朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

イエスと一つ霊、一つ思いとしていただいて

2020-02-24 13:41:55 | 聖書から
私たちは自らの道を探し求めて、

主に立ち帰ろう。哀歌3:40



 主と結び付く者は
主と一つ霊となるのです。Ⅰコリント6:17



 ルカ13:31~35
 Ⅰコリント11:17~22(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句2/24;月・振休)


 私たちの歩むべき在り方を求めて、尋ね調べて、
天の神、【主】に立ち返るなら、
【主】は私たちを
ご自身と一つ霊の者としてくださるのですね。



 【父である神】は、【独り子なる神】を
「女の子孫」(創世記3:15)、人間イエスとして、
ダビデの子孫である処女マリヤを通して
ダビデの町ベツレヘムに生まれさせ、
ヘロデ大王の殺意を逃れさせてエジプトへ避難させ、
ヘロデ大王の死後、エジプトから呼び出し、
ナザレに住まわせ、
33歳のころ、エルサレムで、
神に背き、神に呪われた者として、
木にかけて処刑されたのだそうです。



 私たち、すべての人間の身代わりとし、
私たち、すべての人間の背き、「的外れ」の責任を
この方に負わせて。(ルカ13:23)


 【父である神】は、ご自身と
「思いを一つにする者」として造られていながら(創世記1:26)、
これに背き、
「われわれ(神)のうちの一人のようになり、
善悪を知る者になっている(創世記3:5~22)
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
このイエスの十字架刑での処刑に合体させて、
処刑が終わっているもの、
死んだものとしてくださる、というのですね。



 そのうえで、このイエスを通して、私たちに、もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。


 この方によって、私たちの心にご自身の御思いを置き、
私たちの心にご自身の御思いがあるようにし、
受け入れる者が
ご自身と一つ思いによって生きる者に回復させようと。
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)
ご自身と一つ霊としてくださって。



 皆で一緒に集まって一つ食事、「主の晩餐」、
イエスの死による
イエスとの一つを確認しながら。(Ⅰコリント11:20~22)
 今日も。



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イエスが受けてくださった苦難のゆえに

2020-02-23 09:01:48 | 聖書から
今、
わたしはエルサレムへ上って行く。
人の子について預言者が書いたことは
みな実現する。ルカ18:31(2/23の週の聖句)



 ヤコブの子の集いは、
わたしの前に固く立てられる。エレミヤ書30:20



 キリストにおいて、
この建物全体は組み合わされて成長し、
主における聖なる神殿となります。エフェソ書2:21



 マルコ8:31~38
 詩31(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句2/23;Ⅳ日曜・祝) 


 イエスは、
これからエルサレムに上って行こうとされているのですね。
預言者たちを通して書きしるされているすべてのことを
実現しようと。



 ご自身が異邦人に引き渡され、
あざけられ、はずかしめられ、唾(つば)をかけられ、
ムチ打たれ、殺されるために。

けれども、三日目によみがえって。(ルカ18:32~33)



 このイエスが受けられた苦しみの出来事によって、
ヤコブ(イスラエル)の子孫の集いは神の御前に固く立てられ、
その中から一人の治める者が出るのだそうです。



 そして、異邦人である私たちも、
この方、イエス・キリストによって
神の民、神の家族に加えていただいて、
一つの建物として組み合わされ、成長し、
イエスにある聖なる神殿、
神の御住まいとしていただけるのだそうです。



 イエスが、多くの苦しみを受け、
長老たち、律法学者たちに捨てられ、殺され、
三日目によみがえられたことによって
【聖である霊】と呼ばれる方が住まわれるところに。



 だから、私たちも、
イエスが処刑場であるゴルゴダの丘へと、
自分が架かる十字架をかついで進まれたように、
自分の架かる十字架を負って、



 そして、イエスが十字架刑での処刑を受けられ、
それが完了している今は、
私自身である〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑されてしまったもの、死んだものと認めて。(マルコ8:31~35)



 そして、イエスに代わって来て下さる
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いと一つ思いになって。



 「あなたこそ私の神です。
御顔を、しもべの上に照り輝かせてください。
あなたの恵みによって、私をお救いください」(詩篇31:14、16)、と。

この新しい週も。



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神よりも、自分のほうが正しいと思う私たちを

2020-02-22 14:11:15 | 聖書から

お前たちは、
「主の道は正しくない」と言う。
聞け、イスラエルの家よ。
わたしの道が正しくないのか。
正しくないのは、
お前たちの道ではないのか。エゼキエル書18:25



 自分に罪がないと言うなら、
自らを欺(あざむ)き、
真理は私たちの内にない。
罪を公に言い表すなら、
真実な神は、罪を赦し、
不義から私たちを清めて下さいます。Ⅰヨハネ1:8~9



 マタイ13:31~35
 Ⅰコリント11: 2~16(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句2/22;土)



 天の神、【主】から、
「われわれのかたちとして、われわれの似姿に」(創世記1:26)
と願われ、
この方と思いを一つにする者として造られていながら、
もっと素晴らしい者になろうとして、
「神の一人のようになり、善悪を知る」ようになって、
「的外れ」になっている(創世記3:5、22)私たち。



 天の神【主】の善悪の判断よりも、
自分の判断のほうが正しいとして、
自分の理性を神としていく者のようですね。


 それを認めようとせず、
自分を罪、「的外れ」でない者とする者は、
神を偽り者とし、
自分を欺いていて、
真理がない者だと言われるのですね。



 そして、自分の罪、「的外れ」の存在を認め、
公に言い表す者を、
【父である神】は、
【御子】イエスが受けられた十字架刑での処刑で、
処刑が終わったものとし、
死んだものと手続きしてくださるのだそうです。



 そして、【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださって、
その心に、ご自身の御思いを置いてくださって、
私たちの心にご自身の御思いがあるようにし、
受け入れる者が
ご自身と思いを一つにして生きる者に
回復するようにしてくださるのだそうです。



 「われわれのかたち、われわれの似姿」(創世記1:26)の者、
神の国の民へと。



 この神の国の出来事は、
野菜の中で一番小さい「からし種」が、
成長するとどんな野菜よりも大きくなって木となり、
空の鳥が来て、その枝に巣を作るようなことになるのだそうです。



 あるいは、「パン種」が小麦粉の中に混ざると、
粉全体が膨らむような。(マタイ13:31~33)



 この世界においても、
私たち自身の中においても、
家族、夫婦の関係の中にも。



 伝えられた「ことば」がそのとおりに実現して。(Ⅰコリント11:2~16)



 神は正しくないと思う私たちにも。
今日も。



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幸いなのは

2020-02-20 09:41:58 | 聖書から
神の言葉:
お前たち(イスラエル)は、
わたしが繰り返し語り続けて来たのに
聞き従おうとしなかった。エレミヤ書35:14



 幸いなのは
神の言葉を聞き、
それを守る人である。ルカ11:28



 Ⅰテサロニケ1:2~10
 Ⅰコリント10:14~22(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句2/20;木)



 天の神、主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は
繰り返し語りかけておらえれるのだそうですけれど、
私たち人間は、自分の理性による善悪の判断を優先して、
この方に聞き従おうとしないようですね。



 けれども、イエスは言われます。
「幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです」、と。



 神の言葉は、
これを伝えることをゆだねられた人たちによって、
ことばだけでなく、
力と聖霊と強い確信を伴って、
私たちのところに届いているのですね。



 それで、多くの人が聖霊による喜びをもって
みことばを受け入れ、イエスに倣(なら)う者となっています。



 自分一人で善悪を判断していく
自分の理性を神としているところから
生けるまことの神に立ち返り、
この神に仕えるようになり、
人となられた【御子である神】、イエスが
天から来られるのを待ち望むようになって。



 この【御子】イエスこそ、
【父である神】が死者の中から最初によみがえらせた方、
やがて来る御怒りから
私たちを救い出してくださる方なのだそうですから。



 私たちのからだが、
食べた物、飲んだ物から出来ていて、
食べた物、飲んだ物と一つであるように(Ⅰコリント10:16~17)、
心にも、神の言葉を入れていくなら、
神と思いを一つにしていくことができるということなのでしょうね。



 天の神、主は、私たちが、
エデンの園でのアダムとエバのように
サタン(悪霊)のささやきに乗って、
自分の理性を神とし、
その善悪の判断で生きる生き方から、
神のことばを聞いて(読んで)、
イエスと同じように神と心を一つにする、
幸いな生き方に立ち返ってほしいと
願っていてくださるようですね。

今日も。



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神との和解を受け取った者として、御前に立てるように、と

2020-02-18 21:29:32 | 聖書から
神々の神、主は、御言葉を発し、
日の出るところから日の入るところまで、
地を呼び集められる。詩50:1



 神はキリストによって
世を御自分と和解させ、
人々の罪の責任を問うことなく、
和解の言葉を
私たちにゆだねられたのです。Ⅱコリント5:19



 ルカ6:43~49
 Ⅰコリント10:1~13(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句2/19;水)


 神々の神、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
日の出るところから日の沈むところまで、
地球上すべての所から人々を呼び集められ、
それぞれの仕業に応じて報いを与えられるのだそうです。



 それで、最初の創造の目的から的外れになり、
造り主である天の神、主に
対立、対抗する生き方しかしていない私たちを、
神はなお、大切に思ってくださって、
私たちの「的外れ」の責任を私たちに問わないで済むようにと、
【御子である神】を「女の子孫」(創世記3:15)として
人の世に派遣し、
およそ33歳のころ、
この方を私たちすべての人間の身代わりとして立て、
神に背いた者、呪われた者として十字架刑で処刑し、
私たちすべての人間の処罰が終わったこととし、
ご自分と和解するようにと道を開いてくださり、
その和解の招きを私たちが届けるようにと
私たちにゆだねてくださっているのだそうです。



 木はそれぞれ、その実によってわかります。
いばらからいちじくを採ることはなく、
野ばらからぶどうを摘むこともないように(ルカ6:44)、
「神の一人のようになり、
善悪を知るようになった」(創世記3:5、22)
「的外れ」の、
〔生まれたときからの私〕という私たち霊から出て来る思いは、
良いことであっても、
天の神、主に対立、対抗する思いなのですね。



 それで、【父である神】は、
その、私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
イエスが受けてくださった十字架刑で処刑に合体させて、
処刑が終わったもの、死んだものとしてくださるのだそうです。



 そのうえで、【父である神】は、
墓に葬られたイエスを、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しいからだに復活させ、
40日にわたって何度も弟子たちに現れさせ、
イエスが生きていることを見せ、
神の国のことを語らせたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
ご自身の右の座に復帰させなさったのだそうです。


 そして、このイエスを通して
もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣してくださって、
この方によって、ご自身の御思いを私たちの心に置き、
私たちの心に
ご自身の思いがあるようにしてくださるのだそうです。



 受け入れる者が
ご自身と思いを一つにして生きるように(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)、と。



 良いものが出て来る良い霊にし、
自分の理性による「善悪の判断」という
砂の上に人生という家を建てていた私たちを、
【父である神】の、イエスの思いを土台とした岩の上に
人生を建て上げる者に(ルカ6:45~49)、と。



 悪をむさぼること、
偶像礼拝、座っては食べたり飲んだりし、
立っては戯(たわむ)れること、
神を試みること、不平を言うことなど、
神の御心に適わないことへの誘惑から
脱出させてくださって(Ⅰコリント10:5~13)。



 イエスにより、神と和解した者として
神の御前に出て行くように、と。

今日も。



(近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、

教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、

等の方、
お問い合わせは、
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