きぼう屋

生きているから生きている

果実

2009年06月01日 | 教会のこと
幸せな一日でした
(もう昨日ですが・・・)

ペンテコステをこれほどまでに豊かにいただいた年は
これまでになかったような気がします

それはペンテコステ礼拝を青年たちが主催した出来事に由るのは間違いないわけですが・・・

Nさんの説教はすばらしかった
出だしの聖書釈義の綿密さにまず感動
もはやわたしはそのあたりの釈義をさぼっているので
反省しつつ聞いておりました

しかししかし
その後の説教本筋部分は圧倒的でした

綿密さに加えて厚みがありました

聖霊という弁護者による決断的生
こそが
真理へと導かれる生

というテーマと受け取りましたが

それを
ドイツの歴史とバルメン宣言
バルトがその時代にぶつけたことばと
ボンヘッファーの聖霊による決断的生
そして日本の歴史と教会の罪責告白

という内容をもって語ってくれまして

これはこれはひさしぶりに聞く
説教たる説教でした

それは
本職の牧師の説教も含めて
この間聞いてきた説教ではぴか一でした

歴史と神学をしっかり学ぶことは
ほんとに大事です

牧師さんたち
一緒にもっともっと学びましょう


Nさんは歴史を学んでいる学生なわけですが

わたし
思わず
牧師にならへん?
と聞いてしまいました

でも強く否定されてしまいました

Nさんは学校の教員になるという希望を持っています
でも歴史をしっかり語る教員も大切なので
その道のためにわたしも力を尽くしたい限りであります



しかし牧師になりたいとなんとなく思ってしまったときには

これまた力を尽くしたいのであります
(献身ってふと起こってしまうので
 そういうときはわたしもすべてを注ぐのです)

また司会もよかったあ
Iさんの初司会でしたが

事前の準備と祈りが充実していたことがよくわかるものでした

祈りは余計なことばがなく
しかしすべてを祈るものでしたし

ひとつひとつの進行も
丁寧に準備されたものでした


というわけで

わたしにとっては
なにしろ充実したペンテコステだったわけです


しかしここにきて
ウチの教会は
またひとつ皮がむけた感があります

赴任当時は
教会メンバーでも
ゲスト気分の人が95%
ホストは5%
という
自他共に認めるところの
正直こまった教会でしたが

6年前くらいに気づくとホストが3割くらいになっておりまして
それがすこしづつ増えてきているとは感じていたけれども

ここにきてホストが5割を超えたと思います

ということは
ウチの教会の交わりは
人を迎え
人を受け
人を愛する
ことが実質可能になったということだと思います


わたしは
ホスト60%を目指しております

(いつか書いたかもしれませんが
 わたしは何事も完璧だとおもう姿の60%が整えば
 実は完璧になる
 と経験上考えているのです)

そうすると
あとはほうっておいても
交わりが交わりゆえに
勝手に成熟し
当然そこで生きる人間も成熟するしかなくなると思います
そういうのを聖霊の業と認識できるのだろうと思います


そうそう
午後の総会も
(今回の総会は簡単なほうの総会で
 がっちりやる総会は2月末ですが)
気づけば出席者が
赴任時の3倍
ほんの2年前の1.5倍
ではありませんか


というわけで

10年やってきたことの
果実を味わうという意味でも
本日(昨日)は幸せでした

みなさん
また来週も一緒に礼拝しましょう

感謝感謝