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Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

梅雨入りの週末

2012-06-11 08:28:24 | 
この週末はいよいよ関東地方も梅雨にはいったと予報が流れている。
庭の陰ではミントや毒だみといった梅雨めいた気候を好む植物が重い湿気を吸い込んで小躍りするように繁茂を重ねている。そんな雨の雫が滴る隠花植物の葉脈模様でもボケーっと眺めているのも梅雨時の至福の一つである。
先週はもいできた梅を氷砂糖で漬ける梅のシロップ漬けを作った。自分流不精生活を拭うロハス指標の一弾をなんとかクリアーした気分だ。真夏を迎えてこれを炭酸水などで割って飲む爽快感は格別で7月には飲み頃を迎えることができそうだ。

今週は1キロ480円という値ごろ感に満ちた鹿児島産のラッキョウを埼玉・小手指在の格安八百屋で購入。土を洗って計5キロの根っこと尻尾きりに専念する。鹿児島や鳥取の砂丘地帯で育ったラッキョウは粘った泥がこびりついていないから下処理がしやすい。産地ブランドの名称が伊達でないことはこの根気を必要とする作業で実感が強まるのだ。

大粒のラッキョウは下処理で目減りしておよそ4キロになる。洗い終えたラッキョウに熱湯を満遍なくかけてからザルで乾かし大きなガラス瓶に詰め込む。そこへ塩水をひたひたに注いで泡がでてくるまで寝かせておく。二三週間も寝かせてから塩抜きをして、そこへ別に作った甘酢を注いでおよそ三ヶ月でラッキョウ漬けが完成する。4キロもあれば春先まで飴色に漬かった甘酸っぱくしゃきっとしたラッキョウの滋味が存分に楽しめることになる。
これは以前にも書いたことがあるが、井伏鱒二作「珍品堂主人」のモデルになった秦秀雄の、この粋人美術鑑定家が書いた「忘れがたき日本の味」(昭和53年文化出版局刊)というエッセイに触発されて以来の食習慣になっている。丹波地方へ古丹波の大甕かなにかを探しに歩いていた旅の途中に農家の庭先でもてなされた「ラッキョウ漬け」の美味に、秦秀雄が驚愕したと思われる描写を読みながら、自分でも挑戦してみようという気分になって以来20数年!手作りラッキョウ漬けもロハス指標の第二弾になっている。これもなんとか今年はクリアーして安堵したばかりだが、今度は梅干し作りというロハス指標第三弾の難所がすぐに控えていて安心できない日々をすごしている。

間一髪の梅もぎ

2012-05-31 19:12:30 | 
スーパーなどの青果コーナーでは梅やラッキョウが積まれて6月の気配が流れている。
毎年、梅干し、らっきょう漬け、梅ジャムなどを自作することがここ20年来の個人的エコ生活の指標になっているので、この時期が近づくとどうしても気分が落ち着かない。勤務先の緑溢れる遊歩道の垣根あたりからクスノキやジャスミンの芳しい匂いが微風にのってくる。小川沿いに自生する桑の大木に繁茂している桑の実も赤く熟し始めてきた。
日向薬師某所の梅もそろそろもいでよい時分だと直感して、三日続く休日の中日にあたる曇天の今日を梅もぎデイとしてバイクで現場へ行ってみることにした。
珍しく直感は的中して今年の青梅は小粒ながら豊作だ。木に攀じ登って梅の実をもぐことにしばらく専念したせいか、およそ4キロの梅が収穫できた。梅干し用にはやはり紀州みなべの南高梅が果肉の洗練度で一番だが、梅酒、梅ジャム素材としては付近の平凡な無印梅で十分に用が足りてしまう。
生誕日の翌日を野生的知覚を鈍化させないで生きられる幸せを梅林の中で味わっていたら、好事魔多し!の喩えのような出来事が起きた。
厄介な山蛭の静かなる襲来だ。梅林の斜面に堆積する枯葉の湿気は山蛭の格好の棲み処だ。ここ数年で丹沢山系の裾野から人里近くにまで増えてしまった山蛭がズボンの裾から靴下の縫い目の隙間にまさに身をよじらせて入り込む寸前に発見!計二匹がいつのまにか足付近に付着しているではないか!
この蛭は皮膚を齧って吸血するが、齧られるときに痛覚を起こさせない忍者もどきの生態がいつもながら始末に終えない。軍手でむしり取って地面に投げつけて難を逃れる。難を逃れても身体のどこかでもぞっとした違和感があれば、山蛭がまだ潜伏しているような錯覚に囚われること屡である。欲にとられてもっと梅をもいでいたらきっと山蛭の
吸血活動は成功してしまっただろう。毎年、梅をもぐことが年中行事化したが、今年のようにいとも簡単に山蛭に出くわすようでは、来年以降の先が思いやられてしまうともいできた梅を水洗いしながらふと思った。

織部と筍煮

2012-04-29 14:07:16 | 
24時間とおしの勤務が明けて日向の山里へ戻ると時計は9時を廻っている。ゴールデンウイークはこれを一日おきに繰り返すと聞いて腰が引けたが、途中にある深夜仮眠で熟睡できたせいか、帰ってきてもなぜか睡魔がやってこない。

借家の敷地は日向薬師の参道に直面している。篤実な家主さんは季節ごとにこの広い敷地に気を配っていて、この冬場には繁っていた竹薮を間引きして積みおきしていた竹の廃材もどけてくれた。おかげで日向薬師へ向かって歩き始めた所に鎮座する江戸時代後期頃の石仏がとてもよい視界を我が家の窓辺にも提供してくれるようになった。

近場のハイキングにはこの付近を歩くのが絶好と思っている人も多いみたいで、GW初日の晴天に恵まれた今朝は鶯の声に混じって人の声も頻繁に聞こえてくる。整理した竹林の竹の子がそろそろ気になってきて地面をためつすがめつしていたら、ちょうど堀り応えのよさそうな中型の竹の子を三本も見つけた。さっそくシャベルにて掘り下げて朝の収穫にする。柔らかな筍を堪能する調理といっても鰹節の出汁で煮こむ母親料理以外のメニューが思いあたらない。皮を剥いでしばらく茹であげることに。掘ってからすぐにに茹でるせいか、灰汁の泡もあまり浮かんでこない。
茹で上げた筍を輪切りしてまっとうに取った鰹出汁に醤油、清酒などで味付けを重ねる。正統派の柔らか極まりない筍煮つけができあがった。筍煮を生かす容器はなにがよいものか?思案していたら、しばらく使っていない美濃地方の現代作家の手になる織部の角向付が思い浮かんできて取り出す。昔、多治見でレンタカーを借りて荒川豊蔵がその昔、発掘したという黄瀬戸の出所でもある大萱付近を廻ったころの購入品だ。
そういえばあの時分にも、山沿いの川ベリでは、山吹の花が垂れていたことを織部に収まった筍煮をつまみながらふと思い出す。

箸休めの小皿

2012-02-17 09:03:16 | 
このあいだ二宮町へ菜の花見物に出かけたとき県道83号線沿いのスーパーの広場でフリーマーケットが開かれていた。見逃すわけには行かないと思いつつ寄り道気分で会場を覗いてみた。ほとんどが古着や贈答品流れの類でこれはという掘り出しものはどこにも見当らない。

余談になるが新宿時代の零細自営業では仕事が深夜に及ぶことしばしばでそんな時は事務所の一角で仮眠する晩も多かった。イベントPAの仕事は人が休む日に仕事をするからしょうがないが楽しみの隙間もあった。仕事が控えていない日曜の朝、たまたま開催日にぶつかる明治公園のフリマも楽しみの一つだった。会場へは慶応大学病院裏手にあった老朽マンションの倉庫から歩いて10分、早朝の外苑西通りは車や人の往来も少なく季節が初夏を迎えるようなときの街路の若葉の揺らぎを眺めるのは幸福だった。

明治公園のフリマでは自分流の掘り出しものをちょくちょく発見した。どこかアジアを流浪してきたらしいフランス人の出店者から買った品物もトリッキーな会話による駆引きが印象に残っている。東南アジアのものと思われるとても下手な鉄絵の小鉢とフランス盤のEPレコードなどの組み合わせで1500円。そのときのEPレコードがフランスバークレイ盤のダリダが歌ったヒット曲集でダリダの濃い目なラテン顔したポートレートに吸い寄せられたものだ。このEPレコードは7年ほど我が居間に鎮座してから、畏友のトーシローさん宅へ去年の秋に1000円で嫁いで行った。この年令になったら生々流転は良いことだと思いだしている。

フリマを見物したら只では帰れない性格のせいか?駄ものだらけの二宮町フリマを凝視していたらちょうどよい一品が見つかった。
九州は福岡県南端にある山里、小石原の焼き物の銘が入っている。それも端物らしい直径10センチほどの小鉢といってよい皿だ。ベージュ色の器体に3個の目跡があって湾曲した内側の縁には、笠間などでもよく使う薄茶と緑の釉薬が不規則な雲の流れみたいにベージュ色にかかって上手く溶け込んでいる。釉薬をかけない土見せ高台付近の上部には斑唐津に見られるような厚ぼったい青みがかった海鼠がけが描け流されされている。高台の削りこみは律儀で力を抜いていない早業が漲っていて、無名民芸者の誇りが伝わってくる。
小石原へは二度訪問したことがある。博多・天神の西鉄バスセンターからバスを乗り継いで二時間余。現地だったらこの小鉢は一枚300円と踏んだ。これは安いでしょう?と瀬踏みしたら出店者の主婦の答えは50円という適正値段で帰ってきた。この小鉢を洗って翌朝の朝食は朝粥の箸休め用に使ってみた。塩こんぶが小石原、梅干しが薩摩の鮫島佐太郎窯の黒角皿、紫蘇が隼人の旗井田窯と期せずして九州勢のトリオが実現した。それにしても小石原の豆鉢が他の二つに力負けしていないことを痛感した。食後の煎茶用急須には久々に朱紅色した辰砂の小石原焼きが登場だ。

2012 元旦の遊び

2012-01-01 12:21:03 | 
夕べは同じ伊勢原でも西端にある大住台にすむ妹夫婦の家で、年越し蕎麦を早めな時間にご馳走になる。施設の無聊生活をいつも嘆いている90の母をクルマで迎えに行き、新年にかけて妹宅で過ごさせるのが目的だ。途中、模様替えして勝手がわからなくなった「わくわく広場」に寄って母が食べたがっている林檎、焼き芋、餡団子等を買ってやる。ここの団子は在の和菓子屋が卸しているから、ヤマザキパンがコンビニに卸しているみたいなメリケン粉の団子ではなく、昔ながらの上新粉を使っている。母は繰言の多さではボケているが、視覚や味覚の言語変換はそこいらのオネーチャンにも負けていない現役だ。さりげなく歯ごたえの柔らかな潰し餡をまぶした串団子を褒め称えながら、施設生活しているとはみ出してしまう、こうした嗜好を束の間の外出で補いたいという意欲をまだ持っていて表現できることがすごい。施設にも不況感が流れていて、今年でた天麩羅蕎麦と去年のものを比較して、蒲鉾の数、天麩羅などの具が減少したり小さくなっていることを、つぶさに観察して我々に報告して笑いをとっている。

暮も押し迫ってからひいた風邪が治らないないから、自宅へ戻り早寝の大晦日になってしまった。つい数日前、初台へ出かけ元自営業時代に助けられたSさんご夫婦と我が知人の4人で談笑する。病気と不意打ちめいた窮乏に囲まれたここ二年だが、Sさんの品格は昔と変わらず明るく安堵する。故郷の福島、縁の深い宮城の震災後の生活を聞いていて思った。独居生活ながら、いつもなら少しは彩を添えた晴れやかな食材を買っていたが、全て今年の正月は無しにすることにした。切り餅を2キロだけ。雑煮に添える野菜類を多少、それだけで元日を迎える。買い置きしてあった蒲鉾とはんぺんを具にした雑煮だけの元旦、マスコミなどでルポされている被災地民と共有できる正月があるとすればそんなことくらいだろう。

今朝新聞で読んだ対談記事中の池澤夏樹、ドナルド・キーンの言葉には、いくつか涙を呼ぶフレーズがこめられていた。

「われわれは震災という一つの物差しをもらいました。震災後、僕は何をするにしても、見るにしても、その物差しを当てて入る気がします」(池澤)

我が食生活は豪奢など本来無縁だが、池澤の語る「物差し」は風化させたくないことを心に念じておきたいものだ。。

薄日がさして山里の新春はほんのりと暖かい。30日に来訪された二人組の置き土産を暇にまかせて元日の遊びとしてみる。近所の渓谷有料釣り場であげた虹鱒だ。これをスモークするという伊勢原スローライフ2012第一ステップだ。チップは林檎と桜を半々、カセットコンロの弱火で半干ししておいた鱒にオリーブオイルを塗って一時間で完成。これは最初の新年客にだしてあげたいつもりで焼いてみた。