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明治の産業施設は世界遺産に値するのか?

2015年05月22日 | 三千里コラム

日本政府が世界遺産への登録申請した23施設のうち、長崎県の端島炭鉱(軍艦島)



1972年11月、第17次ユネスコ総会で『世界遺産条約』が採択された。同条約に日本が加盟するのは、1992年(125番目の締約国)のことだ。現在、約190カ国が加盟している。日本政府は今、ユネスコの世界遺産委員会に「明治日本の産業革命遺産」を推薦している。日本政府の積極的なロビー活動もあって、すでに同委員会の諮問機関「イコモス(ICOMOS:国際記念物遺跡協議会)」が、登録勧告を出している状況だ。順調に行けば7月上旬には、対象の23施設が一括して世界文化遺産に登録されるだろう。

しかし、朝鮮半島の南北両政府が、朝鮮人の強制徴用が行われた炭鉱など7施設について「登録の取り下げ」を主張したことから、互いに譲らぬ外交論争になってしまった。中国政府も、歴史を直視せよと述べ「登録反対」の意思を表明している。こうした抗議に対し安倍内閣は、「対象とする年代も歴史的な位置付け、背景も異なる」と不満を隠さない。日本政府は確かに、施設の建造時期を「幕末から1910(明治43)年まで」に限定している。

言うまでもなく1910年は、大日本帝国が朝鮮半島を植民地に併合した年である。よりによってこの年を下限に設定したことからも、安倍内閣の下心は明白である。「植民地統治期の強制徴用」という歴史的事実を回避するための、姑息というか、稚拙というか、いや、厚顔無恥と言うべき手法であろう。

5月21日付『毎日新聞』朝刊(記者の目:森忠彦記者)によると、第二期安倍政権の2013年、日本政府は「長年順番待ちをしている他の候補を尻目に、今回の産業遺産群をなかば強引に割り込ませた」という。日本政府はなぜ、これら23施設の世界遺産登録に執着するのだろう。政府の推薦文には、次のような意義付けがなされている。

「明治後期、日本が20世紀初頭に非西欧地域で最初の産業国家としての地位を確立したこと、そこに至るまでの幕末から僅か半世紀余での製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業における急速な産業化を達成したことは、世界史的意義を有するできごと」だというのだ。よってその対象には、明治維新の思想的原点とも言える松下村塾から、殖産興業・富国強兵の象徴である官営八幡製鉄所まで含まれる。地域も、九州や山口県を中心に静岡、岩手の計8県に及んでいる(上記『毎日新聞』参照)。

ここ数年、日本の出版状況を見ていると、微妙な変化に気付かされる。かつてのような嫌中・憎韓の「ヘイト本」は後退し、日本が“かつても今もアジアの大国”だと喧伝する「日本礼賛本」が氾濫していることだ。幾つかの書籍名とその宣伝文句を紹介しよう。「世間の経済常識はウソだらけ!発売たちまち大増刷!」と広告されているのは、増田悦佐氏の『やはり、日本経済の未来は世界一明るい!』という本だ。三橋貴明氏の『中国との貿易をやめても、まったく日本は困らない!』という本もある。タイトルがやたら長く絶叫的なのが、最近の特徴のようだ。

注目すべきなのは、経済よりも歴史関係の本だろう。極右論客として著名な渡部昇一氏の『読む年表、よくわかる日本の歴史』が一押しだ。新聞広告では「この一冊で日本史通になる!戦後70年、いよいよ日本の時代!素晴らしい国・日本の歴史を知る!」と紹介されている。これは「売り上げ3万部突破!」らしい。日下公人氏の『いよいよ、日本の時代がやって来た!』の宣伝文句は、「世界のなかで日本を仰ぎ見る国がどんどん増えている!日本のかけがえのない資源は、まさに日本人自身だ!」。そして、これが恐らく一番の本音なのだろうが、『アジアの解放、本当は日本軍のお蔭だった!』という高山正之氏の本である。これも「売り上げ3万部突破!」である!!。

このように見ると、世界遺産登録を推進する背景にあるのは、偏狭で頑ななナショナリズムではないだろうか。日本のそれは、「欧米への極端な卑屈さ」と、その反作用として「アジアへの度し難い傲慢さ」を特徴とする。「脱亜入欧・富国強兵」を掲げアジアの隣国を蹂躙して達成した「明治の栄光」にスポットを当てることで、「平成の大国日本」を誇示したいのだろう。そこには、日米同盟の強化(集団的自衛権の行使)によって軍事大国化への道をひた走る、安倍内閣の強い意志が感じられる。大日本帝国が短期間で「アジア最初の産業革命」を成し遂げたのは事実だが、安倍内閣が強調したいのは、産業革命よりも明治維新なのだろう。だからこそ、「松下村塾」が“明治日本の産業革命遺産”に含まれている。

ところで、『吉田松陰書簡集』(岩波書店)には次のような一節がある。「ロシア、アメリカとは既に和親条約がむすばれており、この関係を破って列強の信用を失ってはならない。…国力を強くして奪いやすい朝鮮、満州、中国を屈服させ、…交易にてロシア、アメリカからの損失を受けた分は、朝鮮と満州から土地を奪い補償しなければならない」。松下村塾は高杉晋作や伊藤博文ら、明治維新(明治政府)の主役たちを養成した。そして吉田松陰は、「征韓論」の権化ともいうべき指導者だった。おそらく、山口県出身の安倍首相が深く尊敬する人士ではあるまいか。

では、日本政府が推進する今回の世界遺産登録に関し、韓国の専門家はどのように評価しているのだろうか。慶星大学のカン・ドンジン教授(都市工学科)は、文化財庁の世界遺産分科委員会専門委員であり、「イコモス・コリア(ICOMOS-Korea)」の委員も務めている。カン教授は、日本の登録申請書や「イコモス」の評価は問題だらけだと批判する。とりわけ、これら産業施設群を日本政府が1850年代~1910年までに限定したことに対し、次のように問題点を指摘した。

「産業遺産型の世界遺産は、誕生期から現状態に至るまでの全過程が評価対象になるべきです。限定された期間だけを対象にする場合には、必ず該当時期の原型を保存していなければなりません。しかし、日本が明治の産業遺産として申請した23ヶ所を見れば、現在も使用中の施設が3~4ヶ所ある上に、その大部分は明治以後の太平洋戦争期に大活躍した軍需産業施設です。このように、都合の悪い歴史はごそっと抜いてしまい、特定の時期だけを切り離して“世界遺産”に登録することはできません。一人の人物を評価する際に、幼児期だけで評価することは好ましくないでしょう。素直で可愛くない幼児など、いないからです。都合のいい日本だけを見せようとするのは、決してフェアーとはいえません。」

カン教授はまた、日本政府の推薦文(登録申請書)が、産業施設群の一面しか説明していないと述べている。

「これら産業施設は造船・製鉄・石炭鉱業などに限定されており、すベて富国強兵を追求した明治日本の軍需産業施設です。実際に、これら施設で生産した武器や軍需品が、日清・日露戦争の勝利に寄与しました。しかし、このような歴史の否定的な側面について、日本の登録申請書のどこにも説明がない。そして、登録候補施設のうち7ヶ所が、太平洋戦争期に強制徴用された朝鮮人を酷使した現場であったのは広く知られています。端島炭鉱と高島炭鉱、長崎造船所に関しては“囚人労働が労働力の重要な部分を担当した”と記述されていますが、労働力の強制徴発を、どこで、どのように、どれだけの規模で行なったのか、全く言及されていません。登録申請書の歴史に関する項目には、日中戦争と日露戦争が登場します。しかし、これらの産業施設が戦争でどのような役割を担ったのか記載されておらず、建造した船舶についても旅客船を挙げるだけで、軍艦には触れていないのです。」

ここで、先に引用した『毎日新聞』の記事に戻りたい。カン教授の主張に合い通じる心情を、日本の記者からも感じるからだ。森忠彦記者は次のような文章で記事を結んでいる。

“世界遺産には「負の遺産」と通称されるものがある。ポーランドの「アウシュビッツ強制収容所」や広島の「原爆ドーム」など、不幸な過去を乗り越えようとする人類への評価と言っていい。原爆ドーム登録の際、米国が反対したことを思い起こしたい。近く行われる日韓政府間協議では、日本政府は負の部分にも配慮し、すべての施設の登録に向けた妥協点を見いだしてほしい。歴史には光も影もある。どんなにきらびやかな遺産にも両面がある。…今回の論争を、世界遺産を人類共有の財産として考え直す転機としたい。”

ユネスコが掲げる世界遺産の絶対条件は、「卓越した普遍的価値(OUV:Outstanding Universal Value)」だという。であるなら、日本政府の申請した産業施設群が名実ともに世界遺産として登録されるためには、上に挙げた「負の部分」も併記することが望ましいと思う。安倍首相も繰り返し語っている。奥歯に物の挟まったような言い方ではあるが…。「戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません」と。(JHK)

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
核心を見事に (いそじろう)
2015-05-23 11:58:37
この問題、連載時評で書こうと思っているところでした。
これまで適切、詳細に記されていると、出る幕ないな、と実感。
でも、得意(?)の裏読みもまじえて書くことにします。
返信する
核心を見事に (いそじろう)
2015-05-23 12:00:51
この問題、連載時評で書こうと思っているところでした。
これまで適切、詳細に記されていると、出る幕ないな、と実感。
でも、得意(?)の裏読みもまじえて書くことにします。
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