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独裁者の復権?

2013年10月30日 | 三千里コラム

朴正熙元大統領の銅像



34年前の1979年10月26日、朴正熙・元大統領は女性を侍らせた酒宴の席で、キム・ジェギュ中央情報部長に射殺されます。絶対権力を謳歌した国家元首としては、公開するのも憚られる醜悪な末路でした。ともあれ、彼は波乱に満ちた62年の生涯を終え、18年間の軍事独裁政権に終止符が打たれたのです。

 政権末期だった当時、釜山・馬山地域をはじめ全国各地では、連日のように民主化を求める市民デモが展開されていました。しかし、市民革命で独裁者が打倒されず内部の権力抗争による政権崩壊だったために、全斗煥・盧泰愚ら新興勢力が軍事政権を延長することになりました。

 その後、光州民主化運動など民衆の献身的な闘いによって一定の民主化が達成され、朴正熙が乱発した大統領緊急措置令などは今、民主主義の根幹を蹂躙する憲法違反であったとの司法判断が定着するようになりました。

 朴正熙の長女である現大統領は、日ごろから「私が政治家になったのは、父の名誉回復を実現するためだ」と公言してきました。彼女にとっては、金大中・盧武鉉政権で下された実父への厳しい評価は、受け入れ難いものだったでしょう。そして、朴槿恵政権のもとで初めての10月26日を迎え、故郷の慶尚北道亀尾市では盛大な追悼行事が開かれました。言うまでもなく、朴正熙を英雄として美化し、その業績を最大限に讃える内容です。

 韓国社会で朴正熙ほど、その評価において保守派と進歩派の間で克明な対峙を示す政治家はいないでしょう。保守派が高度経済成長を実現した「祖国近代化の父」と崇めるのに対し、進歩派は、民主主義と人権を蹂躙した「軍事独裁者」と糾弾します。総括すれば、朴正熙時代には二つの厳然たる歴史的事実が存在したと言えます。一つは短期間の圧縮的な経済開発により韓国社会の産業化が促進されたことであり、もう一つは、朴正熙体制が下からの民衆の抵抗によって崩壊したことです。

 父親を尊敬して止まない現大統領の心情は充分に理解しますが、朴槿恵政権の誕生が必ずしも朴正熙神話の復活を意味するものではありません。なぜなら朴正熙体制とは、その執権18年のうち9年以上が、戒厳令や緊急措置などの暴力手段で延命された血みどろの体制だったからです。そして韓国社会の紛れもない特徴は、日本やドイツと違い、民衆の闘争によってファシズムが崩壊し民主化が進展したことです。その積極的で肯定的な側面に依拠してこそ、朴槿恵政権下でも、さらなる民主化を推進する原動力を結集できるのではないでしょうか。

 以下に、2013年10月28日付『ハンギョレ新聞』の社説を紹介します。
http://hani.co.kr/arti/opinion/editorial/608670.html?_fr=mr1 (JHK)



権力に便乗した“朴正熙の美化”を警戒する

 朴正熙元大統領の34周忌をむかえて、度を越した称賛と美化の発言が溢れ出ている。朴槿恵大統領の執権を契機として、より一層顕著になった朴正熙美化の動きは眉をひそめたくなる程だ。現在の権力に便乗した過去の独裁に対する美化は、韓国社会の健全さを損なうだけだ。

 西江(ソガン)大学の総長まで努めたソン・ビョンド氏の朴正熙追悼辞は、聞く人の耳を疑わせるような内容だった。 彼は、「スパイが欲しいままに暗躍する昨今の世の中よりは、いっそ維新時代(朴正熙時代:訳注)の方がよかったと庶民は叫んでいる。5・16(朴正熙による1961年のクーデタ:訳注)と維新を侮辱する声に、閣下(朴正熙:訳注)の心気も穏やかではないだろう。祖国近代化の道を邁進するお嬢さん(朴槿恵:訳注)への支持率が60%を越えた」など、詭弁をならべた。全て、時代錯誤的で権力にへつらう発言ばかりだ。

 ソン氏の発言は要するに、独裁時代への回帰を煽動するものだ。憲政を蹂躪した5・16クーデターと維新体制が、今の自由民主主義体制よりましだというわけだ。銃剣で反体制勢力をひっ捕まえた朴正熙時代に戻ろうというのだ。ナチスを称賛するドイツの極右ファシズムを目の当たりにするようで、心配なことこの上ない。“スパイが暗躍している”という表現も、取って付けたようなゴリ押しだ。今ほど、北朝鮮の体制を追従する勢力が韓国内で孤立したことがない。“日々の暮らしに精一杯の庶民が、独裁時代を懐かしがっている”との発言は、庶民を冒とくするものに他ならない。我が国民の民主主義的素養を愚弄するものだ。

 慶北道の亀尾で開かれた追悼行事でも、政治家たちは“救国の決断、父なる大統領閣下”などの表現で、美化を越え権力に阿諛する発言を繰り広げた。ソウル市の江南(カンナム)地域にある大規模教会では、「第1回朴正熙大統領追慕礼拝」というとんでもない行事まで開かれた。死後34年が過ぎた今になって初めての追慕礼拝をするというのだから、どういう風の吹き回しなのかさっぱり分からない。

 故朴正熙大統領を美化して称賛する最近の動きは、相当な部分において、権力に便乗し何かの利得にありつこうとする下心があってのことだ。朴正熙を追慕したいのなら、それなりの手続きを経るべきだ。功過を明確にしなければならないのだ。国の経済を興した彼の業績を否認する者は殆どいない。だからと言って、維新独裁まで美化してはなるまい。 玉石を区分せずに、“維新がはるかに良かった”と見境なく突き進めば、本来の功績までも損なわれかねない。

 朴正熙を美化する動きが増幅している底辺では、朴槿恵大統領の権威主義的な統治スタイルが大きな役割をしている。父親の時代を克服できずに過去へと回帰するかのような現大統領の姿が、私たちの社会全体を過去に後戻りさせているのだ。朴槿恵大統領が自ら率先して、父親をどのように受け入れることが望ましいのか、熟慮するように願う次第である。

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