朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

イエスによる救いをいただいて

2017-12-21 12:41:44 | 聖書から
主よ、
私は御救いを仰いで待ち望みます。詩119:166

 シメオンは
主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、
とのお告げを受けていた。
シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、
(両親に抱かれた)イエスと出会った。
オンは幼子を腕に抱き、神をたたえた。ルカ2:26、27、28

 黙示録3:7、8、10、11(12)
 マラキ書1:6~14(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句12/21;木)

 ローマ帝国の支配下で苦しんでいたイスラエルの民。
この当時、救い主の出現を待ち望む気風が強くなっていたようです。

 ルカの記述によると、
「そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。
この人は正しい、敬虔な人で、
イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。
聖霊が彼の上にとどまっておられた。
また、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、
聖霊のお告げを受けていた。
 彼が御霊に感じて宮に入ると、
幼子(おさなご)イエスを連れた両親が、
その子のために律法の慣習を守るために、入って来た。
 すると、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。
『主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、
みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。
私の目があなたの御救いを見たからです。
御救いはあなたが、万民のために備えられたもので、
異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。』
父と母は、幼子についていろいろ語られる事に驚いた」(ルカ2:25~33新改訳)、
のだそうです。

 ヨハネは記しています。
「『聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、
彼が開くとだれも閉じる者がなく、
彼が閉じるとだれも開く者がない、
その方がこう言われる。
「わたし(イエス)は、あなたの行いを知っている。
見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。
なぜなら、あなたは少しばかりの力があって、
わたしのことばを守り、
わたしの名を否まなかったからである。
あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、
わたしも、地上に住む者たちを試みるために、
全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。
わたしは、すぐに来る。
あなたの冠をだれにも奪われないように、
あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい。
勝利を得る者を、わたしの神の聖所の柱としよう」』」(黙示録3:7、8、10~12)、と。

 そして、この方が諸国の民の間であがめられるようになるのだそうです(マラキ1:11)から。

 〔父である神〕は、私たちにも、この救い、
十字架刑での処刑を受けてくださり、
死者の中から最初に復活し、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
〔父である神〕の私に関わる御思いを心に置いてくださって、
〔父である神〕と心と思いを一つにして生きるという新しい生き方の中で
一日一日を全うさせてくださるのだそうです。
その日まで。
今日も。

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