朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

私が弱い時ほど、この方の御力は大きく現れるのですから

2024-08-22 20:56:31 | 聖書から
私が
「足がよろめく」と言ったとき、
主よ、あなたの慈しみが
私を支えてください。詩94:18
 
わたしの恵みはあなたに十分である。
力は弱さの中で完全に現れるのだ。
          Ⅱコリント12:9
 マタイ12:15~21
 マルコ9:14~29(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』8/23 ;金)

   ―――― α&ω ――――

 誰も助けてくれる者がいなくて、
私の足がよろめくとき、
天の神、【主】が、
私を助ける値打ちがあるからということではなく、
ご自身の恵みによって、
私を支えてくださるのですね。

私のうちに思い煩いが増すときにも、
ご自身の慰めで私のたましいを喜ばせれくださって。

そして、私たちが自分の弱さを感じれば感じるほど、
この方の御力は、その弱さの中に
完全に現れてくださるのだそうですから。

だから、私自身は弱くていいのですね。
弱いままでこの方をお呼びしていけば。

イエスは、
イザヤ書で預言されている通りの方なのですから。
 
「見よ。わたしが選んだわがしもべ、
わたしの心が喜ぶ、わたしの愛する者。
わたしは彼の上にわたしの霊を授け、
彼は異邦人にさばき(正義)を告げる。
彼は言い争わず、叫ばず、
通りでその声を聞く者もいない。
傷んだ足を折ることもなく、
くすぶる灯芯を消すこともない。
さばき(正義)を勝利に導くまで。
異邦人は彼の名に望みをかける。」
        (マタイ12:18~21)
 

 マルコは9章14節から29節で、
イエスについて次のように記しています。

さて、彼ら(イエスとペテロ、ヤコブ、ヨハネ)が、
ほかの弟子たちのところに戻ると、
大勢の群衆がその弟子たちを囲んで、
律法学者たちが彼らと論じ合っているのが見えた。
群衆はみな、すぐにイエスを見つけると
非常に驚き、駆け寄って来てあいさつをした。

イエスは彼らに、
「あなたがたは弟子たちと
何を論じ合っているのですか」とお尋ねになった。
すると群衆の一人が答えた。
「先生。口をきけなくする霊につかれた私の息子を、
あなたのところに連れてきました。

その霊が息子に取りつくと、
ところかまわず倒します。
息子は泡を吹き、歯ぎしりして、
からだをこわばらせます。

それであなたのお弟子たちに、
霊を追い出してくださいとお願いしたのですが、
できませんでした。」
 
イエスは彼らに言われた。
「ああ、不信仰な時代だ。
いつまで、わたしはあなたがたと
一緒にいなければならないのか。
いつまで、我慢しなければならないのか。
その子をわたしのところに連れて来なさい。」

そこで、人々はその子をイエスのもとに連れて来た。
イエスを見ると、
霊がすぐ彼に引きつけを起こさせたので、
彼は地面に倒れ、泡を吹きながら転げ回った。

イエスは父親にお尋ねになった。
「この子に
このようなことが起きるようになってから、
どのくらいたちますか。」

父親は答えた。
「幼いとこからです。
霊は息子を殺そうとして、
何度も火の中や水の中に投げ込みました。
しかし、おできになるなら、
私たちをあわれんでお助けください。」

イエスは言われた。
「できるなら、と言うのですか。
信じる者には、どんなことでもできるのです。」

するとすぐに、その子の父親は叫んで言った。
「信じます。不信仰な私をお助けください。」
 
イエスは、群衆が駆け寄ってくるのを見ると、
汚(けが)れた霊を叱って言われた。
「口を聞けなくし、耳を聞こえなくする霊。
わたしがおまえに命じる。
この子から出て行け。
二度とこの子に入るな。」
すると霊は叫び声をあげ、
その子を激しく引きつけさせて出て行った。
するとその子が死んだようになったので、
多くの人たちは
「この子は死んでしまった」と言った。
しかし、イエスが手を取って起こされると、
その子は立ち上がった。

イエスが家に入られると、弟子たちがそっと尋ねた。
「私たちが霊を追い出せなかったのは、
なぜですか。」
すると、イエスは言われた。
「この種のものは、祈りによらなければ、
何によっても追い出すことはできません。」
 

 イエスは、
このような汚(けが)れた霊にさえ命じると、
その霊は従う、
権威を持っておられる方。
出エジプト3:14に記されている通りの、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる、
「あろうとするとおりにあることができる方」
なのですね。
 
天使の12軍団に命じて、
すぐ出動させることさえできるこの方が、
私たちを大切に思うゆえに、
人間の手にかかって捕らえられ、
裁判の時も一言も抗弁しないで、
なされるままに嘲弄され、
屠られる小羊のように黙って
十字架刑を受けてくださったのですね。
 
神の創造の目的からズレてしまい、
「的外れ」になっている私たちの
〔生まれた時からの私〕という霊を、
処刑が終わっている者、
死んだ者と手続きしてくださって、
私たちに【聖である霊】と呼ばれる方が来ても
大丈夫なようにしてくださるために。
 
この【聖である霊】とよばれる方が、私たちの心に
【父である神】の
私たちひとり一人に関わる御思いを置き、
私たちのうちに
【父である神】の御思いがあるようにし、
私たちが、自分の自由意思で
【父である神】と思いを合わせ、
【父である神】が、
私を通してしようと思われることをしていく生き方を
生きるようになるために。
 
この方の恵みによって支えていただき、
弱い私を通して、この方の偉大な力の現れを
見せていただきながら。
今日も。
 
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