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世界美術史に刻まれよう、海外同胞コリア美術の偉大な貢献-呉炳学大回顧展

2012年02月16日 | NPO三千里鐵道ニュース

★今日毎月1回の墓参りに行った。父母の眠る墓石の周辺には、在日と一目で分かる墓標が目につく。韓国「統一ニュース」への投稿を終え、この地に眠る在日1世とその子孫と呉炳学大回顧展が、ぼくの胸中を去来した。 N

 

 

写真ー27日から13日まで、日本豊橋市の美術博物館で在日同胞画家オ・ビョンハク先生の米寿を記念した美術展が開催された。展示会開催直前まで描かれたという大作をオ・ビョンハク画伯が熱く語る。 [写真-チェ・ソンイル]

 

 

 

     世界美術史に刻まれよう、海外同胞コリア美術の偉大な貢献

 

            "オ・ビョンハク大回顧展、日本豊橋市で開催”

 

                20120215() 南相三 tongiltongilnews.com

 

 

去る27日から12日まで、日本の本州中心に位置する愛知県豊橋市の美術博物館で、在日同胞画家オ・ビョンハク先生の88(米寿)を記念する美術展が開催された。

 

初日開会式には多くの同胞らと市民、画伯を慕う美術愛好家らと支持者が参集した。何よりもこの地に居住する同胞らは、主義主張と団体所属を越えて88才老画伯の大回顧展成功のために、共に出席し祝った。

 

主催はオ・ビョンハク大回顧展実行委員会、委員長には三千里鉄道結成当時からの理事、企業家のパク・テス氏が引き受けた。昨年名古屋市で行った画伯の美術展以後、志を共にし取り組んだ在日同胞と日本人が事務局をつくり準備してきた。

 

 

開会式では、日本与党の参議院議員予算委員長・石井一先生、名古屋出身国会議員・近藤昭一先生からの祝電が紹介された。つぎに豊橋市佐原光一市長が開会式に直接出席、大回顧展の開催を祝う挨拶をした。

 

祝辞で市長は

88才高齢に描いた絵が一番大きくて雄壮、若さと迫力にあふれていて驚いた。在日同胞も多く住んでいる豊橋市で開催したことに感謝し、市民と共に嬉しい気持ちで歓迎する”としながら、祝辞後には進んで画伯に近付き画伯の手を握り、その意を表わした。

 

開会式のニュースは、日本の大新聞の一つである中日新聞と地域紙ら、東海TVの当日ニュース、地域有線放送等を通じて繰り返し放映された。

 

うわさはうわさを呼び、二日目展示場を訪れる人々はさらに増えた。画伯自らが語るギャラリー-トーク(主題は画伯の人生と美術に対する信念、そして作品解説と参加者の質疑応答など)が開かれた締め切り前日には、400人余りの人々で混み合った。

 

その中でも特にこの地域同胞らの反応は格別なものがあったようだ。

ある同胞は、今回の回顧展のために画伯が準備した大作「仮面舞劇」の前で、立ちすくみしばらく動くことができなかった。またある同胞は、画伯の手を熱く握り“有難う”と何度も繰り返した。そして、展示場では昔なじみらと久しぶりに再開し挨拶を交わす老・中年男女の姿も見られた。過ぎし日々を懐かしむこの方々の胸中には、総連、民団等の所属団体や主張などは消えていた。

 

日帝時代この豊橋は軍都と称され軍事的に重要な戦略的拠点の一つであった。海軍大崎飛行場と小坂井の住友金属製作所、当時東洋最大の豊川海軍工廠もあった。また、軍需物資輸送のため鉄道敷設工事などが集中した。全国から多くの同胞が寄り集まったが、その中には故郷から強制連行された徴用者などもいたと言われている。

 

祖国が解放されるや同胞が密集し住んでいるでは万歳の歓声が木霊した。そして日々の苦しい生活の中でも、解放の喜びを胸に隣人を大切に思い助け合いながら暮らした。

この平和なに(戦争まで起こした)祖国朝鮮半島の理念対立が、その後の同胞社会に目に見えない壁をつくり、ちりじりに引き裂いてしまった。

 

それでも廃虚になった飛行場、軍需工場跡で、幼少年期共に遊んだ記憶と互いが成長しながら会えばただ酒を酌み交わし騒ぎ遊んだ追憶は、理念に縛られたくびきから抜け出していた。生活の底辺で、この地の同胞たちは、互いに近い存在であったのだ。やむを得ず分けられても、そしてしばし別々に存在していたとしても、心の片隅にいつも一つの望みを持って生きてきた。

 同胞たちは、画伯のもたらした渾身の大作の前で、その「仮面舞劇」の放つ強烈なメッセ-ジに吸い込まれるように、旧情を取り戻したのだ。

 

日本市民らの反応も良かった。“西洋油絵の技法に東洋の精神を融合させた独特の作品世界”、“画伯の闘魂とコリアの勇壮な気概に圧倒された”と絶賛した

 

回顧展を終えて関係者たちの打上げも済ませた次の日、画伯を訪ねインタビューを求めた。

 

筆者は躊躇することなく、今回発表した大作に込めようとした創作意図、今後の目標について尋ねた。画伯は、静かにしかし信念に充ちた声で次のように話した。

 

“仮面の裏に隠れた民衆の圧制者に対する怒り、未来への希望、五千年の歴史の中で東北アジアを駆け巡った騎馬民族―今に引継がれているコリア民族の気概と魂を表現しようとした。

私は日帝時代セザンヌに魅かれ画家になろうと、単身日本にきた。深刻な人権差別の中で苦学をしながら、セザンヌの世界を体得しようと今日まで研鑽を重ねてきた。しかし決して、先人の模倣で終ろうと考えたことはない。セザンヌの世界と民族的な情緒、技法を融合させ、オ・ビョンハク独自の世界、即ち世界美術史に寄与するほどの独創的な世界の創造が私の目標だ。

今どの段階に達したのかは、見る人々が評すであろうが、今後も私の残った余生をその目標のために捧げる覚悟だ。そして、統一された祖国の国立美術館に私の絵を寄贈することが、私の夢であり願いだ。”

 

まさに今回のオ・ビョンハク大回顧展は、分断された祖国の南北民族と在日同胞に向けた画伯の信念と宿願がこの地にもたらした祝祭であり、美術史に記録される巨大な足跡となった。

 

 

 http://www.tongilnews.com/news/articleView.html?idxno=97593