主の前を私は歩む。
生ける者の地で。詩篇116:9
神は死んだ者の神ではなく、
生きている者の神です。
神にとっては、
すべての者が生きているのです。ルカ20:38
黙示録21:10~14、21~27
イザヤ書3:1~15(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句11/26;土)
―――― ☆ ――――
この詩人はうたっています。
死人の世界でではなく、
生きている者の世界、
この地上で、天の神、【主】の御前を歩む、と。
イエスは、さらに言われます。
この地上での命が終わって死人の世界にいる者も、
その死で何もなくなっていたり、
神と関係のない世界に行っているわけではなく、
神にとっては、すべての者が生きている、
すべての者は、ご自身との関係の中で生きているのだ、と。
だから、詩篇139篇7~8節には、
「あなたの御前を離れて、どこへ逃れられるでしょう。
たとえ、私が黄泉(よみ)に床(とこ)を設けても、
そこにあなたはおられます」とうたわれているのでしょうね。
私たち、この、地上での生を終え、
今着ているからだを脱いでも、
イエスによって新しい霊のからだを着せていただいて、
天のパラダイスでイエスとともにいることになる
のだそうですから。(ルカ23:43、テサロニケ16~17)
そして、【父である神】のご計画の時が来て、
この今の地上での人間の歴史が終了し、
新しい天、新しい地、新しい都エルサレムが実現する時、
神は、私たち、主イエスに従う者が、
その新しい世界を受け継ぐようにしてくださるのだそうです。
イエスはその新しい都の幻を、
使徒ヨハネに見せてくださったのだそうです。
それについて、ヨハネは書き記しています。
「御使いは御霊によって私(ヨハネ)を
大きな高い山に連れて行き、
聖なる都エルサレムが神のみもとから、
天から降(くだ)って来るのを見せた。
都には神の栄光があった。
その輝きは最高の宝石に似ていて
透き通った碧玉(へきぎょく)のようであった。
都には、大きな高い城壁があり、12の門があった。
門の上には12人の御使いがいた。
また、名前が刻まれていたが、
それはイスラエルの子らの12部族の名前であった。
東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、
西に三つの門があった。
都の城壁には12の土台石があり、
それには、子羊(イエスのこと)の12使徒の、
12の名前が刻まれていた。
12の門は12の真珠であり、
どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。
都の大通りは純金で、透明なガラスのようであった。
私は、この都の中に神殿を見なかった。
全能の神である主と子羊が、都の神殿だからである。
都は、これを照らす太陽も月も必要としない。
神の栄光が都を照らし、子羊が都の明かりだからである。
諸国の民は都の光によって歩み、
地の王たちは自分たちの栄光を都に携えて来る。
都の門は一日中、決して閉じられない。
そこには夜がないからである。
こうして人々は、諸国の民の栄光と誉れを
都に携えて来ることになる。
しかし、汚(けが)れたもの、
また忌(い)まわしいことや偽りを行う者は、
決して都に入れない。
入ることが出来るのは、子羊(イエス・キリスト)の
いのちの書に記されている者たちだけである。』
(黙示録21: 10~ 14 ,21~27)
私たちも、この地上での生がすべてではなく、
この地上の世界を去っても、
イエスによって
天のパラダイスでイエスとともにいることになり、
やがて実現する新しい世界、新しい都エルサレムを
受け継ぐようにしていただけるのだそうですから。
そのゴールを目指しながら、
イエスによって来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いと思いを一つにして生きる、
神の家族、神の子の生き方、
新しい神の御国での生き方を。
今日も。
~~~~~~~~~~~~~~
(聖書のことばへの疑問やご意見、近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)
〈復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉
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〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定
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生ける者の地で。詩篇116:9
神は死んだ者の神ではなく、
生きている者の神です。
神にとっては、
すべての者が生きているのです。ルカ20:38
黙示録21:10~14、21~27
イザヤ書3:1~15(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句11/26;土)
―――― ☆ ――――
この詩人はうたっています。
死人の世界でではなく、
生きている者の世界、
この地上で、天の神、【主】の御前を歩む、と。
イエスは、さらに言われます。
この地上での命が終わって死人の世界にいる者も、
その死で何もなくなっていたり、
神と関係のない世界に行っているわけではなく、
神にとっては、すべての者が生きている、
すべての者は、ご自身との関係の中で生きているのだ、と。
だから、詩篇139篇7~8節には、
「あなたの御前を離れて、どこへ逃れられるでしょう。
たとえ、私が黄泉(よみ)に床(とこ)を設けても、
そこにあなたはおられます」とうたわれているのでしょうね。
私たち、この、地上での生を終え、
今着ているからだを脱いでも、
イエスによって新しい霊のからだを着せていただいて、
天のパラダイスでイエスとともにいることになる
のだそうですから。(ルカ23:43、テサロニケ16~17)
そして、【父である神】のご計画の時が来て、
この今の地上での人間の歴史が終了し、
新しい天、新しい地、新しい都エルサレムが実現する時、
神は、私たち、主イエスに従う者が、
その新しい世界を受け継ぐようにしてくださるのだそうです。
イエスはその新しい都の幻を、
使徒ヨハネに見せてくださったのだそうです。
それについて、ヨハネは書き記しています。
「御使いは御霊によって私(ヨハネ)を
大きな高い山に連れて行き、
聖なる都エルサレムが神のみもとから、
天から降(くだ)って来るのを見せた。
都には神の栄光があった。
その輝きは最高の宝石に似ていて
透き通った碧玉(へきぎょく)のようであった。
都には、大きな高い城壁があり、12の門があった。
門の上には12人の御使いがいた。
また、名前が刻まれていたが、
それはイスラエルの子らの12部族の名前であった。
東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、
西に三つの門があった。
都の城壁には12の土台石があり、
それには、子羊(イエスのこと)の12使徒の、
12の名前が刻まれていた。
12の門は12の真珠であり、
どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。
都の大通りは純金で、透明なガラスのようであった。
私は、この都の中に神殿を見なかった。
全能の神である主と子羊が、都の神殿だからである。
都は、これを照らす太陽も月も必要としない。
神の栄光が都を照らし、子羊が都の明かりだからである。
諸国の民は都の光によって歩み、
地の王たちは自分たちの栄光を都に携えて来る。
都の門は一日中、決して閉じられない。
そこには夜がないからである。
こうして人々は、諸国の民の栄光と誉れを
都に携えて来ることになる。
しかし、汚(けが)れたもの、
また忌(い)まわしいことや偽りを行う者は、
決して都に入れない。
入ることが出来るのは、子羊(イエス・キリスト)の
いのちの書に記されている者たちだけである。』
(黙示録21: 10~ 14 ,21~27)
私たちも、この地上での生がすべてではなく、
この地上の世界を去っても、
イエスによって
天のパラダイスでイエスとともにいることになり、
やがて実現する新しい世界、新しい都エルサレムを
受け継ぐようにしていただけるのだそうですから。
そのゴールを目指しながら、
イエスによって来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いと思いを一つにして生きる、
神の家族、神の子の生き方、
新しい神の御国での生き方を。
今日も。
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(聖書のことばへの疑問やご意見、近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)
〈復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉
〈(株)ブレス・ ユア・ ホーム https://christ-sougi.com/ 所属〉)
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