きぼう屋

生きているから生きている

平和を創る

2010年08月17日 | 教会のこと
今週の週報巻頭言です。

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「平和を創る」

65年前の今日、日本が戦争に敗れた。
この戦争で
2,000万人のアジアの国々の人たちと
300万人の日本の人たちが命を落とした。
その中で沖縄では20万人、広島では15万人、長崎では9万人が亡くなった。

しかし、戦争に敗れるかたちで、銃を向けあうことはなくなったかも知れないが、
戦争は終わっていない。
広島、長崎ではなお後遺症のために命を落とす人がおられ、具体的に心身に痛みを負う人がおられる。
また愛する人が戦争で死に、今も悲しむ人がおられる。
65年前までの戦争で受けた心身の破壊、痛み、苦しみ、悲しみは、今なお生々しくあり、
それは戦争が生々しく続いているということだ。

キリスト教会は平和を創ることを神からの使命として受けている。
平和は個人の心の問題ではない。
具体的な歴史と、その歴史に共にかかわる人たち全体を問題とする。
すなわち具体的な歴史と絡み合うすべての人の、
その絡み合った心身のすべての平安を問題とする。

つまり
十字架につけられたキリストという具体的な歴史ゆえの救いが平和の根源だ。
聖霊が、絡み合っている歴史の只中の心身たちをなお結び付け、
個々が分断されることを赦さず、
ただ愛を(敵をも愛す愛を)期待するのが平和の根源だ。

そのような世界が、
つまり平和が創られることこそが
神の創造であることを聖書は語る。

「平和を創る者たちは幸い」だ。そして「神の国はその者たちのもの」である。

もし教会が神の国であり、神の国を目指し、神の国を欲するなら、
教会に招かれた者は、
平和を創ることを、80年前後の人生の中心行動とする。
教会に集うわれわれは、
具体的な歴史の只中で、
心の問題に矮小化せず、
平和を創る具体的な行動を選び取る。

今年も本日から日本バプテスト連盟の「平和に関する信仰的宣言」を数回にわけて交読する。
繰り返しこの宣言を読み、心身に刻み、宣言どおりに生きる挑戦を教会のわれわれはする。
すでに教会内に具体的な活動もある。

平和はこうして創られるべきものだ。
そして主と共に終わらない戦争に終止符を打つことを
教会のわれわれは夢見る。