goo blog サービス終了のお知らせ 

落合順平 作品集

現代小説の部屋。

居酒屋日記・オムニバス (17)     第二話 小悪魔と呼ばれたい ⑥

2016-02-25 11:27:44 | 現代小説
居酒屋日記・オムニバス (17)
    第二話 小悪魔と呼ばれたい ⑥



 「そういえば、毎晩来ているのに、まだ名前を聞いてねぇな。
 君、名前はなんていうんだ?」



 「ちえこ。東京には空が無いといふ。ほんとの空が見たいといふ。
 私は驚いて空を見る・・・とうたわれた智恵子です。
 あっちのほうの智恵子は、二男六女の長女として生まれて、戸籍名は「チヱ」。
 わたしはとび職の長女。通称は、鉄筋のチエ。
 月とスッポンほどの差がありますねぇ。生まれも育ちも。うっふっふ」



 「チエちゃんか。俺は幸作。幸福を作ると書くが、実際のところはバツいちだ。
 13歳の娘がひとり居る」



 「男ひとりで寂しくないの、幸作さんは?」



 「女には、懲りた」



 「たとえば相手が、あたしみたいにいい女でも?」



 「その気になったら電話する。だがいまは、その気分じゃねぇ」



 「じゃこれ。あたしの電話番号。受け取って」



 智恵子がサラサラと走り書きした箸の袋を、幸平に差し出す。
「本気か?」目を丸くする幸作に、「はい」と嬉しそうに智恵子が頬を赤くする。
「ま、考えておこう」箸の袋を受け取った幸作が、丁寧に2つにたたんで
胸のポケットへしまい込む。



 「とび職の親父さんは、元気なのか?」


 「亡くなった。母さんも、父さんのあとを追うように2年後に死んじゃった」


 「そうか。身内はいるのか?」


 「2つ違いの妹が居た。
 けど妹は、わたしよりも出来がいいから5年も前に嫁いでいった」


 
 「じゃひとりなのか、いまは・・・」



 「うん。気ままな鉄筋工の流れ旅。現場が有れば日本中のどこへでも行く。
 でもさ。最近、つらいんだ、背中がときどき痛んでさ。
 あ、誰にも言わないでおくれ。ここだけの内緒の話にしておいてね。
 若い者には、まだ知られたくないもの」


 「おめえだってまだ、充分に、若いだろう」



 「31歳。まだ31だけど、もう31。
 鉄筋暮らしの流れ旅も、そろそろ辞めようかなんて思案している。
 あたしの背中が、悲鳴をあげているからね・・・」



 
 「そんなに痛むのか、背中?」


 「いまは大丈夫。薬がきいているから」



 「ほら、これが何よりの薬です」と智恵子が、
焼酎のグラスを持ち上げてみせる。



 「ばかやろう。アルコールで麻痺しているだけじゃねぇか。
 親からもらった大切な身体だ。大事にしろ、早めに養生すれば長く持つ。
 我慢していないで早く医者へ行け」


 幸作の忠告に「そうだね、親からもらった大切な身体だ。壊したら叱られるね・・・」
智恵子がぼそりと、小さな声でつぶやく。
だがその瞬間から、2人の間に気まずい空気がながれはじめた。


 (あっ、柄にもなく、まともなことを言っちまった。まずいぞ、失敗した!)


 (18)へつづく
 
新田さらだ館は、こちら