朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

医者として、悩む者を招き、健康な者にして下さり

2021-10-29 22:15:30 | 聖書から
わたしは主、
あなたの医者(癒す者)である。出エジプト記15:26


日が沈むと、様々な病に悩む人たちが
イエスのところに連れてこられた。
イエスは一人一人に
手を置いて癒

いやされた。ルカ4:40



 Ⅱテモテ2:1~5(6)
 ルカ14:25~35(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』10/30;土)



     ―――― ☆ ――—―


 イエスは言われました。
「医者を必要としているのは、健康な人ではなく病人です。
わたしが来たのは、
正しい人を招くためではなく、罪人を招いて
悔い改め(神に立ち返らせる)させるためです。」(ルカ5:31)



そのように、聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
わたしたちを癒そうと思っていてくださる方なのですね。




 「日が沈むと」とあるのは、これが安息日のことで、
当時、ユダヤの一日は、
日没から始まって次の日没までだったので、
「安息日が終わると」という意味合いでしょうか。



様々な病で弱っている者をかかえている人たちが、
連れてこられたので、
イエスは一人ひとりに手を置いて癒されたのだそうです。




 使徒パウロは言います。
「兵役についている人はだれも、
日常生活のことで煩わずらわされることはありません。
ただ、兵を募った人を喜ばせようとします。



また、競技をする人も、
規定にしたがって競技をしなければ
栄冠を得ることはできません」(Ⅱテモテ2:4:5)と。




 イエスは、イエスと一緒に歩いていた大勢に群衆に、
振り向いて言われました。
「わたしのもとに来て、
自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、
さらに自分のいのちまでも憎まないなら、
わたしの弟子になることはできません。
自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、
わたしの弟子になることはできません。

塔を建てようとするとき、
まず座って、完成させるのに十分な金があるかどうか、
費用を計算しない人が、あなたがたのうちにいるでしょうか。

計算しないと、土台を据えただけで完成できず、
見ていた人たちはみなその人を嘲笑あざわらって、
『この人は建て始めたのに、完成できなかった』と言うでしょう。



また、どんな王でも、
ほかの王と戦いを交えようと出て行くときは、
二万人を引き連れて向かって来る敵を、
一万人で迎え撃つことができるかどうか、
まず座ってよく考えないでしょうか。

もしできないと思えば、
敵がまだ遠く離れている間に、使者を送って
講和の条件を尋ねるでしょう。

そういうわけで、自分の財産をすべて捨てなければ、
あなたがたはだれも、わたしの弟子になることはできません。



塩は良いものです。
しかし、もし塩が塩気をなくしたら、
何によってそれに味をつけるのでしょうか。
土地にも肥しにも役立たず、外に投げ捨てられます。
聞く耳のある者は聞きなさい。」





 十字架刑で処刑される者は、処刑場まで、
自分が付けられる十字架(の横木)を負わされて
引かれて行くのだそうです。
だから「自分の十字架を負ってイエスについて行く」とは、
「私は死刑になる者です」と自覚しながらイエスについて行く、
ということなのでしょうか。



ですから、イエスの弟子になるには、
〔生まれたときからの私〕は「神のひとりのようになり、
善悪を知る者」(創世記)3:22)になって、
神の創造の目的から「的外れ」になっていて、
神に呪われて処刑される者であると認めて。



また、神に帰ることを妨害し、神の愛から引き離す
〔生まれたときからの自分自身〕も、
家族である父、母、妻、子、兄弟も憎み、
自分の財産もすべて捨てて。



そして、自分の力で、それができるかどうか、
よく計算しなさいと言われるのですね。
「塔を建てようとする人」、
「敵と戦おうとしている王」のように。


そして、自分の力では、実行不可能だと認めるなら、
天の神、【主】からの講和、和解の申し出を受け入れましょうと。

イエスは、健康な人、自分でちゃんとできる人、
義人を招くために来られた方ではなく、
病人を、自分の力で自分をどうにもできない人を招くために
来てくださっているのだそうですから。


そして、病人を健康なからだにして帰されたように、
「的外れ」な私に、【聖である霊】と呼ばれる方を
お遣わしくださるのだそうですから。

この方によって私たちの心に【父である神】の御思いを置き、
書き記して、
私たちのうちに【父である神】の御思いがあるようにし、
私たちが【父である神】と思いを一つにして生きる者になるように(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)と。


「兵役についている者」が
兵を募った人を喜ばせることを第一に考え、
あるいは「競技をする者」が、
規定にしたがって競技をするように、
【父である神】の御思いと一つ思いになって、
【父である神の御思いが成るようにと願って。

今日も。





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