きぼう屋

生きているから生きている

冷えぬ愛

2009年01月02日 | 教会のこと
2008→2009

新しい年を、出来事を、奇跡を、すべてを与えられる時に
その新しいものゆえに
私たちは古きものを
より明瞭に知ることができる

古きものは罪
新しいもの抜きに生きる罪
罪をすべて引き受けてくださる主を知らずに歩む罪
罪の赦しを見逃すゆえに罪にも気づかぬ罪

罪は罪の赦しとの出会いにより初めて知る

新しい年
私たちは今年も明瞭に人が人を辱め殺すことの只中で迎えたことを知る

イスラエルのガザへの空爆、侵攻
ガザのイスラエルのミサイル攻撃は
大戦直後の混乱以降最大規模だ

あっけなく顔が消える
細かく動く顔の筋肉と
それによる喜怒哀楽の表情
目、眉、頬、口のひとつひとつがミクロの単位で綿密に動き
数え切れない種類の表情を作り出してきた顔が
一瞬にして硬直する

もう
のどが震えることもなければ
涙が流れることもない

硬直する瞬間までの
他者、土地、時間、職、学とのつながりが
すべて切れる

キリストに従う者にとって
この土地の殺し合いは他人事になるはずはない

この土地だからこそ
キリストの十字架が
目をそらすことをゆるさないほどの実体を伴って立つ

わたしは
十字架の下にいなければならない

わたしは
十字架の下にいるだろうか


マラナタ
主イエスよ
来てください!

****************

元旦礼拝の聖書箇所は
マタイ24:3~14

今私たちは
戦争で見境なく殺してもいいという時代を再び迎えた

もはや戦闘員と市民の区別はない

そうだ!そもそもその区別が論理矛盾だ

私たちは
戦争をなくすことに真剣にはならなかった
戦争を残すことにむしろ真剣になった
正義の戦争という戦争を支持した

私たちは
自分を守るために相手を殺してもいいという選択肢を残した
そしてその際殺せる人間は戦闘員である!
という論理を無理やりつくった
それを正義の戦争と呼び続ける・・・

キリスト教会が始まってからずっと・・・
ヨーロッパが始まってからずっと・・・

今私たちは
無差別殺人という戦争と正義の戦争のどちらが正しいかという
空しい議論をする

9.11後は無差別殺人を正義の戦争とさえ呼ぶ

しかしここで主イエスは語る!!

そのふたつの戦争ではなく
正義の戦争と戦争放棄とのはざ間に人間は生きていると・・・

実に無差別殺人戦争を語るのは論外である!!と・・・

そしてさらに正義の戦争を戒める・・・

罪人である私たちは
自分を守るために正義の戦争をしてしまう
それは起こるに決まっている(6節、7節)
それを推進する偽預言者もたくさんあらわれる(11節他)

しかし
キリストに従う者は耐え忍び戦争を放棄せよ(13節)

自分を守る
という中心軸にたつときに
人間の愛は冷える(13節)
人間の人間への愛が消えて戦争が起こる(6節他)
人間の自然への愛が消えて災害が起こる(7節)

しかしキリスト者は耐え忍べ(13節)
人間の愛は冷えても
神の愛が冷えることはない!!

人間の愛は古い!
今や新しい神の愛を選びきれ!

そして神の愛を世界の只中で証せよ!!(14節)

すべてを赦しつなげる神の愛を証せよ!!


私たちの生きる世界における徴は
戦争や自然災害が最たるものではない!!

神の愛の証こそが最たるものだ!!(14節)
それこそが世界の徴だ!!

この最たる世界の徴がもっとも新しいものとして始まるゆえに
新年があり
2009年がある

冷えぬ愛で私たちは共に歩む!!!