朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

分け隔て、えこひいきはないのだそうです

2015-12-03 23:59:50 | 聖書から
その日には、

 人間の高ぶる目は低くされ、

  傲慢なものは卑しめられ、

   主はただひとり、高く上げられる。イザヤ書2:11




神は

  人を分け隔てなさいません。ロマ書2:11




        (ローズンゲン日々の聖句12/4;金)




 終わりの日に、多くの民が来て言うのだそうです。

「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。

主はご自分の道を、私たちに教えて下さる。

私たちはその小道を歩もう。」と。

それは、シオンからみおしえが出、

エルサレムから主の言葉が出るのだそうですから。




主は国々の間をさばき、

多くの国々の民に、判決を下すのだそうです。

それで、もう、戦争はなくなり、彼らはその剣を鋤に、

その槍を鎌に打ち直し、

国は国に向かって剣を上げず、

二度と戦いのことは習わなくていいようになるのだそうですね。

そして、人間が自分の手で造った神々は消え失せ、

まことの神、生ける神、主だけが高められるようになるのだそうです。(イザヤ2:2~18より)




そのさばきに、分け隔てはないのだそうです。

神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになるのだそうですから。




忍耐をもって善を行い、

栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、

永遠の命を与え、

党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、

怒りと憤りを下されるのだそうですね。




患難と苦悩とは、宗教家であろうと無宗教の人であろうと、

悪を行うすべての者の上に下り、

栄光と誉れと平和は、宗教家をはじめ無宗教の人にも、

善を行うすべての人の上にあるのだそうですから。

神のさばきは、神がキリスト・イエスによって

人々の隠れたことをさばかれる日に行われるのだそうです。(ロマ2:6~16より)




 それで、もし、自分の行いではとうてい、この方の前に立つことができないことを認める人は、

天の神、主が用意してくださっている、御子イエスの十字架刑での死による赦しと救いをいただいて、

処刑済みの手続きをしていただき、

聖である霊と呼ばれる方をお迎えして、新しく生きることができるのだそうですね。

今日。


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