朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

私の幸いはこの方にあるのですね

2014-09-02 22:22:16 | 聖書から
私の主よ、

あなたの他に

私の幸いは

ありません。

詩編16:2

 





弟子たちの多くが

離れ去り、



もはや

イエスと共に

歩まなくなった。





イエスは

12人に、

「あなたがたも離れて行きたいか」と

言われた。



シモン・ペテロが答えた。

「主よ、

私たちは

だれのところへ行きましょう。



あなたは

永遠の命の言葉を

持っておられます。」

ヨハネ6:66~68

    (ローズンゲン日々の聖句9/3;水)

...

 



神々と呼ばれるものはたくさんあります。

頼りになりそうなものもたくさんあります。



けれども、

永遠の命の言葉を持っておられるのは、

この方だけなのだそうです。
 





食べた食物が

私たちの体の中にあり、

私たちの身体は、

食べた食物で出来ている。



言い換えれば、

身体が

食べた食物の中にあるとも

言えるのでしょうか。





ヨハネ6:48~63の

イエスとユダヤの人たちとのパン問答は、

食べた食物と

私たちの身体が

一つである、

一体である。



そのように、

御父と御子と御霊と呼ばれる方が

一つであるように、

私たちも、

御父と御子と御霊と呼ばれる方と

一つになる。



それが

永遠の命であるということを、

何とか分からせたくって

話しておられたということでしょうか。




 イエスが言われた、

「それは、父よ。

あなたがわたしにおられ、

わたしがあなたにいるように、

彼らがみな一つとなるためです。



また、

彼らも

わたしたちにおるようになるためです。

…… 

わたしたちが

一つであるように、

彼らも

一つであるためです。」

(ヨハネ17:21~22)

ということを。





 

御子である方が、

人となって

私たち人間の世に来られ、

私たち、人類の背きの罪のすべてを

ご自身に背負って、

背く者、反逆している者として

処刑されて下さった

今、



約束の、

御霊とか聖である霊とか呼ばれる方を

お迎えし、



この方が

私の内に、

そして、

私が

この方に覆われ、

この方の中に沈められ、

満たされて、



この方が私の内におり、

私がこの方のうちにいるという

一つの関係が始まるのだそうですね。



そして、

この方によって、

私の思いが

父である方の中に、



父である方の御思いが

私の心の中に

来る。



思いにおいても

一つになるということが

始まるのだそうです。



永遠の命が。





だから、

この方から離れて、

他のものに行こうとしても、

だれのところへ行ったらいいでしょうか

ということになるのですね。



今日も。










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