きぼう屋

生きているから生きている

出会いを目指して

2012年11月09日 | 聖書を読んでみました
第二コリントの1:15~2:11を読んでみます。
少し長いですが。

パウロの仲間たちが、コリントにて、コリントの仲間たちと会う約束をしているけれども、
なかなかそれが実現しない、という状況のようです。

そしてコリントの仲間たちからパウロへ文句が出ているようでもあります。
「コリントに来るなんて調子のいいこといいやがって。その気なんかなかったんじゃないの?」
「コリントが大変だってわかっているから、うまいこと教会の立て直しができない感じがするから、逃げてるんじゃないの?」
まあ、こんな感じでしょうか。

それに対してパウロは、
コリントにてコリントの教会の仲間と出会う計画は、
「軽はずみ」ではなく、「人間的考え」でもなく、
必ず実現することであり(「然り、然り」)、
実現しないことはない(「否、否」)のだ!と応えます。

また、どうも二つの仲間の間に具体的な事件もあったようで、
その事件でパウロの仲間たちもコリントの教会の仲間たちも傷つき悲しんだ様子がうかがえます。
その原因になった者は、パウロとコリントの誰かのようです。
そして、コリントの誰かは、コリントの教会内でも、だいぶ非難された様子がうかがえます。

つまり、これから出会うという出来事を前にして、
しかし出会いを妨げるものがある状況でして、

実は、私たちもこういうことは繰り返し経験しているのだと思います。

それまでの経験から、あるいは噂などから、
出会う前に、出会うことを避けてしまうことがあると思います。

あるいは、こちら側の気分や体調の問題で、
つまり、自分が苦しくなることを避けるために、
出会う前に、それを拒否することがあると思います。

もちろん、出会いを拒否するだけの十分な理由が過去にあるわけです。

でも、パウロは、出会うという希望を捨てませんでした。
コリントの教会と必ず出会う!(然り)と言い切ります。
しかも、主イエス・キリストが「必ず出会う」という出来事しか持っていないと言います。
神さまが、出会うべき両者を「キリストに固く結びつけ」、「油を注いでくださる」と言います。

つまり、両者は、
人間的には、出会うことが難しくても、
神さまがその両者を特別な者(油そそがれた者)とすることで、
必ず出会いを与える!
と、パウロさんは言うわけです。

しかも、出会うという出来事のために、
すでに頭金(「保証」)である聖霊が与えられているといいます。
聖霊がおられる以上、すでに出会いは始まっているということです。

どんなに出会いたくなくても、出会うのが難しくても、
主イエスにより、
私たちは、すでに出会いに向けて出発しており、
出会うことを目標とかかげることがゆるされ、
それを目標とすべきであり、
それ以外の目標はないということを、
パウロはここで語ります。

そして、この目標に生きることができるのは、信仰に両者が立っているからだ、とも言います。

さて、どうもパウロとコリントの誰かが、両者を悲しませたようで、
多くの人は、ふたりのせいで、パウロの仲間とコリントの教会の仲間が出会うことができないと思っているような感じですが、

パウロは、そのことをひっくり返します。

つまり、
パウロが喜ぶとするならば、それは、パウロが悲しませた人と出会うことによってだ!と言います。
そして、出会うことで、悲しませた人たちが喜ぶときに、パウロも喜ぶと言います。
さらに、
この共に喜ぶことを目指すために、
パウロは「涙ながらに手紙を書いた」ことを告白します。
愛しているからそうしたとも言います。

さらに、コリントの誰かに関しては、
「その人が悲しみに打ちのめされてしまわないように、赦して、力づけるべき」であり、
「その人を愛するようにしてください」とパウロは懇願します。

そして、
誰かが赦したとすれば、それはキリストが赦したことであり、みんな赦すことである、
という、パウロ流の黄金律が語られます。

そして、この赦しこそが、最強の行為であり、赦しによりサタンにつけ込まれない!とパウロは宣言します。

サタンは赦しのないところにつけ込みます。
つまり、人が人をさばくときは、サタンがそこの交わりに入る最大のチャンスであり、
その交わりはキリストの交わりと思いつつも、サタンの交わりになっているかもしれないわけです。
それが「サタンのやり口」とのことです。

赦し!

赦して、出会うことを目指す!
それができるのはキリストがそれしかしない方であり、
神が出会う者たちを特別に出会う者として立ててくださり、
また、実は出会いを目指した時点で聖霊により出会いは始まっているから!!!。

これが、三位一体の神によるキリスト者の歩み。
これがキリストの業。

というところでおしまい。