東京電力集金人 (19)真冬のフルーツトマト
長屋の雪下ろしと、実家の屋根の雪下ろしを終えると、時刻はもう10時を回っていた。
『お昼を御馳走するから食べておいき』というお袋の言葉に、丁寧に頭を下げてから、
るみが、『着替えをしたいので、一度アパートへ戻ってきます』と辞退した。
『じゃ、間に合うだけの着替えを持って、早めに戻っておいで』とおふくろが
追い打ちをかけた。
えっと驚く俺を尻目に、玄関先でお袋がるみに優しくほほ笑んでいる。
(着替えを持って戻ってくる?)お袋とるみの間で何やら密談が、既に成立しているようだ。
機嫌のよさそうなお袋を玄関先に残し、俺たちはとりあえず来た道を逆に戻り始めた。
だが昨夜から40センチ以上も積もった道路の雪は、やっぱり難敵だ。
わずかに薄い日が射してきたが、雪を解かすほどの勢いは無い。
足跡ひとつ残っていない真っ白な絨毯は、畑と道の境界が見えないほどの厚みを持っている。
朝つけてきたはずの俺の足跡も、いつのまにか強風の影響で、あっさりと消えかけている。
先輩がビニールハウスから降ろした雪が、連棟の谷間から脇道へ溢れだしている。
谷間から溢れた雪は狭い脇道に雪崩のように広がり、小山のような壁を生み出している。
「ビニールハウスの雪下ろしも大変ですねぇ」とるみが、雪の小山を足で蹴る。
「大変なんてもんじゃねぇ。出荷間際だというのに、丹精込めたハウスが潰れちまったら、
俺たちは一文にもならねぇ。大金が目の前にぶら下がっているから雪下ろしにも精が出る。
どうだ、ネエチャン。食ってみるか、俺の自慢のトマトを!」と、
見えないところから突然、先輩の声が飛んできた。
「トマトですか?。2月の初めというのに、トマトなんか出来るんですか?」
「おう。真冬でも、俺のところではトマトが出来る。
食って驚くな。そんじょそこらに有る普通のトマトじゃねぇぞ。
ブリックスナインと言って、糖度が9%以上もあるフルーツトマトだ。
騙されたと思って一度食ってみろ。くどくど説明するより舌で理解するほうが話が早い」
ほらよ、と言う先輩の声とともに、ピンポン玉大のトマトがいきなり空中から降ってくる。
ふわりとるみの足元に落ちたトマトが、雪の絨毯の上に真っ赤な花を咲かせる。
「小さいわねぇ。家庭菜園で作るようなミニトマトの仲間なのかしら?」
雪の中からトマトを拾い上げたるみが、手のひらの上で、真っ赤な塊をコロコロと転がす。
「馬鹿野郎。
ミニトマトなどという家庭菜園の俗物と、俺のフルーツトマトを一緒にするな。
普通に育てれば大玉になる品種を、特別な栽培法でぎゅっと小玉に完熟させたものだ。
いいから騙されたと思って、とっとと食ってみろ!」
急かされたるみが白い歯を見せて、真っ赤なトマトを2つに噛み切る。
口の中いっぱいに甘い香りと芳醇なトマトの水分が広がった瞬間、るみが瞳を丸くする。
『なにこれ・・・・ほんとだ。おいしいじゃん、私の知っているトマトとは全く違います!』
芳醇に口の中いっぱいに広がる甘みに、るみがにんまりと目を輝かせる。
味覚として後からやってくるほんのりとした酸味に、さらにまたるみが目を細める。
「こんなトマト、食べたことが有りません。ほんとうの奇跡の味がします。
これって、どんな風にして育てているのですか!」
「おっ、気に入ったか。奇跡の味とは、嬉しいことを言ってくれるネエチャンだな。
作っているところを見せてやるから、太一と一緒に入り口へ回って来い。
ただし東側は降ろしたばかりの雪で大山になっているから、
垣根の方から大回りして来いと言え」
『垣根からですか?。了解しました。太一、垣根から大回りして来いって』
そう言えば分かると言っていたけど、いったい垣根の大回りにはどんな意味が有るのと
るみが、不思議そうな顔で俺の目を覗き込む。
『このあたりは真冬になると、赤城おろしと言う季節風が吹く。
強風から屋敷を守るために、西と北側に面して常緑の生垣や巨木を植える。
屋敷に入るために、外を大きく迂回する必要があるから風よけの垣根のことを、
わざわざ『外回り』と洒落で呼んでいるんだ』
「そういえば、巨木がたくさん植えられています。
雪に覆われて、まるで季節外れのクリスマスツリーみたいですねぇ。うふふ」
群馬では1月から3月の初めかけて、赤城おろしと呼ばれる強烈な季節風が吹き荒れる。
赤城山の山肌を駆け下りてきた雪風は、乾いた畑の土を問答無用に吹き飛ばす。
多くの農家がこうした被害から家屋敷を守るために、垣根代わりとして巨木を植える。
終戦直後には耕作地を守るために、南北に帯の様な防風林がいくつも有った。
防風林の幅が、1キロを超える巨大なものがあったそうだが、戦後の食糧難の時代に
満州から引き揚げてきた人たちにより、すべて開墾され尽くしてしまった。
いまでも畑の畝(うね)に、ポツンと巨木がそびえているのを見ることが有るが、
それらは、こうして消えていった過去の防風林の名残だ。
垣根沿いの道は、概に除雪が済んでいた。
わずかに残った路面の雪に、ギザギザしたタイヤ痕が残っている様子からみると、
どうやら朝一番に、トラクターで除雪作業をしたようだ。
このあたりの雪を先に片づけないと、先輩のビニールハウスまで歩いてたどり着けない。
(確かに初めて見る、圧倒的すぎる積雪量だな・・・・)
道の両側にうず高く積まれている雪の壁を見て、今回のこのあたりの降雪量が
半端でないことを、あらためて実感をした・・・・
(20)へつづく
落合順平 全作品は、こちらでどうぞ
長屋の雪下ろしと、実家の屋根の雪下ろしを終えると、時刻はもう10時を回っていた。
『お昼を御馳走するから食べておいき』というお袋の言葉に、丁寧に頭を下げてから、
るみが、『着替えをしたいので、一度アパートへ戻ってきます』と辞退した。
『じゃ、間に合うだけの着替えを持って、早めに戻っておいで』とおふくろが
追い打ちをかけた。
えっと驚く俺を尻目に、玄関先でお袋がるみに優しくほほ笑んでいる。
(着替えを持って戻ってくる?)お袋とるみの間で何やら密談が、既に成立しているようだ。
機嫌のよさそうなお袋を玄関先に残し、俺たちはとりあえず来た道を逆に戻り始めた。
だが昨夜から40センチ以上も積もった道路の雪は、やっぱり難敵だ。
わずかに薄い日が射してきたが、雪を解かすほどの勢いは無い。
足跡ひとつ残っていない真っ白な絨毯は、畑と道の境界が見えないほどの厚みを持っている。
朝つけてきたはずの俺の足跡も、いつのまにか強風の影響で、あっさりと消えかけている。
先輩がビニールハウスから降ろした雪が、連棟の谷間から脇道へ溢れだしている。
谷間から溢れた雪は狭い脇道に雪崩のように広がり、小山のような壁を生み出している。
「ビニールハウスの雪下ろしも大変ですねぇ」とるみが、雪の小山を足で蹴る。
「大変なんてもんじゃねぇ。出荷間際だというのに、丹精込めたハウスが潰れちまったら、
俺たちは一文にもならねぇ。大金が目の前にぶら下がっているから雪下ろしにも精が出る。
どうだ、ネエチャン。食ってみるか、俺の自慢のトマトを!」と、
見えないところから突然、先輩の声が飛んできた。
「トマトですか?。2月の初めというのに、トマトなんか出来るんですか?」
「おう。真冬でも、俺のところではトマトが出来る。
食って驚くな。そんじょそこらに有る普通のトマトじゃねぇぞ。
ブリックスナインと言って、糖度が9%以上もあるフルーツトマトだ。
騙されたと思って一度食ってみろ。くどくど説明するより舌で理解するほうが話が早い」
ほらよ、と言う先輩の声とともに、ピンポン玉大のトマトがいきなり空中から降ってくる。
ふわりとるみの足元に落ちたトマトが、雪の絨毯の上に真っ赤な花を咲かせる。
「小さいわねぇ。家庭菜園で作るようなミニトマトの仲間なのかしら?」
雪の中からトマトを拾い上げたるみが、手のひらの上で、真っ赤な塊をコロコロと転がす。
「馬鹿野郎。
ミニトマトなどという家庭菜園の俗物と、俺のフルーツトマトを一緒にするな。
普通に育てれば大玉になる品種を、特別な栽培法でぎゅっと小玉に完熟させたものだ。
いいから騙されたと思って、とっとと食ってみろ!」
急かされたるみが白い歯を見せて、真っ赤なトマトを2つに噛み切る。
口の中いっぱいに甘い香りと芳醇なトマトの水分が広がった瞬間、るみが瞳を丸くする。
『なにこれ・・・・ほんとだ。おいしいじゃん、私の知っているトマトとは全く違います!』
芳醇に口の中いっぱいに広がる甘みに、るみがにんまりと目を輝かせる。
味覚として後からやってくるほんのりとした酸味に、さらにまたるみが目を細める。
「こんなトマト、食べたことが有りません。ほんとうの奇跡の味がします。
これって、どんな風にして育てているのですか!」
「おっ、気に入ったか。奇跡の味とは、嬉しいことを言ってくれるネエチャンだな。
作っているところを見せてやるから、太一と一緒に入り口へ回って来い。
ただし東側は降ろしたばかりの雪で大山になっているから、
垣根の方から大回りして来いと言え」
『垣根からですか?。了解しました。太一、垣根から大回りして来いって』
そう言えば分かると言っていたけど、いったい垣根の大回りにはどんな意味が有るのと
るみが、不思議そうな顔で俺の目を覗き込む。
『このあたりは真冬になると、赤城おろしと言う季節風が吹く。
強風から屋敷を守るために、西と北側に面して常緑の生垣や巨木を植える。
屋敷に入るために、外を大きく迂回する必要があるから風よけの垣根のことを、
わざわざ『外回り』と洒落で呼んでいるんだ』
「そういえば、巨木がたくさん植えられています。
雪に覆われて、まるで季節外れのクリスマスツリーみたいですねぇ。うふふ」
群馬では1月から3月の初めかけて、赤城おろしと呼ばれる強烈な季節風が吹き荒れる。
赤城山の山肌を駆け下りてきた雪風は、乾いた畑の土を問答無用に吹き飛ばす。
多くの農家がこうした被害から家屋敷を守るために、垣根代わりとして巨木を植える。
終戦直後には耕作地を守るために、南北に帯の様な防風林がいくつも有った。
防風林の幅が、1キロを超える巨大なものがあったそうだが、戦後の食糧難の時代に
満州から引き揚げてきた人たちにより、すべて開墾され尽くしてしまった。
いまでも畑の畝(うね)に、ポツンと巨木がそびえているのを見ることが有るが、
それらは、こうして消えていった過去の防風林の名残だ。
垣根沿いの道は、概に除雪が済んでいた。
わずかに残った路面の雪に、ギザギザしたタイヤ痕が残っている様子からみると、
どうやら朝一番に、トラクターで除雪作業をしたようだ。
このあたりの雪を先に片づけないと、先輩のビニールハウスまで歩いてたどり着けない。
(確かに初めて見る、圧倒的すぎる積雪量だな・・・・)
道の両側にうず高く積まれている雪の壁を見て、今回のこのあたりの降雪量が
半端でないことを、あらためて実感をした・・・・
(20)へつづく
落合順平 全作品は、こちらでどうぞ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます