NPO法人 三千里鐵道 

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呉炳学大回顧展実行委員会、解散

2012年02月22日 | NPO三千里鐵道ニュース

昨日豊橋駅に隣接する朴泰秀実行委員長が会長を務める夢コーポレーション本社において、最後の委員会事務局会議が開催された。

開催期間中、写真だけは毎日アップし、まとめとして韓国「統一ニュース」記事の翻訳を掲載した。(ご参照下さい)

この企画の火付け役・三千里鐵道都相太理事長も参加し、最後は実行委員長の言葉で絞めた。

「個人的に良かったと思ったことは、(今回の回顧展で)友人たちに褒められ喜ばれたこと。次に(自宅を開放し呉炳学第二展示場を取り仕切った)家内の機嫌がすこぶる良かったこと(爆笑)、それに皆さんと出会えたこと。皆さん、本当にご苦労様でした」

素朴ではあるが、実に味わい深い別れの言葉であった。

「別れ」ではなく、ひょっとすると今回の回顧展をきっかけにして、何かが胎動し始める予感を感じさせる場になったのでは…。

会議の前日、都相太理事長は理事に向けて提案書をメールで発信した。

「自分は技術者のはしっくれ、カタチにできない想いはそんなに意味がない」

このような話を口癖のようにしてきた都相太さん、日本の市民と在日、益々近くなった朝鮮半島との関係の在りかたについて、今後どの様な設計図を描き実現してゆくのであろう。 N

 


朴正熙記念館、独裁喚起させるな

2012年02月22日 | 南域内情勢

 

09:50

[社説]朴正熙記念館、独裁喚起させるな

 
記事登録:2012/02/21 19:02(1203字)

大韓民国の既得権層が日帝下の親日・買弁勢力から独裁体制保護勢力につながる血統を持っているということは不幸なことだ。この致命的な弱点を糊塗するために、彼らは絶えず反共・冷戦イデオロギーと抑圧体制を強化しなければならなかったし、歴史と事実を操作して学問を歪曲しなければならなかった。昨日開館した朴正熙記念館はすぐにこれらの念願事業だった。記憶を歪曲しようとするこれらの努力はそれほど執拗だった。
 現職から退いた大統領に従うこれらが記念館を作って、各種展示を通して彼の業績などを紹介しようととすることは非難されるべきでない。 試行錯誤を警戒して政治功績は継承する意味深い教育の職人できる。このような趣旨から金大中図書館はすでに設立されたし、盧武鉉前大統領の記念館も推進中だ。独裁者だからといって朴正熙記念館自体を批判はできない。
 問題はそこに展示される記念品の内容だ。純粋に本当の原則に従わなければならないが、最小限、一方的な美化と称賛のための歪曲はあってはならない。歪曲の殿堂になってはならないという点から、朴正熙記念館は最初からボタンを掛け間違っていた。政治功績だけを抜粋、誇張して軍事クーデターや維新独裁を結果的に美化しているのだ。記念事業会の言う通り1960~70年代を分からない若い世代がこの展示だけ見ると、朴正熙は民族中興と近代化の先駆者としてだけ思い込まされやすい。今年夏に開館するという図書館もやはり個人の所蔵品や閣僚会議案件、親筆指示などを収集・整理するというから、朴正熙美化につきるにすぎない。このような歪曲の殿堂を作るのに国民の血税と市民の財産が投入されたということに戸惑うしだいだ。
 遺産や追従者の寄付で建てられた記念館ならば、美化あるいは称賛をする場合はそれに対する評価は私用ですべきだろう。だが、同館には政府予算が178億ウォンも投入されて、貴重な敷地5260㎡はソウル市が無償貸与した土地だ。500億ウォンは全経連が会員会社から寄付を受けたとしても、このお金もやはり厳格に言えば各企業の数多くの株主の財産だ。公共の財産である。 記念事業会がソウル市に寄付進呈することにしたのもそのような理由からだったろう。それなら展示内容はすぐにそのような公共性に見合わなければならない。
 市民は血税が独裁者の亡霊を蘇えさせるのに利用されることは望まない。国民の基本権を蹂躪して、民主主義を破壊して、親日買弁・独裁追従勢力が再び権力を握るのに利用されるのも願わない。政府やソウル市は記念館が歪曲の全党(殿堂)にならないように責任と義務を果たさなければならない。
原文: http://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/520088.html 訳T.W

朴槿恵の過去断絶論と正修奨学会

2012年02月22日 | 南域内情勢

15:18

[社説]朴槿恵の過去断絶論と正修奨学会

 
原文入力:2012/02/20 19:03(1148字)
朴槿恵・セヌリ党非常対策委員長が昨日放送記者クラブの討論会で最も強調した話は‘過去との断絶’だった。彼女は "今セヌリ党が復活している"として "過去の過ちと完全に断絶して新しく生まれるために果敢な刷新をしている" と話した。五日前政党代表演説に続いて繰り返された過去断絶論だ。

 セヌリ党はすでに政治綱領・政策の基調を競争を優先視する新自由主義から幸福を重視する福祉拡大の方向に変えた。14年以上使い続けたハンナラ党という名前も果敢に捨てた。現在、真っ最中の公認選びでも道徳を基準として現役議員を大幅に入れ替える計画という。‘李明博でなければ何でもいい’というほど大きな変化が予想される。
 朴槿恵委員長が主導するセヌリ党の変化と改革は格差解消と福祉拡大を望む国内外の流れを反映すると同時に、二大選挙を狙ったパフォーマンスの意味も帯びている。とにかく政党が時代精神を反映して変化するのは良いことで、その中に真正性まで含まれているならば加える私上がないだろう。
 しかしパク委員長が追求する過去との断絶や変化、改革は本当に誠実といえるのか疑問だ。彼女は李明博政府の問題点として対話不足と格差社会の進行を指摘した。対話は民主主義の後退を、格差は経済の失敗だといえると考えられる。格差はひとまず差し置いても、疎通と民主主義に対するパク委員長の思いはほとんど感じられない。
 最も代表的な事案が正修奨学会問題だ。正修奨学会は釜山(プサン)日報の株100%、文化放送の株30%と京郷新聞社の土地700坪余りを所有している財団法人で、いまだにパク委員長と深い関係がある。だが彼女はこの日関連質問を受けて "2005年に理事長をやめたので自分と関係ない。これと関連して奨学会は明確に立場を表明する必要がある" とまで話した。今でも朴正熙前大統領を‘王様’、パク委員長を‘大令嬢’と呼ぶ(<ハンギョレ> 2月4日付3面)チェ・フィリップ氏が奨学会理事長を務めているという事実と非常に距離感がある認識であり発言だ。
 世の中の仕組みは法律関係だけで成り立っているのではない。人脈でからまりあい、情でつながれている。パク委員長が本当に正修奨学会と関連がないならば、自身をいまだ王朝時代の上殿のように迎える人を理事長から退かせて、市民・マスコミ団体の要求通り社会に財団を還元できないわけがないはずだ。過去と断絶はひとからではなく自分から始めてこそ誠実だ。

原文: http://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/519916.html 訳T.W