居酒屋日記・オムニバス (2)
第一話 陽子というおんな ②

「つまみはいらねぇ。酒だけ有れば十分だ。
そこのねえちゃん。かまわねぇからジャンジャン酒を出してくれ!」
店の手伝いと勘違いしたのだろう。酔っ払い男が陽子に催促の声をかける。
「はい」と答えた陽子が、カウンターから立ち上がる。
「このままじゃまずいね、あたしの普段着だ。
割烹着を出して。有るだろう、むかし女将さんが身に着けていたやつが」
なんで知っているのだろうか?。
8年前に失踪した女房が、ずっと身に着けていた割烹着がいまだにここへ
そのまま置いて有ることを・・・
会合帰りの酔っ払いたちは、1時間ほどで帰っていった。
散らかったコップとつまみの皿を、陽子がてきぱきとかたずけていく。
手元の動きに、よどみがない。
(普通の家庭の奥さんじゃなさそうだ。水商売をしていた人間かな、もしかして・・・)
てきぱきと後片付けを終えた陽子が、カウンターの席に戻る。
「あんた。うしろから物欲しそうな目で、あたしの身体を吟味していただろう?。
悪い気はしないけど、そこまでジロジロみられるのは辛いなぁ。
女の盛りは、もうとっくの昔に通り過ぎた。
昔はおっぱいの格好も良かったし、脚もすらりとしていて綺麗だと褒められた。
だけど、この歳になると身体の全部が衰退していく。
それに男も好きじゃない。
好き勝手ばかりを言っている男の世話なんて、もうこりごりのまっぴらだ」
(ホントかよ?。・・・50歳そこそこで、女を捨てるなんて勿体ねぇ話だ・・・)
「女は捨てていないよ。
野暮天の面倒を見るのは、もう懲りごりだと言っただけさ。
あ、あんたに八当たりしたってはじまらないか。
ごめん。今夜は少し口が過ぎた」
「あ、いや・・・こっちこそ、ホント助かりました。
でも。なんで別れた女房の割烹着が、そこに有ることを知っていたんですか?」
「未練があんだろう、まだあんたには。
手持無沙汰になるとあんたの眼が、そこに置いてある割烹着へいくもの。
悪かったね。大切なものをむりやり借りちまって」
「いや・・・意外に似合っていました、割烹着が。
動き回っているとき。まるで、女房が帰って来たのかと錯覚しました」
「嘘を言うんじゃないよ。
あたしの身体は、あんたが褒めるほど若くはないさ、もう。
でもね。おっぱいだけは、いまだに、そこそこには有るけどね」
「はい。充分、堪能しました。実に見事なふくらみだと思います」
「ふふふ。たいへん正直でよろしい」
呑んでくださいと幸平が熱燗を差し出す。
「注がれて呑むほど強くないよ、あたしは」言葉とはうらはらに、
嬉しそうに陽子が、盃を持ち上げる。
ひとくちで飲み干したあと「なんだか今夜は、美味しい酒になりそうだ」と
ふちに着いた口紅を、そっと指先でふき取る。
「お返しです」陽子が、幸平に向って盃を差し出す。
陽子が銚子の中央を右手で持つ。かるく左手も添える。
つぎ始めは少量。すこしずつ多めにそそいでいき、最後を少なめにして注ぎ終わる。
酒を注ぐ目安は、8分目から9分目。
注ぎ終わりにちょっと銚子を回して、滴がこぼれ落ちるのを防ぐ。
これが作法に乗った、日本酒の注ぎかただ。
受けるほうにも、とうぜん作法が有る。
盃は必ず右手で持つ。左の指はかるく添えるだけ。
日本酒の場合。盃を下に置いたまま受けるのは、失礼にあたる。
必ず手に持って受ける。一口飲んでから、下へ置くのが日本酒のマナーになる。
(3)へつづく
新田さらだ館は、こちら
第一話 陽子というおんな ②

「つまみはいらねぇ。酒だけ有れば十分だ。
そこのねえちゃん。かまわねぇからジャンジャン酒を出してくれ!」
店の手伝いと勘違いしたのだろう。酔っ払い男が陽子に催促の声をかける。
「はい」と答えた陽子が、カウンターから立ち上がる。
「このままじゃまずいね、あたしの普段着だ。
割烹着を出して。有るだろう、むかし女将さんが身に着けていたやつが」
なんで知っているのだろうか?。
8年前に失踪した女房が、ずっと身に着けていた割烹着がいまだにここへ
そのまま置いて有ることを・・・
会合帰りの酔っ払いたちは、1時間ほどで帰っていった。
散らかったコップとつまみの皿を、陽子がてきぱきとかたずけていく。
手元の動きに、よどみがない。
(普通の家庭の奥さんじゃなさそうだ。水商売をしていた人間かな、もしかして・・・)
てきぱきと後片付けを終えた陽子が、カウンターの席に戻る。
「あんた。うしろから物欲しそうな目で、あたしの身体を吟味していただろう?。
悪い気はしないけど、そこまでジロジロみられるのは辛いなぁ。
女の盛りは、もうとっくの昔に通り過ぎた。
昔はおっぱいの格好も良かったし、脚もすらりとしていて綺麗だと褒められた。
だけど、この歳になると身体の全部が衰退していく。
それに男も好きじゃない。
好き勝手ばかりを言っている男の世話なんて、もうこりごりのまっぴらだ」
(ホントかよ?。・・・50歳そこそこで、女を捨てるなんて勿体ねぇ話だ・・・)
「女は捨てていないよ。
野暮天の面倒を見るのは、もう懲りごりだと言っただけさ。
あ、あんたに八当たりしたってはじまらないか。
ごめん。今夜は少し口が過ぎた」
「あ、いや・・・こっちこそ、ホント助かりました。
でも。なんで別れた女房の割烹着が、そこに有ることを知っていたんですか?」
「未練があんだろう、まだあんたには。
手持無沙汰になるとあんたの眼が、そこに置いてある割烹着へいくもの。
悪かったね。大切なものをむりやり借りちまって」
「いや・・・意外に似合っていました、割烹着が。
動き回っているとき。まるで、女房が帰って来たのかと錯覚しました」
「嘘を言うんじゃないよ。
あたしの身体は、あんたが褒めるほど若くはないさ、もう。
でもね。おっぱいだけは、いまだに、そこそこには有るけどね」
「はい。充分、堪能しました。実に見事なふくらみだと思います」
「ふふふ。たいへん正直でよろしい」
呑んでくださいと幸平が熱燗を差し出す。
「注がれて呑むほど強くないよ、あたしは」言葉とはうらはらに、
嬉しそうに陽子が、盃を持ち上げる。
ひとくちで飲み干したあと「なんだか今夜は、美味しい酒になりそうだ」と
ふちに着いた口紅を、そっと指先でふき取る。
「お返しです」陽子が、幸平に向って盃を差し出す。
陽子が銚子の中央を右手で持つ。かるく左手も添える。
つぎ始めは少量。すこしずつ多めにそそいでいき、最後を少なめにして注ぎ終わる。
酒を注ぐ目安は、8分目から9分目。
注ぎ終わりにちょっと銚子を回して、滴がこぼれ落ちるのを防ぐ。
これが作法に乗った、日本酒の注ぎかただ。
受けるほうにも、とうぜん作法が有る。
盃は必ず右手で持つ。左の指はかるく添えるだけ。
日本酒の場合。盃を下に置いたまま受けるのは、失礼にあたる。
必ず手に持って受ける。一口飲んでから、下へ置くのが日本酒のマナーになる。
(3)へつづく
新田さらだ館は、こちら