きぼう屋

生きているから生きている

素人の豊かさ

2006年10月02日 | 教会のこと
きのうの礼拝の奏楽は
高校生のたくみ君がはじめてやってくれました。
キリストに感謝。

キリストが呼びかけてくれてこうなったわけですね。
キリストってのは僕ら人間からみたら
なんとも無謀な呼びかけをするのですけれども・・・
たくみ君はめっちゃ緊張しつつ応えてくれまして・・・
たくみ君に感謝感謝。

ボクたち
キリストからの無謀な呼びかけに応えたいのですよ。
「敵を愛せ」という
めちゃくちゃな呼びかけにも・・・

高校生っていっても
音大ねらうくらいピアノとか練習している人もいるし
そういう人が礼拝奏楽をしている教会もありますが・・・

たぶん
ピアノとかめっちゃ上手い人が礼拝の奏楽をするのと
礼拝の奏楽のためにピアノをなんとかこなそうとするのでは
えらい違いだなあと思ったりします。

たくみ君は礼拝のためにピアノをやったのでして・・・

キリスト教会はプロ化しすぎたような気がするなあ・・・
音楽のプロが奏楽や聖歌隊して
活花のプロが花を生けて
教育のプロが教会学校して
習字のプロが看板書いて

でも昨日の京都教会は面白かった・・・
素人が奏楽して
素人が花生けて
素人が看板書いて
素人がOHPでうつす譜面を懸命に読んで指差して
素人が昼食つくって
素人が教会学校の先生して・・・

いいねえいいねえ
ほんとによかった
技術よりもキリストへの応答のすごみ
ここが鍵

バプテストは
説教の牧会も冠婚葬祭も
素人がやっていいんです、これが。

でも問題もあります。
それは
他者の生命に深くかかわるというとき
素人ではできなくなる範囲がでてくるということ・・・

たとえそれをボランティアでするとしても
他者の生命にかかわることは
プロと同じ資質が求められるということ・・・
失敗がゆるされないケースがほとんどだから

きっとこのあたりで
教会はプロの牧師を雇うのでしょう

なんで牧師が必要なのかという
バプテスト特有の問いがいろいろ議論されてますが
実際はこのあたりのことで・・・
つまり議論するなら
素人で出来ない範囲を丁寧に見るということをしたいなあ・・・
原理はつまらん!!


一方牧師は
そういうところで自分を投げ出す献身を問われるのでありまして・・・

さてさてでもでも
素人でできることは
素人で助け合ってやると、楽しいしうれしいしなによりだと思います。
何度も失敗したっていいのだから・・・
みんな素人だから失敗をとやかく言う資格もなければ・・・
失敗で共感してさらにうれしくなったりする・・・
失敗はうれしくなるハプニングなんですなあ・・

失敗してくれるから、変に人間的な完成度で落ち着くことなく
そこでグラっとなることで
神の完成を知るのだから

というわけで
京都教会のみなさん
これからもいっしょによろしくやっていきましょう。

これから京都教会に行ってみようと思っているみなさま
はやくもいっしょによろしくでございます。