朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

あの方の行いに期待するのですね。自分に義と認められるに十分な行いがないと知った者は

2014-03-30 22:59:53 | 聖書から
主の言葉:



わたしが

アブラハムを選んだのは、



彼が

息子たちとその子孫に、

主の道を守り、



主に従って

正義を行うよう

命じるためである。

創世記18:19
 





アブラハムの信仰が

義と認められた、

のです。

ロマ書4:9
  



(ローズンゲン日々の聖句3/31;月)






自分の力で、

自分の義を積み上げていく道と、



あの方を信頼して

約束の言葉の実現を

待ち望んでいく道が

あるのだそうですね。



アブラハムの子孫の前に

開かれている道、

主の道を守り、

主に従って正義を行う道に。






神の律法に示された

主の道、

正義を



自分の力で行い、

神の基準をクリアすることができるか、

坐して、

よく計算して

(ルカ15:28~)、



完成出来ないとの計算に達した者は、

なんの働きもない者が、

不敬虔な者を義と認めて下さる方を信じるなら、



その信仰(信頼)を

義と見なして下さる方がいらっしゃるとの

約束の言葉を

喜ぶ者になるのでしょうね

(ロマ4:5)。




けれども、

その道は、



私たちの側には、

義と認められるまでの、

なんの行いも

ありませんけれど、





あの方の側では、

独り子であられ方を

一人の人として、

人間の世に送り込み、



人類のすべてのそむきを

この方の上に置き、



私たちを罰する代わりに、

この方を

反逆者として処刑するという、



とてつもない大きな犠牲の行いが

あってのことなのだそうです。




イエスの命がささげられた今は、



私たちも、



あの方は、

約束されたことを成就する力があることを信じて

(ロマ4:21)、



「聖である霊」と呼ばれる方が来て下さり、

私たちの心に

あの方の御思いを思わせ、



あの方が

私たちを通してしようと思っていらっしゃることを

私たちが

するようにして下さるとの

約束の言葉が

私の身に実現することを

期待していきたいものですね。



今日も。



イメージ 1






[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]





[269RANKのランキングサイト]





"哲学・思想 ブログランキングへ"