朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見る

2013-09-24 23:28:57 | 聖書から
主は

モーセに言われた。

あなたは

わたしの顔を見ることはできない。

人は

わたしを見て、

なお

生きていることは

出来ないからである。

出エジプト記33:20
 





わたし(イエス)を

見る者は、

わたし(イエス)を

遣わされた方を

見るのである。

ヨハネ12:45




(ローズンゲン日々の聖句9/25;水)






聖なる方を見て、

人間は

生きていることが出来ないのだそうですね。



その御父を、

私たち人間に

見える形で現わすものとして、

御子である神が

人間イエスとして

父なる神から遣わされて来たのだそうです。





イエスは、

父なる神を

私たちに

見える形で現わすために、

父なる神から遣わされてきた

御子なる神なのだそうです。




使徒ヨハネは、

このあたりの消息を、

「初めに、ことばがあった。

ことばは神とともにあった。

ことばは神であった。

この方は、

初めに神とともにおられた。

すべてのものは、

この方によって造られた。

造られたもので、

この方によらずにできたものは

一つもない。」

(ヨハネ1:1~2)、





「ことばは人となって、

私たちの間に住まわれた。

私たちは

この方の栄光を見た。

父のみもとから来られた

ひとり子としての栄光である。」

(ヨハネ1:14)

と記しているのだそうです。...




そして、

この方は、

行動だけでなく、

口から出ることばの一つ一つまで、

自分から話しているものはなくて、

「父がわたしに言われたとおりを、そのままに話している」

(ヨハネ12:50)

方なのだそうです。




この方は、

御父が言われていることが

ストレートに分かっている、

御父と一つになっている方なのですね。



そして、

御父が願っておられたとおりに、

私たち人間の罪を一身に背負って

十字架刑に架かり、



私たちが受けるはずの罰を

全部受け取って下さって、

私たちの救いの道となって下さったのだそうです。




「この方を受け入れた人々、

すなわち、

その名を信じた人々には、

神の子どもとされる特権をお与え」下さる

(ヨハネ1:12)

ために、



「子として下さる御霊」

(ロマ8:15)

をお遣わし下さり、



この御霊と呼ばれるお方によって、

私たちの心にも、

イエスと同じように、

御父の御思いが思われるようになり

(エゼキエル36:26~27)、



御父がしようと思われることを

私たちが

するようになり、



私たちも

イエスと同じように、

御父を現わす者となるのだそうですね。



今日も。










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