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紀行文ー都羅山から板門店、そして開城へ

2009年11月22日 | NPO三千里鐵道ニュース
南から見た北朝鮮。撮影ー康宗憲 

今回同行された康先生から、珠玉のような紀行文が寄せられた。有難うございます。namsang
             

             都羅山から板門店、そして開城へ
                       康宗憲(韓国問題研究所代表)

 夢を見ているような二泊三日だった。11月12日から14日まで、幸運にも私は通訳として、都相太・理事長の招請訪問に同行することができた。
11月13日、金大中・盧武鉉政権期に統一部長官を歴任された林東源、鄭世鉉、李在禎の諸先生や、実務を担当された李鳳朝・元次官の案内を受け、私たちは汶山駅から都羅山駅までの9.6km区間を列車で走行した。2007年5月17日の試運転を機に貨物列車が定期的に往来していた南北鉄道は、当局間の関係悪化に伴い、昨年12月から運行が中断されている。残念ながら、現状では都羅山駅までの運行である。だが、都羅山駅のホームには、「南の最終駅ではなく、北への始発駅」と書かれた大きなボードがあった。連結された鉄路はまだ新しく、列車の走らないレールは物悲しげに真っ直ぐと北に延びていた。
都羅山駅には、金大中・ブッシュの両首脳が2002年2月に訪問し、それぞれ枕木にメッセージを残している。関係者の好意で、私たちも記念の言葉を枕木に記すことになった。私は欲張って、少し長い目のメッセージにした。「不信と対決の壁を越え、和解と協力の精神で連結した鉄路。その路上にこそ、我が民族の永久なる平和と繁栄があるだろう」と。
 南北出入事務所で説明を受けた後、乗用車で板門店へと移動した。最前線部隊とは思えないほど、指揮官や兵士たちの言動には余裕が感じられた。3日前に西海で南北海軍の銃撃戦があったので、かなりの緊張した雰囲気を予想していたのだが、拍子抜けだった。北側の「板門閣」からは人民軍兵士が一人、望遠鏡で私たちを監視している。2001年8月15日、ピョンヤン経由で汎民族大会に参加し、「板門閣」から南側の「自由の家」を眺めたときのことを、ふと思い出した。分断の、気の遠くなるような歳月が、今も続いているのだ。その苛酷な現実に容赦なく直面するのが、ここ板門店である。
 朝からの小雨も止み、屋上の展望台からは開城工業団地の全景がパノラマのように見渡せた。政治の荒波に翻弄されながらも、南北の経済協力は着実に進んでいる。たとえ幾多の紆余曲折を経ようとも、決して放棄も断念もしない、民族統一への不屈の意志を具現した眺望である。統一祖国の未来像を見るようで、何枚も写真を撮った。望遠鏡で見ると、開城市内を行き来する市民の姿が、手に取るようにはっきりと見える。
 実り多い訪問だった。私たちは、感動と感謝がこみ上げる至福の時を過ごした。林東源先生は今回の訪問を、遅ればせの“贖罪”だと言われた。2007年5月17日、歴史的な試運転に招請できなかったことを、申しわけなく思っておられるようだ。でも、三千里鉄道と都相太・理事長は今回、「残り福」ならぬ「遅れ福」を満喫した。そして、同行を許可していただいた私は今、友人諸氏からは「羨望の的」である。祖国の平和と統一に微力ながら尽くすことで、応えて行きたいと思う。

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