居酒屋日記・オムニバス (8)
第一話 陽子というおんな ⑧

「老いてますます盛んですか・・・
たしかに人間には一生、欲望がついて回りますからねぇ」
「その通り。自立型のマンションなんか、老人たちの恋のパラダイスだ。
男と女が健康であれば、やることはひとつ。
65歳の女性を、71歳と69歳の入居者が争うなんていうのは、日常茶飯事。
夜這いや、トイレ内のエッチなんてのもよく有る。
同年代の男女が一つ屋根の下で暮らせば、性のトラブルが当たり前につきまとう。
高齢者とて、例外ではない。
人は死ぬまで、灰になるまで、性欲から逃れられんからな」
「そういえば、そんな報道が有りましたねぇ。
兵庫県の姫路市内の老人ホームで、75歳の男性が82歳の女性を切りつけて、
1カ月の重傷を負わせたという事件です。
2人はこの春から交際を始めていたそうです。
別れ話が原因で、男が逆上したというから驚きです」
「ところで、こいつはどんなふうに服用するのですか?」
スーパーゴ―ルドの錠剤を手にした幸作が、老人の顔を見つめる。
「おう。それも大事な質問じゃ」短く伸びたあごひげに、老人がしわくちゃの指をのばす。
「よく聞け。服用するタイミングが肝心じゃ。
その違いで、効果に大きな差が出る。
一番効果的なのが、行為におよぶ30分から1時間前。
持続する時間は個人差があるが、おおむね、3時間から5時間は持つ。
この時間を過ぎると、効果が薄れていく」
「たった1錠飲むだけで、それほどまでの効果が得られるのですか?」
「効果的な薬だからといって、過剰摂取は禁物じゃぞ。
海外ではこの薬の大量摂取によって、死亡した例も報道されておる。
お主の若さなら、1錠を半分にしても効果は得られるじゃろう」
もうよかろう送ってやれと老人が、ボデイガードに合図を送る。
「遠慮することはない、ワシの車に乗っていけ」老人が、じろりと幸作を睨む。
「いえ結構です。家は近所です。歩いて帰れますから」
これで失礼しますと幸作が、スーパーゴールドの錠剤を手にして立ち上がる。
「いいから乗っていけ。
ワシもなにかと敵の多い身だ。
愛人のマンションを出た途端、ワシと間違えられてドカンと撃たれたら災難じゃ。
ボデイガードの2人は、頭は悪いが腕はたつ。
悪いことは言わん。歩いて数分でも、ワシの車に乗っていけ。
ワシの車は鋼鉄製だ。どこかの不良にマシンガンを乱射されてもビクともしない。
安心して、乗っていくがいい」
「はぁ・・・ではお言葉に甘えて・・・」と、幸作がしぶしぶ同意する。
だが幸作は、老人の真の狙いを見抜けなかった。
総長は厚意で送ると言ったのではない。
今日行きあったばかりの、幸作の家を知ることが目的だった。
危ない世界で生きている人間は、どんなときでも警戒と探索の目をゆるめない。
居場所を確かめることが、本当の老人の狙いだった。
そしてそれから一週間。
あの夜以来。陽子がぷっつりと居酒屋に姿を見せなくなった。
(風邪でもひいたかな、それとも何か、急な用事でも出来たのかな。
2~3日、顔を見せないことはあったが、1週間も来ないというのは尋常じゃねぇ。
総長に、『あの店には、2度と行くな』と言われた可能性もあるな・・・)
あれこれ思案してみるが、幸作に心当たりはない。
機嫌を損ねた覚えもない。くれるというから、快くスーパーゴルドの錠剤をもらっただけだ。
老人を相手に、暴言を吐いた記憶もない。
(何ひとつ失敗をしでかした覚えはない。
だが、相手がどう受け止めるかは、まったく別の問題だ。少し寂しいよな。
もう2度と来ないのかなぁ、あのあやしい女は・・・)
(9)へつづく
新田さらだ館は、こちら
第一話 陽子というおんな ⑧

「老いてますます盛んですか・・・
たしかに人間には一生、欲望がついて回りますからねぇ」
「その通り。自立型のマンションなんか、老人たちの恋のパラダイスだ。
男と女が健康であれば、やることはひとつ。
65歳の女性を、71歳と69歳の入居者が争うなんていうのは、日常茶飯事。
夜這いや、トイレ内のエッチなんてのもよく有る。
同年代の男女が一つ屋根の下で暮らせば、性のトラブルが当たり前につきまとう。
高齢者とて、例外ではない。
人は死ぬまで、灰になるまで、性欲から逃れられんからな」
「そういえば、そんな報道が有りましたねぇ。
兵庫県の姫路市内の老人ホームで、75歳の男性が82歳の女性を切りつけて、
1カ月の重傷を負わせたという事件です。
2人はこの春から交際を始めていたそうです。
別れ話が原因で、男が逆上したというから驚きです」
「ところで、こいつはどんなふうに服用するのですか?」
スーパーゴ―ルドの錠剤を手にした幸作が、老人の顔を見つめる。
「おう。それも大事な質問じゃ」短く伸びたあごひげに、老人がしわくちゃの指をのばす。
「よく聞け。服用するタイミングが肝心じゃ。
その違いで、効果に大きな差が出る。
一番効果的なのが、行為におよぶ30分から1時間前。
持続する時間は個人差があるが、おおむね、3時間から5時間は持つ。
この時間を過ぎると、効果が薄れていく」
「たった1錠飲むだけで、それほどまでの効果が得られるのですか?」
「効果的な薬だからといって、過剰摂取は禁物じゃぞ。
海外ではこの薬の大量摂取によって、死亡した例も報道されておる。
お主の若さなら、1錠を半分にしても効果は得られるじゃろう」
もうよかろう送ってやれと老人が、ボデイガードに合図を送る。
「遠慮することはない、ワシの車に乗っていけ」老人が、じろりと幸作を睨む。
「いえ結構です。家は近所です。歩いて帰れますから」
これで失礼しますと幸作が、スーパーゴールドの錠剤を手にして立ち上がる。
「いいから乗っていけ。
ワシもなにかと敵の多い身だ。
愛人のマンションを出た途端、ワシと間違えられてドカンと撃たれたら災難じゃ。
ボデイガードの2人は、頭は悪いが腕はたつ。
悪いことは言わん。歩いて数分でも、ワシの車に乗っていけ。
ワシの車は鋼鉄製だ。どこかの不良にマシンガンを乱射されてもビクともしない。
安心して、乗っていくがいい」
「はぁ・・・ではお言葉に甘えて・・・」と、幸作がしぶしぶ同意する。
だが幸作は、老人の真の狙いを見抜けなかった。
総長は厚意で送ると言ったのではない。
今日行きあったばかりの、幸作の家を知ることが目的だった。
危ない世界で生きている人間は、どんなときでも警戒と探索の目をゆるめない。
居場所を確かめることが、本当の老人の狙いだった。
そしてそれから一週間。
あの夜以来。陽子がぷっつりと居酒屋に姿を見せなくなった。
(風邪でもひいたかな、それとも何か、急な用事でも出来たのかな。
2~3日、顔を見せないことはあったが、1週間も来ないというのは尋常じゃねぇ。
総長に、『あの店には、2度と行くな』と言われた可能性もあるな・・・)
あれこれ思案してみるが、幸作に心当たりはない。
機嫌を損ねた覚えもない。くれるというから、快くスーパーゴルドの錠剤をもらっただけだ。
老人を相手に、暴言を吐いた記憶もない。
(何ひとつ失敗をしでかした覚えはない。
だが、相手がどう受け止めるかは、まったく別の問題だ。少し寂しいよな。
もう2度と来ないのかなぁ、あのあやしい女は・・・)
(9)へつづく
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