。
内科の他、耳鼻科、泌尿器科での検査や治療、リハビリの毎日。
父は今後介護が必要になるのだと、母のケアマネージャーさんに連絡し、
父が利用できるところはありますかと聞くと、
「ありますよーー!」と明るい返事。
このひと言にどんなに救われたか。
後々、父の担当はこの人じゃなければだめだったなあと思いました。
母とも仲良しで、私は本当に頼りにしていました。
父についてくれた若い男性看護師さんも、
いつも迷惑かけてすみません、と言うと、
「うちのじいちゃんに比べたらかわいいもんですよーー!」と笑っていて、
安心できる存在でした。
病室での介護度認定調査では、質問や動作の確認に憤慨。
こんなに動ける!とアピールしようとしてベッドの上で転げていました。
私は在宅酸素の方法を教わったり、家への介護用品の搬入、各種手続き。
父に○○買って来て、と言われて買って来ると、
もう病院で借りた、とか、ひと目みて「いらない」と言われたり。
検査で移動する時、寒いかなと羽織るものを用意しても、しかめ面。
ある日見舞いに行くと、看護師さんから
「電話しようと思っていたんですよ。床屋に行きたいと言うので、出張床屋さんに
ご家族が電話して下さい」と言われました。
病院によく来ている出張床屋さんを教えてもらい、電話すると、
ちょうど今近くにいるのでこれから伺います、とのこと。
待つのが嫌いな父にはラッキーで、父もさっぱりしたのですが、
いつもこうだと勘違いしてしまい、
次の時には待ち時間があったため、ご立腹でした。
見舞いに行って5分もすると「帰れ」と言うので、
入院用品や着替えの確認をしたりして帰ると、
家に着いたとたん病院から、先生のお話があります、と電話が来て
また行ったり。
うちは、父が元気に入院している時が1番平和でした。
元気にと言うのは、がんの時のように、手術、治療して元気に退院するという
確定がある場合。
母も私ものびのび暮らしました。
しかしこれから介護が始まるという入院、退院に、
うちは緊張、不安しかありませんでした。