朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

偉大な御業が完成しているのだそうですから

2020-02-18 10:42:43 | 聖書から
大地よ、恐れるな、
喜び躍れ。
主は偉大な御業を成し遂げられた。ヨエル書2:21



 信心の秘められた真理は
確かに偉大です。
すなわちキリストは
肉において現れ、
“霊”において義とせられ、
天使たちに見られ、
異邦人の間で宣べ伝えられ、
世界中で信じられた。Ⅰテモテ3:16



 エゼキエル書33:30~33
 Ⅰコリント9:24~27(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句2/18;火)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)が、
私たちのために
大いなる、偉大なる御業を成し遂げられたのだそうです。


 【御子である神】が、
【父である神】の御思いに従って天の栄光の座を後にして、
女の子孫として(創世記3:15)、
私たちと同じ肉体をとって人として人の世に来てくださり、
神に背いた者、
神からのろわれた者としての
十字架刑での処刑まで受け切ってくださって、
【父である神】と思いを一つにして生きる生き方を全うしてくださり、



 墓に葬られ、
三日目、日曜日の朝、
死人の中かから新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
ご自分が生きていることを見せ、神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
元いた場所、
天の父である神の右の座に復帰されたのだそうです。


 そして、もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を受け入れる者に派遣し、
私たちの心に【父である神】の御思いを置き、
受け入れる者が、
【父である神】の御思いと一つにして生きる道を回復された
(創世記1:26、エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)のだそうですから。
私たちに「義」である生き方を与えようと。



 そして、この喜びの知らせは、
エルサレムから始まってユダヤとサマリヤの全土、
さらに地の果てにまで伝えられ、
世界中、至る所で受け取られ、
約束のとおりに【聖である霊】と呼ばれる方が来られて、
神の御業が起こっている(エゼキエル33:33)のだそうですから。



 それで、私たちも、目標のはっきりしないような走り方、
空を打つようなボクシングをするのではなく、
ただ、知っている、分かったということで満足し、
人に宣べ伝えておきながら、
自分自身が失格者になるようなことにならないよう、
この、イエスによって手続きが完了している
【聖である霊】と呼ばれる方の御業の中に進んでいくのですね。(Ⅰコリント9:24~27)

  

 【父である神】が思われるとおりに生きていく歩みを。
今日も。





(近くの教会を知りたい等、
また、教会に行っていないけれど、
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すべての人に、帰って来てほしい、と

2020-02-17 09:23:19 | 聖書から
地の果てまで、
すべての人が主を認め、
御もとに立ち帰りますように。詩22:28



 神は、
すべての人々が救われて
真理を知るようになることを
望んでおられます。Ⅰテモテ2:4



 申命記32:44~47
 Ⅰコリント9:19~23(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句2/17;月) 


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
地球上のすべての人が【主】を知り、
自分の造り主である神と認めて
ご自身のもとに帰って来るように、

すべての人が、
ご自身がイエスによって用意された救いを受け取り、
ご自身と関わりを持ちながら生きる最初の生き方をしてほしいと
願っておられるのだそうですね。



 それで、イエスは
すべての人の「的外れ」の責任をご自身に負い、
すべての人の贖(あがな)いの代価としてご自身の命をささげ、
十字架刑での処刑を受けてくださっているのだそうですから。



 すべての人が【父である神】の御思いによって生き、
すべての人の日々が長く続くように(申命記32:44~47)、と。



 それで、パウロも、
すべての人がこの神からの恵みのプレゼントを受け取るようにと、

すべての人に仕える者になったというのですね。
律法の下にいる人たちには律法の下にある者のように、
律法を持たない人たちには律法を持たない者のように、
弱い人たちには、弱い者に。



 イエスによるこの喜びの生き方を受け取ってもらうためには
あらゆることをしている(Ⅰコリント9:19~23)、と。



 それで、東の果てに住む私たちにまで
この喜びのニュースが伝えられているのですね。



 私たちもこれを受け取り、
主を認め、御許に立ち返りながら。
今日も。



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頑なな心を耕して、100倍に実を結ぶ良い地に

2020-02-16 08:05:56 | 聖書から
今日、
あなたたちが神の声を聞くなら、
心をかたくなにしてはならない。
ヘブル書3:15(2/16の週の聖句)

 私を苦難から解き放ってください。
憐れんで、
祈りを聞いてください。詩4:2



 悲しむ人は幸いである。
その人たちは慰められる。マタイ5:4



 ルカ8:4~8(9~15)
 詩128(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句2/16;Ⅲ日曜)


 【聖である霊】と呼ばれる方が
【父である神】の御思いを私たちの心に置いてくださっても、
私たちは、その善悪を神に聞こうとしないで
自分の理性の判断で決めていく、
心のかたくなな者なのですね。


 けれども、【父である神】は、
そのような私たちをなお、憐れんで、
私たちの叫びを聞き、
苦難から解き放ってくださるのだそうです。
悲しむ者を慰め、幸いな者としてくださって。



 それで、「聞く耳のある者は聞きなさい」とおっしゃる。
道ばたに落ちて、人に踏みつけられ、
空の鳥が来て食べられてしまった種、



 岩の上に落ちて、成長したが、
水分がないので枯れてしまった種、



 いばらの中に落ちて
いばらにふさがれてしまった種のようではなく、


 耕された良い地に落ち、
百倍の実を結んだ種のように。(ルカ8:4~8)



 次の歌のような幸いな人に。
幸いなことよ。
【主】を恐れ、主の道を歩むすべての人は。
あなたがその手で労した実りを食べること
それはあなたの幸い、あなたへの恵み。
あなたの妻は、家の奥で
たわわに実るぶどうの木のようだ。
あなたの子どもたちは 食卓を囲むとき
まるでオリーブの若木のようだ。
見よ 主を恐れる人は
確かに このように祝福を受ける。
【主】がシオンからあなたを祝福されるように。
あなたは 命の日の限り
エルサレムへのいつくしみを見よ。
あなたの子らの子たちを見よ。
イスラエルの上に平和があるように。(詩篇128 新改訳)

天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)の御思いのとおりの実を結んで。
今日も。ヘブル書3:15(2/16の週の聖句)
私を苦難から解き放ってください。憐れんで、祈りを聞いてください。詩4:2 悲しむ人は幸いである。その人たちは慰められる。マタイ5:4 ルカ8:4~8(9~15) 詩128(通読箇所)(ローズンゲン日々聖句2/16;Ⅲ日曜)
 【聖である霊】と呼ばれる方が【父である神】の御思いを私たちの心に置いてくださっても、私たちは、その善悪を神に聞こうとしないで自分の理性の判断で決めていく、心のかたくなな者なのですね。
けれども、【父である神】は、そのような私たちをなお、憐れんで、私たちの叫びを聞き、苦難から解き放ってくださるのだそうです。悲しむ者を慰め、幸いな者としてくださって。それで、「聞く耳のある者は聞きなさい」とおっしゃる。道ばたに落ちて、人に踏みつけられ、空の鳥が来て食べられてしまった種、岩の上に落ちて、成長したが、水分がないので枯れてしまった種、いばらの中に落ちていばらにふさがれてしまった種のようではなく、耕された良い地に落ち、百倍の実を結んだ種のように。(ルカ8:4~8) 次の歌のような幸いな人に。
幸いなことよ。
【主】を恐れ、主の道を歩むすべての人は。
あなたがその手で労した実りを食べること
それはあなたの幸い、あなたへの恵み。
あなたの妻は、家の奥で
たわわに実るぶどうの木のようだ。
あなたの子どもたちは 食卓を囲むとき
まるでオリーブの若木のようだ。
見よ 主を恐れる人は
確かに このように祝福を受ける。
【主】がシオンからあなたを祝福されるように。
あなたは 命の日の限り
エルサレムへのいつくしみを見よ。
あなたの子らの子たちを見よ。
イスラエルの上に平和があるように。(詩篇128 新改訳)



 私たちも【聖である霊】と呼ばれる方について行って
【父である神】の御思いのとおりの実を結んで。
この新しい週も。



(近くの教会を知りたい、
教会に行っていないけれど、
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目を覚まし、光の中を

2020-02-15 08:34:16 | 聖書から
主の光の中を歩もう。イザヤ書2:5



 あなたがたは
今がどんな時であるかを知っています。
あなたがたが眠りから覚めるべき時が
すでに来ています。
今や、私たちが信仰に入ったころよりも、
救いは近づいているからです。
夜は更(ふ)け、日は近づいた。ロマ書13:11~12



 Ⅰコリント9:13~18(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句2/15;土)



 今がどのようなときであるのか。
夜は更け、昼が近づいている。
イエスが二度目に来られて、私たちを天に引き上げ、
私たちがいつまでもイエスとともにいる(Ⅰテサロニケ4:16~17)
ようにしてくださる時が近づいているのだそうですから。



だから、眠っていないで、
この方との関係がぼんやりしたままにしでいないで、
光の中、
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
はっきりとこの方との関係を持ちながら、
【父である神】の御思いの中を歩んでいこうと言われるのですね。



 私たちと愛し合う関係を望んでおられる神は、
私たちの自由意思を尊重してくださり、
私たちが自発的にその関係を求めることを
望んでおられる(Ⅰコリント9:17)のだそうですから。



 光の中、
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いの中を。
今日も。



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神を侮り、背く思いを、イエスの御前にかなぐり捨てながら

2020-02-14 10:13:05 | 聖書から
なぜ主の言葉を侮り、
私の意に背くことをしたのか。サムエル記下12:9



 すべての重荷や
絡みつく罪をかなぐり捨てて、
自分に定められている競争を
忍耐強く走り抜こうではありませんか。
信仰の創始者また完成者である
イエスを見つめながら。ヘブル書12:1~2


 マラキ書3:13~18
 Ⅰコリント9:1~12(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句2/14;金)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)を侮り、
その御思いを軽んじる思いは、
私たち自身である、〔生まれたときからの私〕という霊から
噴き出してくるのですね。



 それを、イエスの十字架刑での処刑に合わせていただいて
死んでしまっている者から出て来た思いであると認めて、
イエスの御前にかなぐり捨て、イエスに受け取ってもらいながら
走り続けるのだそうです。
この、地上での人生という馳せ場を。


 天の神、【主】から、
「われわれのかたちとして、
われわれの似姿に」(創世記1:26)と願われ、
この方と思いを一つにする者として造られていながら、
自分で善悪を決める者になろうとして、
「神の一人のようになり、
善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)、
「的外れ」になっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊は、
神を侮り、思うのですね。


 「神に仕えるのは無駄だ。
神の戒めを守っても、
万軍の主の前で悲しんで歩いても
何の得になろう。
今、私たちは
高ぶる者を幸せ者と言おう。
悪を行っても栄え、
神を試みても罰を免れる」と。


 けれども、天の神、万軍の【主】は言われるのですね。
「神を恐れる者たち、彼らは、わたしのものとなる。
わたしが事を行う日に、わたしの宝となる。
人が自分に仕える子をあわれむように、
わたしは彼らをあわれむ。
あなたがたは再び、正しい人と悪しき者、
神に仕える者と仕えない者の違いを
見るようになる」(マラキ3:13~18新改訳)、と。


 「脱穀している牛に口籠(くつこ)をはめてはならない」
と命じられた主は、
耕す者が、収穫の望みをもって耕し、
脱穀する者が
分配に受ける望みをもって仕事をするように(Ⅰコリント9:9~10)、
私たちも、その、
神が事を行われる日を待ち望みながら歩むのですね。


 神を侮り、背く思いをイエスの御前にかなぐり捨てながら。

今日も。



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