視人庵BLOG

古希(70歳)を迎えました。"星望雨読"を目指しています。
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ボタニカルアート

2005-06-12 17:18:45 | 文化
上野の東京芸術大学で開催されている「500年の大系 植物画世界の至宝展」を視てきました。

小さい頃からいろいろな「図鑑」を視ることが好きだった私にとって、写真でなく図による現実の情報にはノスタルジックな魅力を感じます。

普通の絵画のように作品そのものが「鑑賞」の対象でなく、あくまでも現存する「植物」の、
人間にとってもっとも必要な情報を描いている植物画は、写真のもつ情報量と質を凌駕していると思います。

写真の限界、
たとえば長焦点レンズや接写レンズにおける奥行き感の喪失とピントの合う範囲の限界、短焦点レンズによる画面周辺部のゆがみ、
そして単眼の眼差しでしか表現出来ない世界。
またフィルムが持つ被写体の明暗部の再現の限界、勿論色彩表現も。
写真の表現メディアとしての限界を、「人が描く」という行為は現在でも超越していると思います。
そこに私は惹かれているのだと思います。勿論経済性、簡便性では写真にはかないませんが。

展覧会ではたくさんの素晴らしい植物画を視ることができました。

が、一番私が惹かれたのは、
閉じた状態で40x26センチ、開いた状態で40x58センチという、フックスの「新植物誌」(1543年刊)のような、独りでは持ち歩けそうもない重たい大きな「図譜」でした。
昔、「薔薇の名前」という映画を観たことがあります。
中世の修道院の図書室での殺人事件が題材なのですが、その図書室の様子はさながら巨大なデータベースセンターのサーバー・ルームを想像させました。
「情報はここにすべて集約されている。ここに繋がれてのみ情報を得ることが出来る。」ということを実感させられる世界でした。
展示された図譜の、移動不可能な「情報の塊」という存在感に、私は圧倒されたのかもしれません。
アルダスが想定した鞍鞄にはいるサイズの「植物図譜」もみたかったです。
それこそインターネットに繋がれたモバイルノートパソコンの過去形に思えますから。

参考BLOG:池上英洋の第弐研究室



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1 コメント

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Unknown (ike)
2005-06-17 00:05:52
TB&ご紹介いただきありがとうございました。



これから時々きては少しずつ読ませていただきますね。
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