朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

行く先々で、私たちを守って

2020-08-26 22:07:14 | 聖書から
私たちの神、主は、
行く先々で、
通ってきたすべての民の中で、
私たちを守ってくださった方です。ヨシュア記24:17



イエスの言葉:
わたしは世の終わりまで、
いつもあなたがたと共にいる。マタイ28:20



 Ⅰペトロ5:1~5
 マルコ9:2~13(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/27;木)
 私たちの神、【主】、
「わたしはある」という者と名乗られる方は、
今まで、私たちの通ってきた道で、
また、これから行く先々で私たちを守ってくださる方。



 イエスは、私たち、すべての人間の
「的外れ」の責任をご自身の身に負って、
私たちの身代わりとなり、
十字架刑での処刑を受けてくださいました。


 そして、墓に葬られたイエスは、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活されました。(マルコ9:9)



 そして、40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されました。



 そして、イエスご自身に代わって、
もう一人の方、【聖である霊】と呼ばれる方を
私たちに派遣してくださいます。



 この方が、世の終わりまで、
いつも私たちと一緒にいてくださるように、と。



 そして、今は、
天の、【父である神】の右の座に着いていらっしゃる、
この、大牧者であるイエスが再び現れるとき、
私たちも、
しぼむことのない栄光の冠を与えていただけるのですね。



 だから、そのときを望み見ながら、
今、長老の立場にいる人は、
【父である神】の御思いのとおりに、
自発的に、心を込めて、羊の群れの世話をし、
若い人は、
その長老たちによく従っていくのですね。(Ⅰペテロ5:1~5)



 私たちも、このイエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
心に【父である神】の御思いを置いていただき、
【父である神】と思いを一つにして生きるように
していただけるのだそうですから。

今日も。





(聖書についての疑問、
近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、

教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)



〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉
〈(復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉







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神は、御子の死によって、私たちと和解し

2020-08-26 06:07:41 | 聖書から
あなたは罪と悪のためにわたしを苦しめた。
わたしはあなたの背きの罪をぬぐい、
思い出さないことにする。イザヤ書43:24~25

あなた方は、
以前は神から離れ、
悪い行いによって心の中で
神に敵対していました。

しかし今や、
神は御子の肉のからだにおいて、
その死によってあなたがたと
和解してくださいました。コロサイ書1:21~22



 ヨハネ8:3~11
 マルコ8:34~9:1(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/26;水)


 天の神、とら【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、仰られるのですね。
「あなたは、あなたの罪で私を苦しめ、わたしに苦労させ、
あなたの咎とがでわたしを煩わずらわせた。
わたし、このわたしは、
わたし自身のためにあなたの背そむきの罪をぬぐい去り、
もうあなたの罪を思い出さない」と。



 【父である神】は、私たち、
神から離れ、敵意を抱き、悪い行いの中にあった者を、
今は、御子イエスが受けてくださった
十字架刑での処刑による死によって、
ご自身と和解させていてくださるのだそうですから。





 ユダヤ人の指導者たちである律法学者やパリサイ人が、
イエスを告発するする理由を得ようと、
姦淫の現場で捕らえられた女性を連れて来て、
真ん中に立たせ、


そして、イエスに言ったのだそうです。

「先生、この女は姦淫の現場で捕らえられました。
モーセは律法の中で、
こういう女を石打(石を投げつけて殺す処刑)にするよう
私たちに命じています。
あなたは何と言われますか。」



 イエスは身をかがめて、
指で地面に何かを書いておられたのですが、
彼らが問い続かるので、身を起こし、言われました。
「あなたがたの中で罪のない者が、
まずこの人に石を投げなさい。」



 そして、再び身をかがめて、地面に何かを書き続けられた。
彼らはそれを聞くと、
年長者たちから始まり、一人、また一人と去って行き、
その女とイエスだけが残された。



 イエスは、身を起こして、彼女に言われた。
「女の人よ。彼らはどこにいますか。
だれもあなたにさばきを下さなかったのですか。」



 彼女は言った。
「はい、主よ。だれも。」イエスは言われた。
「わたしもあなたにさばきを下さない。
行きなさい。
これからは、決して罪を犯してはなりません。」





 イエスご自身が、
この女の罪も、私たちの神に背く「的外れ」の責任も
全部、ご自分のからだに負われて、
十字架刑での処刑による死を受けてくださって。(ヨハネ8:3~11)



 それで、私たちも、自分自身の十字架を負って、
ゴルゴダ、十字架刑の処刑場へ向かうイエスに
ついて行くのですね。



 十字架刑で処刑されるはずの者であることを認めて。(マルコ8:34)



 そして、
イエスが十字架刑での処刑を受けてくださっている今は、
イエスが受けてくださった十字架刑での処刑による死に
合体していただいて、
〔生まれたときからの私〕という霊を処刑が済んでいる者、
死んだものとしていただきながら。



 【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いの中を。
今日も。







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