朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

周りを照らす灯の燭台のように、運ばれて

2022-08-16 12:15:59 | 聖書から
私たちは来るべき世代に、
主の栄光と
主がなさった力強い不思議とを
告げよう。詩篇78:4



また、明かりを灯して  
枡(ます)の下に置いたりはしません。
燭台(しょくだい)の上に置きます。
そうすれば、
家にいるすべての人を照らします。マタイ5:15



 列王記上:3:16~28
 歴代誌上11:1~9(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』8/ 16;火)



主を畏れ、
主に心から忠実に仕えなさい。
というのも、ご覧なさい。
どんなに大きな事を主はあなたがたに
してくださったことか。サムエル記上12:24



あなたたちはすべきことに
怠惰(たいだ)であってはいけません。
霊に燃えてください。
主に仕えなさい。ロマ書2:11



 Ⅰコリント10:23~31
 歴代誌上13:1~14(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』8/ 17:水)



    ―――― ☆ ――――



 私たちが聞いて知っていること、
先の人々が語ってくれたこと、
天の神、【主】が行われた、力ある、奇(くす)しいみわざを、
子どもたちに隠さず、後の世代に語り告げるのですね。



子どもたちや人々の前に隠して、
明かりを灯(とも)しても、枡(ます)の下や、ベットの下に置いて
見えなくするようなことはしないで。
部屋を良く照らす所に置いて、
部屋全体を明るくするように。





 あるとき、裁判をしてもらうため、
ソロモン王のところに二人の遊女が来たのだそうです。


その一人が言いました。
「わが君、お願いがございます。
実は、私とこの女とは同じ家に住んでいますが、
私はこの女と一緒に家にいるとき、子を産みました。

私が子を産んで三日たつと、この女も子を産みました。
家には私たちのほか、だれも一緒にいた者はなく、
私たち二人だけが家にいました。

ところが、夜の間に、この女の産んだ子が死にました。
この女が自分の子の上に伏したからです。
この女は夜中に起きて、このはしためが眠っている間に、
私のそばから私の子を取って自分の懐に寝かせ、
死んだ自分の子を私の懐に寝かせました。

朝、私が子どもに乳を飲ませようとして起きると、
どうでしょう、その子は死んでいるではありませんか。
朝、その子をよく見ると、なんとまあ、
その子は私が産んだ子ではありませんでした。」



すると、もう一人の女が言った。
「いいえ、生きているのが私の子で、
死んでいるのがあなたの子です。


先の女は言った。
「いいえ、死んだのがあなたの子で、
生きているのが私の子です。」
女たちは王の前で言い合った。



そこで王は言った。
一人は、『生きているのが私の子で、
死んだのがあなたの子だ』と言い、
また、もう一人は『いや、死んだのがあなたの子で、
生きているのが私の子だ』と言う。」



王が「剣(つるぎ)をここに持って来なさい」と言ったので、
剣が王の前に差し出された。
王は言った。
「生きている子を二つに切り分け、
半分をこちらに、もう半分をそちらに与えよ。」



すると生きている子の母親は、
自分の子を哀(あわ)れに思って胸が熱くなり、
王に申し立てて言った。



「わが君、お願いです。
どうかその生きている子をあの女にお与えください。
決してその子を殺さないでください。」



しかしもう一人の女は、
「それを私のものにも、あなたのものにもしないで、
断ち切ってください」と言った。



そこで王は宣告を下して言った。
「生きている子を初めのほうの女に与えよ。
決してその子を殺してはならない。
彼女がその子の母親である。」



全イスラエルは、王が下したさばきを聞いて、王を恐れた。
神の知恵が彼の内にあって、さばきをするのを
見たからである。(Ⅰ列王記3:16~28)





 この時のソロモン王のように、私たちも、
神である【主】の知恵、光で周りを照らす燭台のように
用いていただき、
いよいよ、この方を畏(おそ)れ敬い、
心から、この方について行きたいと思うのですね。

イエスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方の
力強い働きを受けて。





 また、私たちには、
「すべてのことが許されている」と言っても、
すべてのことが益になるわけではありませんし、
すべてのことが人を育てるとは限りません。
だから、自分の利益だけを求めるのではなく、
ほかの人の利益を求め、ほかの人の益になるように、
すべてを神の栄光を現すためにすることが
私の喜びになるようにも
していただけるのだそうですから。(Ⅰコリント10:23~31) 


【聖である霊】と呼ばれる方の旗泣きの中で。
今日も。





     ~~~~~~~~~~~~~~~



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最も高い地位におられた方が、私たちのために、低く、低く、下ってくださって

2022-08-14 14:00:57 | 聖書から
多くを与えられた者はみな、
多くを求められ、
多く任された者は、
さらに多くを要求されます。ルカ12:48b(8/14の週の聖句)


誰が、主、私たちの神と同じだろうか。
高いところに座し、
天と地を深いとここからご覧になる。
塵(ちり)から
弱いものを起こされる。詩篇113:5~7



神のかたちであったイエス・キリストは、
神と等しくあることを、
奪ってでも得るべき利益とは
みなされなかった。
そうではなく、ご自身を手放され、
僕の形を取られて
人と同じになられた。フィリピ書2:6~7



 フィリピ書3:(4b~6)7~14
 詩篇53(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』8/14;Ⅱ日曜)



    ―――― ☆ ――――


 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たち人間を、大量生産のビスケットのように、
機械的に均一に造られたのではなく、
一人ひとり違っている、個性的なものとして
創造してくださっているのだそうです。


それで、私たち一人ひとり、
みんな、能力や環境、立場が異なります。


そして、多くを与えられている者は、
それだけ、多くを求められ、
多くを任された者は、
それだけ、多く要求される方なのだそうです。
1タラントを与えたものには1タラントの結果を、
5タラント与えたものには、5タラントの結果を求められて。




 この方、天の神、【主】は、
天の高い御位に座しておられる方なのですが、
地の深いところにまで身を低くして、
最も低いところから天と地をご覧になられる方。


【御子である神】は、
神のかたち、神の御姿であられる方なのに、
その立場にしがみつくことはしないで、ご自身を手放され、
【父である神】の御思いを受けて、神としての在り方を捨て、
しもべの姿となり、人間イエスとなられたのだそうです。



人間の中でも、身分の高い者、裕福な者ではなく、
貧しく、見るべき姿も輝きも、
人々が慕うような見栄えもなく、
蔑(さげす)まれ、人々からのけ者にされ、
悲しみの人で、私たちの病を負い、
痛みを担って(イザヤ53:1~4)。



そのうえ、神に呪われたものとして
十字架刑で死刑にされ、
黄泉(よみ)の深いところにまで下られて。




 それで、このイエスの使徒とされたパウロも言います。

「私は生まれてから八日目に割礼を受け、
イスラエル民族、ベニヤミン部族の出身、
ヘブル人の中のヘブル人、
律法についてはパリサイ人、
その熱心については教会を迫害したほどであり、
律法による義については非難されるところがない者でした。


しかし私は、
自分にとって得であったこのようなすべてのものを、
キリストのゆえに損と思うようになりました。


それどころか、私の主
キリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、
私はすべてを損と思っています。
私はキリストのゆえにすべてを失いましたが、
それらはちりあくただと考えています。



それは、私がキリストを得て、
キリストにある者と認められるようになるためです。
私は律法による自分の義ではなく、
キリストを信じることによる義、
すなわち、信仰(神への信頼)に基づいて
神から与えられる義を持つのです。

私は、キリストとその復活の力を知り、
キリストの苦難にあずかって、
キリストの死と同じ状態になり、
何とかして死者の中からの復活に達したいのです。

私はすでに得たのでもなく、
すでに完全にされているのでもありません。
ただ捕らえようとして追及しているのです。

そして、それを得るようにと、
キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。

兄弟たち。私は、自分が
すでに捕えたなどと考えてはいません。
ただ一つのこと、すなわち、
後のものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、
キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、
その賞をいただくために、
目標を目指して走っているのです」と。(ピリピ:5~14)




 私たちも、与えられた場で、
パウロのように前に向かって身を伸ばし、
上に召してくださるという目標を目指して走るのですね。




次のように歌いながら。
愚かな者は心の中で「神はいない」と言う。
彼らは腐っている。忌まわしい不正を行っている。
善を行う者はいない。
神は天から人の子らを見下ろされた。
悟る者、神を求める者がいるかどうかと。
彼らはことごとく背き去り、
だれもかれも無用なものとなった。
善を行う者はいない。
だれ一人いない。


不法を行う者たちは知らないのか。
彼らは、わたしの民を食らいながらパンを食べ、
神を呼ばない。
見よ、彼らは恐れのないところで、大いに恐れた。
神が、あなたに陣を張る者の骨を散らされたのだ。
あなたは彼らを辱(はずかし)めた。
神が彼らを捨てられたのだ。
ああ、イスラエルの救いがシオンから来るように。
神が御民を元どおりにされるとき
ヤコブは楽しめ、イスラエルは喜べ」(詩篇53)と。





このイエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いて下さる
【父である神】の御思いの中を。

この新しい週も。



     ~~~~~~~~~~~~~~~



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私が受けるはずの辱めを、一身に負ってくださった方によって

2022-08-13 10:09:00 | 聖書から
主の僕は言った:
打とうとする者には背中を差し出し、
ひげを抜こうとする者には
頬(ほほ)を差し出した。
辱(はずかし)めとつばきから
私は顔を隠さなかった。イザヤ書50:6


見よ、これが
世の罪を担う神の小羊です。ヨハネ1:29


 フィリピ書2:(13)14~18
 ヨハネ10:31~42(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』8/13;土)



    ―――― ☆ ――――



 天の神、【主】から遣わされた方は、
逆らわず、うしろに退きもせず、
打つ者に背中を差し出してまかせ、
ひげを抜く者に頬(ほほ)を任せ、
侮辱されても、唾(つば)をかけられても顔を隠すことなく、
はずかしめを受けてくださったのですね。



この世の罪、
私たちの創造の目的からの「的外れ」の責任を
一身に負ってくださって。





この方、イエスが受けてくださった
十字架刑での処刑による死によって、
私たちも、この「的外れ」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊を
死んだものと手続きしていただいた者は、
イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
心に、このイエスの性質を置いていただくのですね。



「自分の思いを行うのではなく、
遣わされた方の御思いを行おう」と
【父である神】と思いを一つにしておられるイエスの思いが
私の心にあるようにしていただいて。




私たちがこのようになるために、
【神の御子】である方が人間イエスとして
私たち人間の世界に来られ、
およそ、33歳の頃、十字架刑での処刑を受けられ、
死んで墓に納められ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活され、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語り、
ご自分が確かに生きていることを見せたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に帰られたのですから。



その地位にあって、私たちに、
【聖である霊】と呼ばれる方を遣わし、
この方によって私たちの心に
【父である神】の御思いを置き、書き記して、
私たちのうちに神の御思いがあるようにし、
私たちが【父である神】と思いを一つにして生きるように
なってほしいと。





そのようになると、神の御思いが私たちの心の中で、
私の願いとなり、志(こころざし)となって、
事を行わせてくださるのですから。

不平や疑いの思い、義務感の中ででなく、
平安と喜びの中で。



神は私たちを、非難されるところのない純粋な者とし、
曲がった邪悪な世代のただ中にあって、
傷のない、完全な、神の子どもとしてくださり、
いのちのことばをしっかり握り、
世の人の間で世の光として輝かせようと。


やがて、滅んでしまう無駄な人生ではなく、
神の御前に出たとき、
「忠実な良いしもべだ。
おまえを通してしようと思ったことが全部で来た」
と言っていただける、
誉れを受ける者にしてくださろうと。



たとえ、迫害に遭い、いのちを捧げるようになったとしても、
平安と喜びの中にいる者にと。(ピリピ2:13~18)




 神の御子であられるイエスご自身が
ご自分の民であるユダヤ人から
そのような目に遭われたのですから。


「わたしは自分の思いを行うのではなく、
遣わされた方、【父である神】の御思いを行っている。
わたしと父は一つ思いになっている」というイエスを、
ユダヤ人の律法学者、パリサイ人たちは
石打の刑で殺そうとしたのですから。



そのユダヤ人たちにイエスは答えられました。
「わたしは、父から出た多くの良いわざを、
あなたがたに示しました。
そのうちのどのわざのために、
わたしを石打にしようとするのですか。」


ユダヤ人たちはイエスに答えた。
「あなたを石打にするのは良いわざのためではなく、
冒瀆(ぼうとく)のためだ。
あなたは人間でありながら、自分を神としているからだ。」



イエスは答えられた。
「あなたがたの律法に、
『わたしは言った。「おまえたちは神々だ」』
と書かれていないでしょうか。
神のことばを受けた人々を神々と呼んだのなら、
聖書が廃棄されることはあり得ないのだから、
『わたしは神の子である』とわたしが言ったからといって、
どうしてあなたがたは、
父が聖なる者とし、世に遣(つか)わした者について、
『神を冒涜している』と言うのですか。



もしわたしが、わたしの父のみわざを行っていないのなら、
わたしを信じてはなりません。
しかし、行っているのなら、
たとえわたしが信じられなくても、
わたしのわざを信じなさい。
それは父がわたしにおられ、わたしも父にいることを、
あなたがたが知り、また深く理解するようになるためです。」

そこで、彼らは再びイエスを捕らえようとしたが、
イエスは彼らの手から逃れられた。
そして、イエスは再びヨルダンの川向う、
ヨハネが初めにバプテスマを授けていた場所に行き、
そこに滞在された。


多くの人々がイエスのところに来た。
彼らは「ヨハネは何もしるしを行わなかったが、
この方についてヨハネが話したことはすべて真実であった」
と言った。
そして、その地で
多くの人々がイエスを信じた。(ヨハネ10:31~42)





 私たちも、私たちが受けるはずの辱めを
避けることなく受けてくださった、
このイエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いて下さる
【父である神】の御思いについて行く一日を。

今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~~



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法を、私たちの内にも、もたらして

2022-08-12 11:58:22 | 聖書から
主は抑圧されている者達に
「法」をもたらし、
飢えている者に
食事を与えられる。詩篇146:7



それから,(イエスは)、
七つのパンを取り、
感謝の祈りをささげてからそれを裂き、
配るようにと弟子達にお与えになった。
弟子達はそれを群衆に配った。マルコ8:6



 エフェソ書4:25~32
 ヨハネ10:22~30(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』8/12;金)



    ―――― ☆ ――――



 幸いなのですね。ヤコブの神を助けとし、
その神、【主】に望みを置く人は。


主は 天と地と海
またそれらの中のすべてのものを造られた方。
とこしえまでも真実を守り
虐げられている人に「法」、さばきを行い
飢えている者にパンを与える方。





 その方、イエスは、
人里離れた寂しいところにまで
ご自分について来た多くの人たちを、
「かわいそうに、
この群衆はすでに三日間私とともにいて、
食べる物を持っていないのです。
空腹のまま家に帰らせたら、途中で動けなくなります。
遠くから来ている人もいます」と仰って、群衆を座らせ、
手元にあった七つのパンを取り、
感謝の祈りをささげてからそれを裂き、
配るように弟子たちにお与えになった。
弟子たちはそれを群衆に配った。

また、小魚が少しあったので、
それについて神をほめたたえてから、
それを群衆に配るように言われた。

群衆は食べて満腹した。
そして余りのパン切れを集めると、
七つのかごにいっぱいになった。
そこには、およそ
(壮年の男子だけで)四千人の人々がいた。
それからイエスは彼らを解散させた、のだそうです。




 また、【父である神】は、食べ物だけでなく
私たちの霊性も整えてくださる方なのですね。

 【父である神】の御思いを受けて
【御子である神】が人間イエスとなり、
私たち人間の世界に生まれてくださったのだそうです。

この方、イエスは、およそ、33歳の頃、
旧約聖書でずっと預言されていたとおりに、
私たちの身代わりとなり、十字架刑での処刑を受けられ、
死んで墓に納められ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活されました。


そして、40日に渡って何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
ご自分が確かに生きていることを弟子たちに見せたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されました。



【父である神】は、約束されていたとおりに、
このイエスを通して私たちに、
もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方をお遣わしくださり、
私たちの心にご自身の御思いを置き、書き記して、
私たちのうちにご自身の思いがあるようにし、
私たちがご自身と一つ思いになって生きるように
してくださるのだそうです。(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)





それで、私たちのうちにも、
【父である神】の御思い、ご性質があるように
していただけるのですね。


偽りを捨て、それぞれ隣人(となりびと)に対して真実を語り、
怒っても、憤ったままで日が暮れるようなことにはならず、
怒ったままでいて悪魔に機会を与えるようなことには
ならなくしてくださるのだそうです。


盗みをしている者は、盗まなくなり、
むしろ、困っている人に分け与えるため、
自分の手で正しい仕事をし、
労苦して働くようにしてくださって。



悪いことばを、いっさい口から出さないようにし、
必要なときに、人の成長に役立つことばを語り、
聞く人に恵みを与えるようにしてくださって。

〔生まれたときからの私〕から出てくる思いを先立て、
神の聖霊を悲しませるようなことはせず、
無慈悲、憤り、怒り、怒号、ののしりなどを、
一切の悪意とともに、すべて、イエスの御前に投げ捨て、
互いに親切にし、優しい心で赦し合うように
していただけるのだそうですから。



【父である神】は、御子、イエスにおいて私たちを赦し、
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
私たち一人ひとりが
【父である神】が思われる思いのままに動いていくように
してくださるのだそうですから。
ちょうど、私たちのからだの各部分が、
私の思いのとおりに動いてくれるように。(エペソ:25~32)





イエスが、イエスご自身の思いからは何もせず、
ただ、【父である神】の御思いのとおりに行動され、
それゆえに、「わたしと父とは一つです」(ヨハネ10:30)
と言うことができたように、
わたしたちも、【聖である霊】と呼ばれる方によって
【父である神】と一つ思いになって行動する者に。
「イエスのからだ」の一部分としていただいて、
御思いのままに。

今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~~



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洪水の中、火の中にいるときにも

2022-08-10 07:56:54 | 聖書から
あなたが水の中を渡る時、
わたしはあなたとともにいる。
そして大河を渡るときも、
大河はあなたを溺死(できし)させない。
火の中を行く時もあなたは燃えず、
炎はあなたを焦(こ)がさない。イザヤ43:2



何がそんなに怖いのか、
疑い深い者たちよ。マタイ8:26


 箴言8:12~21
 ヨハネ10:1~10(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』8/10;水)

    ―――― ☆ ――――



 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)がこう言われるのですね。

「恐れるな。わたしがあなたを贖(あがな)ったからだ。
わたしはあなたの名を呼んだ。
あなたはわたしのもの。
あなたが水の中を過ぎるときも、
わたしはあなたとともにいる。
川を渡るときも、あなたは押し流されず、
火の中を歩いても、あなたは焼かれず、
炎はあなたに燃えつかない」と。





 イエスが舟に乗られると、弟子たちも従ったのだそうです。
すると見よ。湖(ガリラヤ湖)は大荒れとなり、
舟は大波をかぶった。
ところがイエスは眠っておられた。
弟子たちが近寄ってイエスを起こして、
「主よ、助けてください。
私たちは死んでしまいます」と言った。

イエスは言われた。
「どうして怖がるのか、信仰の薄い者たち。」
それから起き上がり、風と湖を叱りつけられた。
すると、すっかり凪(なぎ)になった。
人々は驚いて言った。
「風や湖までが言うことを聞くとは、
いったいこの方はどういう方なのだろうか。」(マタイ8:21~27)





 ソロモン王は知恵について次のように記しています。

「知恵であるわたしは賢さを住まいとする。

そこには知識と思慮がある。

【主】を恐れることは悪を憎むこと。

わたしは高ぶりとおごりと、悪の道と
ねじれたことをいう口を憎む。

真理と知性はわたしのもの。


わたしは英知であり、わたしには力がある。

わたしによって王たちは治め、

君主たちは正義を定める。

わたしによって、君主たちは支配する。

高貴な人々も、義のすべてのさばき人もそうだ。


わたしを愛する者を、わたしは愛する。

わたしを熱心に捜す者は、わたしを見出す。

富と誉れはわたしとともにある。

朽ちない財宝も義も。

わたしの果実は黄金よりも、純金よりも良く、

わたしの産物は選(え)り抜きの銀にまさる。


わたしは義の道を歩む。

公正の通り道のただ中を。

それは、わたしを愛する者に財産を受け継がせ、

彼らの宝庫を満たすためである。」(箴言8:12~21)





 また、イエスは言われます。

「まことに、まことに、あなたがたに言います。
羊たちの囲いに、門から入らず、
ほかのところを乗り越えて来る者は、
盗人であり強盗です。

しかし、門から入る者は羊たちの牧者です。
門番は牧者のために門を開き、
羊たちはその声を聞き分けます。
牧者は自分の羊たちを、
それぞれの名を呼んで連れ出します。
羊たちをみな外に出すと牧者はその先頭に立って行き、
羊たちはついて行きます。
彼の声を知っているからです。
しかし、ほかの人には決してついて行かず、
逃げて行きます。
ほかの人たちの声を知らないからです。」


イエスはこの比喩を彼らに話されたが、
彼らは、
イエスが話されたことが何のことなのか、分からなかった。


そこで再びイエスは言われた。
「まことに、まことに、あなたがたに言います。
わたしは羊たちの門です。
わたしの前に来た者たちはみな、盗人であり強盗です。
羊たちは彼の言うことを聞きませんでした。

わたしは門です。
だれでも、わたしを通って入るなら救われます。
また出たり入ったりして牧草を見つけます。
盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、
滅ぼしたりするためにほかなりません。
わたしが来たのは、
羊たちがいのちを得るため、
それも豊かに得るためです。」(ヨハネ10:1~10)





 このように、暴風や荒れ狂う海も従う力と権威のある方、
そして知恵に満ちた方、
そのイエスが私たち一人ひとりの名を呼んで
導いてくださるのですから、
どんな恐れの中にあっても、大丈夫なのだそうです。
いのちを、逸れも豊かに与えてくださる方なのですから。

だから、私たちもイエスと同じように、
「私の思いではなく、あなたの御思いが成りますように」
との思いを
【聖である霊】と呼ばれる方によって
心に置いていただきながら。
神の豊かな扱いの中へと。

今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~~

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