きぼう屋

生きているから生きている

「キリストにあって」

2009年01月04日 | 教会のこと
今週の週報巻頭言です。

*******************

「キリストにあって」

イエスさまが、
わたしたちみんなのために、
また全世界のために
与えられてからの、
2009年目がスタートしました。
主に心から感謝します。

「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。
古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。(Ⅱコリント)」。

私たちは新しい出来事のたびに、
新しく造られた者として、
すべてが新しくなったこと、そして、古いものが過ぎ去ることに、
感動することがゆるされています。
そして新年を迎えた今こそ、ぜひとも共にその感動を味わいたいと思います。

その際、
古いものが過ぎ去るというのは、
昨年の苦い経験が消えること以上の
奇跡的な感動であることを覚えたく願います。

それは、苦しいことだけでなく、
嬉しいことも気持ちいいことも
成功も名誉も
同じく過ぎ去ることを含みます。

そしてそれらすべてとは全く異なる新しいものを、
今、主が造られ、
わたしたちに与えます。

その新しいものとは、「キリストにあって」すべてがあるという事柄です。
だから、昨年の苦しみ悲しみ喜びなどのすべては、
「自分にあって」のそれら、自分の感覚、感性、感情、知識によるそれらではなくなり、
新しく「キリストにあっての」それらとして造りかえられます。
そしてその奇跡を私たちは覚えます。

ただ、
苦しみも含めて生活状況が一変するわけでもなく、
また苦い記憶が消えることもありません。
しかし、同じ生活、同じ記憶であっても、
それが「キリストにあって」のものとして、
ゆるされ癒され希望にあふれる生活、記憶となって、
私たちに刻まれるという神の奇跡が起こされます。

この救いの出来事を、
乱暴にはなりますが、もっと身近な言葉で言うならば、
私たちは、苦痛や悲痛を、
動じることなくおおらかに、
しかしその重みを失わずに知ることができるし、
また喜びや名誉に興奮することなく、
傲慢にならずに冷静に受けることができる
ということではないでしょうか。

そしてそのいずれも、
互いに愛し愛され、命たちが愛でつながれ、世界が愛で満ちる
という神の目標の下にあることを確認できることでもありましょう。

2009年も「キリストにあって」歩みます。