きぼう屋

生きているから生きている

つまらん人間

2008年09月10日 | 「生きる」こと
祈祷会後
遅い夕食をとりつつテレビを見ていました

キム・ピークさんが紹介されていました
映画「レイン・マン」のモデルとなった方です
脳の学者さんの茂木さんが会いに行っていました

年月日をいうと
どんなに過去でも未来でも
その曜日を当てる
という
特殊な能力も紹介されていました

その瞬間に
わたしの中学校のころの記憶が
鮮明によみがえってきました

同級生の百瀬くんが
おなじように
過去でも未来でも
年月日をいうと瞬時に
曜日を当てることが出来ました

彼も極めて狭い僕らの常識でいうなら
キムさんと同じように
常識の範囲外で行動していました

そんな彼が
学級会で
合唱コンクールの指揮者を決めるとき
大声で
「大谷くんがいいと思います
 めがねをかけるようになったからです」
と言ってくれたもんだから
わたしが指揮をすることになってしまった
ということがありました

ちょうど目が悪くなって
授業中はめがねをかけるようになったころです

担任の樋口先生も
その案を強烈に押しておりまして
わたしは

「理由になってない!」

えらそうにいっておりましたが

もし
いま
わたしが先生をしていて
こういう状況と出会ったなら

百瀬くんの理由は
常識を超えたところの
どえらい理由であると
理解するのだろうと思います

今なら
樋口先生の対応が
理解できるような気がします

また
クラスで誰よりも早く
百瀬君が高校に合格したとき
えらいうれしくて
涙をぼろぼろ流したのも

鮮明によみがえってきます


しかし
それ以上に
百瀬くんをバカにして
ちょっかいを出していたことが
強烈に思い出されます

わたしはくだらん人間であることを思い知らされます

謝ることができたら・・・


茂木先生はテレビで
脳のトレーニングは
アウェーに身を置くこと


言っていました

つまり

他者と出会いつづけること
他者に衝突され続けること

ということなのだろう

私流のことばで理解しました

出会いが
脳をより動かすというか

頭をよくする

ということは
本当だと思います

それこそ

いろんな情報が
複雑に
つながるのが

複雑なままなのに
整理されて
瞬時に
ことばとして
映像として
音として
においとして
感触として

出てくるようになると思います


百瀬くんのことから
自分の小中学校時代が
いろいろと思い出されましたが

ほんと
つまらん人間だったなあ

がっかりします

あの場面で
なんであの人と一緒にいてあげなかったんだろう

あの場面で
あんなに強情になって
とっくみあいをしているのはなんでだろう

なんで
無視してたんだろう

なんで
いじめていたんだろう



そういうひとつひとつの場面を
丁寧に想起しつつ
祈る時間も必要だ

真剣に思いました